F1韓国GPに俄然興味が沸いてきた

俺は車のレースはあまり興味がなくて、F1もほとんど見ない。HONDAの熱烈な信者なのでHONDAがF1で連戦連勝のころは自己満足も兼ねて見ていたが、今じゃほとんど興味がない。そんな俺に、ちょっと面白いニュースが飛び込んできた。

【大敗北】 F1韓国GP 明日開幕 決勝には9万人の観客  :アルファルファモザイク

おー、オリンピックとかワールドカップとかでも突貫工事ってのは良く聞くけど、開催に間に合わなかったなんて話は聞いたことが無い。既に予選も始まっているのでこんなネタはどこまで本当か判ったもんじゃないが、好奇心がムクムクと頭をもたげてきたのは事実。

で、TV放映の時間を調べたら、なんと夜中の1:45からのようだ。韓国との時差ってそんなにあるんだっけ?(棒読み) まさかなにか映像を加工しt

上司に対する不満は自分に対する不満だ

「あの部長はダメだ」「あの人は信用できない」「上の顔色ばかり伺っている」・・・・
上司に対する不満は尽きない。しかし、なぜ上司に不満を持つのかよく考えてみてほしい。

「あいつは働かない」「あいつは忙しくても定時に帰りやがる」「口ばっかりだ」・・・
部下に対する不満も尽きない。しかし、なぜ部下に不満を持つのか、これも良く考えてみてほしい。

よく考えると、その感情は「自分の思ったとおりにいかない」ということに収斂されていくだろう。では、なぜ思ったとおりにいかないのか。思ったとおりに人が動いてくれたらうれしい。動いてくれた人も不満を持っていなければなお良い。しかし物事はそう簡単ではない。お互い何かしら我慢をしているのが常だ。

問題はその「我慢のしきい値」がどこにあるのか、なのである。

このしきい値は相手に対する感情によって大きく変動する。嫌いな相手にはしきい値が上がり、そうでない相手に対してはしきい値が下がるのだ。これは毛虫のように忌み嫌う相手は声を聞くだけで気分が悪くなることでも理解できるだろう。逆に、信頼している相手気に入っている相手から多少の無理を言われた場合、不満よりもどうにかしようという意識の方が大きくなったりする。ほら、解決策が見えてきた。

要は相手を嫌わなければいいのだ。別に無理して好きになったりする必要はない。嫌わないだけでしきい値の上昇はぐっと抑えられる。

もう一つの解決策、それは相手と良く話すことだ。相手に納得してもらうには話すしかない。とにかく根気よく話して、自分の意志を細かに伝えることが重要だ。

さて、最初に戻ろう。なぜ不満なのか、それは自分の意志を伝えきれていないと感じるからだ。とことん話をしてもダメな場合、その相手に対して持つ感情は「不満」や「嫌悪」ではなく、相手を尊重した上での「諦め」だ。その「諦め」は絶望ではなく、相手の力量を把握できた「見切り」と言ってもいい。その見極めが出来ないから不満が募るのである。その不満は相手に投影した、見極めができない・相手に伝えきれない自分に対する不満である。

文句ばかり言っている人間を良く見てほしい。その文句の相手の名前を、文句を言っている人の名前に変えてみてほしい。あまりにしっくり来てビックリするはずだ。

じゃあの。

お店とお客のバランス

とある店が営業時間を変更したところ、あれこれ文句を言われたらしい。そういえば俺も同じような経験をしたことがある。

俺が働いていた店は24時間営業だった。24時間営業していても夜中はほとんど客がこない。来ないだけならまだいい。コーヒー一杯で雨風をしのげ用もたせるし居眠りもできる、そういう店に集まってくるのは大概「招かれざる客」だ。いつの間にか浮浪者の溜まり場になってしまった。

実際に計算してみると24時間営業には無駄が多すぎたので、浮浪者が出入りしているという悪いイメージの払拭も兼ねて夜間はクローズする事に決めた。中にはきちんとしたお客さまも当然いる。そんなお客さまには夜間を閉めることで迷惑をかけることになってしまう。しかし、背に腹は変えられない。

夜間をクローズするにあたり、一つだけ気になっていることがあった。それは1人のばあちゃんだった。そのばあちゃんはほぼ毎日店に来て夜を明かし、朝になると帰っていった。そのばあちゃんは誰に迷惑をかけるわけでもなく、1人おとなしく時間を過ごしていた。俺はそのばあちゃんに「今度から夜店を閉めることになるかもしれないよ」と言うと、そのばあちゃんは悲しそうな顔をして「絶対に邪魔をしないから、閉店後も店にいさせてほしい」と言ってきた。

「だけどねばあちゃん。店を閉めたらみんな帰っちゃうんだよ。誰もいない店にばあちゃん1人残す訳にはいかないんだよ。ごめんな。」

俺はそうばあちゃんに告げた。何だかものすごく悪いことをしているような気分だったのを覚えている。

夜間店を閉めるようになると、いつでも開いていると思ってやってくる酔っ払いが閉まっている自動ドアを無理やり開けようとしたりドアをガンガン叩いたりする。閉店しているのは見たら分かりそうなものなのだが、一切おかまいなしである。挙句の果てには閉まっていることへの文句をどなりちらして帰っていくのである。

もし、夜にたくさんお客が来ていたら浮浪者も入りにくかったろうし、収益状況も悪くなく夜店を閉めることもなかっただろう。こういう事を言ってはいけないのかもしれないが、閉める前にもっとたくさんのお客が来てくれていれば夜閉めることもなかったのだ。

お客とお店は持ちつ持たれつの関係だ。そのバランスが崩れるとなにかがおかしくなるし、そのバランスを取るべく何かが動いてしまう。その直後は色々文句が出るものだが、いずれ慣れてしまうものだ。あとは「昔はよかった」と言われないようにすればいいだけなんだよ。

分別ゴミ箱の不思議

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ゴミの分別が当たり前になってきていることもあって、自動販売機の側に設置してあるゴミ箱も写真のような分別タイプのものが多くなっているのはご承知の通り。で、このタイプのゴミ箱の中を覗くと、入口は3つとか4つに分かれているのに中は1つのゴミ袋だったりする。写真の奴は右2つが1つのゴミ袋、左2つが1つのゴミ袋に分かれていた。JRとかに置かれている縦に3つ入れる穴が開いた奴は中が1つだった気がする。

入口が分かれていても中が一緒だったら意味が無いような気がするんだけど。

おかしいなと思ってググッてみると、[ネタ]ペットボトル用と缶用の入り口が2つあるのに中が一緒問題というページを発見。これによるとビンや缶の分別というより、もっと大きな意味での分別のために穴を開けているようだ。少し納得。

では、中は一緒でも細かく分けているのは単なるイメージ戦略ってことでいいのかな?

手伝いとか応援とかを出せる配置にしておく事こそ問題だ

サービス業とかでは「全社体制で」なんて言葉をよく聞くんじゃないかと思う。これは忙しいときは全員が応対に回れとか、接客が忙しい時は裏にいる奴を呼べとか、まぁそういった類の話だ。多数の敵が攻めてきたらこちらも弾薬をたくさん使わなければ撃退できないわけで、それはある意味当たり前の事だ。

しかし、そういう号令の元、ちょっと忙しくなれば「助けてー」と叫ぶ奴が増えるとこれまた大変なのである。なぜヘルプミーコールが出されるのか、そのことをまったく考えずに「忙しくなったら呼べばいい」という甘ったれた根性は本当に許せない。

なぜこの「ヘルプミーコール」が乱発されるのか。その理由は2つあって、1つはコールする方のスキルの低さである。高いスキルを持つメンバーであれば、多少の繁忙は吸収してしまう。それが出来ないため、すぐ「呼んじゃえ」になるのである。しかしこのスキルというものは、ある程度のストレスをかけないと高まらないものだ。安易なヘルプミーコールは己れのスキルアップの道を自ら断ってしまっていることに気がついていない輩は多い。当然、スキルが低いので仕事に対するプライドも低く、この程度だったら我々だけでこなすのが当たり前という意識もない。こういったことで、出来ない奴に限って助けを呼びたがる構図が出来上がる。

もう一つの理由はもっと根本的な「人員配置のミス」によるものである。上位職者が閑繁を予測できないため、毎日同じ人員配置になっているのをよく見かける。だから、暇な時は人手が余り忙しい時には人手不足という状況がどうしても発生してしまう。呼ばれる方はこっちの状況も考慮しないで一方的に呼ばれるから困るのであって、予めスケジュールに組み込まれていればそれなりに対処するものだ。そもそも自分の本来の業務を止めてまで手伝いにいくのだから、それなりの配慮はするべきだろう。だからこそ予測をしっかり立て、その予測に基づいて事前に十分準備してくことこそが重要なのだ。

オシム前監督は選手に「ポリバレント」性を求めたが、その結果は本来のポジションの選手が本来のポジションでより活躍する結果となった。全体がスキルアップすれば、本来の持っているポジションの性格がより強く出てくるのだ。そういう意味では、ここに書いたスキルアップがない安易な「ポリバレント」を望むことは百害あって一利なしだと言える。

というかだな、要請されてほいほい手伝いにいける配置にしていることの方がよっぽど問題で、要はその部署は人が多いってことなんだよ。「全社一丸となって」とか「全社体制で」とか言葉はカッコいいかもしれないが、付け焼き刃的なその場しのぎは逆効果でしかないことにそろそろ気がつけこの阿呆。

と、うちの猫が鳴いていたんだよ本当に。

画像付きメールなんて大嫌いだ

ブログサービスとかYahooオークションとか楽天市場とか、そんなサービスに会員登録しているとメールがよく送られて来るようになる。それはそれでかまわはいのだが、ひとつだけどうしても我慢できないことがある。それは画像を組み込ませたメールだ。

流石にメール自体に画像をつけて送ってくる阿呆はいないが、外部にある画像を読み込みに行くということは、画像を置いてあるサーバにはしっかりとこちらのログが残るということだ。なにかデータでも欲しいのだろうか。

それよりなにより、携帯とかだと表示が遅くてイライラするし、上記のようなセキュリティ上の理由から画像を表示させないようにしていると何がなんだかイミフなメールでしかない。これはMicrosoftの腐れOEがhtmlメールを標準仕様にしていたことに端を発していることだろう。あのあたりは「htmlメールお断り」みたいな強い論調もよく見かけたものだが、最近はどうでもよくなりつつあるようだ。だが俺は断る。

この画像満載メールは、ほぼ楽天からだけ送られて来る。そのほかにはyahooからすこし来るくらいなので、なぜ楽天がここまで画像付きメールにこだわるのかよくわからない。楽天の傘下に入ってしまった旧イーバンク銀行も、現在の楽天銀行になってからは画像付きまくりのメールになった。ホント、真面目に勘弁してほしい。読む気どころか「楽天」の文字を見ただけで削除してしまいたくなるのである。

あんなメール、貰って喜んでいる奴などいるのだろうか。いるんだろうなぁ。

国民国民って言うけど、誰のこと?

総理退陣などの政治的イベントがあると、よく「国民」という言葉を耳にする。「国民のみなさまの期待に沿えなかった」とか「国民のみなさまにご迷惑をおかけした」とか「国民のみなさまに不信感を植え付けた」とか、とにかくよく聞く言葉だ。

では、この国民とは日本国民の誰を指すのか。このことについては誰もはっきりと述べることはない。それは曖昧のままの方がなにかと都合がよいからだ。この言葉を使って、総理などの「個」から多数に呼びかけるのは正しい使い方だろう。俺が気になるのは、街角インタビューなどで一般市民が使う「国民」という言葉だ。

情報を発信する側は、例えばペルソナモデルなどで標準的な「国民」を想定しているはずだ。政治の政策もマーケティングと同様に大まかに網をかけ、その網にかかる対称をできるだけ(多く|少なく)することが重要なポイントとなるのは言うまでもなく、だからこそ対称を「国民」として総括するのは理にかなっている。しかし、その対象となった一国民が自分の事を「国民」と総括していうのはおかしい。というか、「アナタに総括してもらわなくても結構なんだが」と思う。

こういう使い方は、何かを問いかけられたときに「みんなそう言ってます」と付け加えて答えるのと根本的に同じだ。なぜこういう使い方をするのか。その理由は簡単で、自分の意見であることをはぐらかすためだ。なにか否定的な意見を言いつつ、その言動の責任をはぐらかすために「みんなそう言っている」とか「国民は怒っていますよ」と言うのだ。本当は自分が気にくわないとか怒っているだけなのである。

こういう現象を見ていると、多くの人がはっきりと「俺は怒っている」とか言えるようにならない限り、なにも解決しないような気がしないでもない。しかし、特に大きな不満がないから誰でも持っているであろう小さな不満を「国民」というオブラートに包んで話しているだけなのかもしれん。結局日本って良い国なんだよ、きっと。

火山噴火の影響は経済ばかりじゃないだろ

今回のアイスランドの火山噴火の影響は飛行機は飛ばなくなったことばかりが騒がれている。大陸を結ぶ交通網が遮断された影響は確かに大きいだろう。また、これが長く続けば経済に与える影響も計り知れない。

しかしだ、なにか忘れていないか?そう、気象に与える影響だ。

以前も火山噴火で空気中に大量の火山灰が放出され、その火山灰が太陽光をさえぎることで太陽の照射量が減り異常気象が起こったことがあったはずだ。覚えている人も多いかもしれないが、1991年のフィリピン ピナトゥボ山の大噴火である。(ピナトゥボ山 – Wikipedia) あの大噴火で地表に達する太陽光が最大で5%減少し、北半球の平均気温が0.5℃から0.6℃、地球全体で約0.4℃下がったと言われている。

聞くところによると、今回の噴火が引き金になって、更なる噴火を誘発する危険性もあるという。さぁ温暖化どころじゃないぞ。どうするどうする?

しかし、この気象に与える影響についてはほとんど触れられない。それは確証がもてないということもあるだろうが、たったこれだけのことで気温が下がると言ったら、「エコ」とか「環境」とか「二酸化炭素」なんて話の信憑性が著しく下がるからではないかと思っている。信憑性が下がると「エコブーム」に乗っかっていたいマスコミとそのスポンサーは大打撃だからな。

ということで、半年後あたりに「オゾンホールがでかくなりましたぁ!」とマスコミが騒ぐのに一票。

これは責任回避の手法の一つだ

俺は食料を確保しただけだ。俺だって生きていかなければならない。それなのになぜDNA検査をしてまで犯人扱いされなければならないのだ。

今までどおりに食べたものを捕まえ今までどおりに食べただけだ。ちょっと興奮したけどな。あの場所が誰かの持ちものだなんて知らなかったし、ましてやあの食べ物が俺の知らない世界でどんな意味を持つのかなど分かるはずもない。俺たちは普通に生きているだけなのに、何を騒いでいるのだ。俺たちに「食うな」というのか?と貂は思った。

今回のトキの件はこんな風に見える。侵入されたことに対しての説明はあまりされず、テンがやったことに話題をすり替え、犯人(貂)はコイツだ!ということでお茶を濁そうとでもしているようだ。

何も知らない奴とか何も反論できない奴に責任をおっかぶせておけば楽でいい。これらは「何とか畑がイクナイせいで凍らせた何とか畑を食べさせたら喉につまって死んだJARO。」とか「ライターが火がつくせいで子供が火遊びするジャマイカ。」みたいな話と根っこは同じなのではなかろうか。

反省だけなら猿でもできるらしいが

なんだかものすごく疲れた。まぁいろいろ言いたい事はあるのだろうし、こっちも説明不足だった。聞かれたことに即座に答えられないのは勉強不足と言われても仕方が無い。それも十分理解できる。ただ、同じ内容でも気分を盛り上げる言い方と意気消沈させるだけの言い方では、言われたほうも疲れ方が全く違うものだ。

なんでも否定して叩くのも一つの方法だ。相手によっては「なにくそ」と力が沸くやつもいるだろう。しかし、全く逆効果の奴だっている。俺みたいに、何言われたって自分の基準でしか動かないから全然効果の無いやつだっているのだ。

言われている事はもっともだし改善しなければならないことだってある。それはそれで対処するが、なにより相手の出方を読み間違えたのが残念だ。何事も心に余裕を持って、一生懸命がんばることなくサラっとこなせなかったのは反省せねばなるまい。要は準備が足らなかったってことだよ。

それにしても、成績が悪くなるとみんな不思議と紙に書いた数字や文字に傾注するようになる。これははなぜなんだろう。たぶん心のよりどころというか、言い訳が欲しいんだろうな。カッコつけたって結果は同じなのになぁ。

高速道路の新料金

高速道路の新料金が決まったようだ。基本は普通車2000円、軽自動車1000円、中・大型車5000円を上限とした料金で、土日祝の割引やETCの優遇もないらしい。土日祝1000円を狙ってETCをつけた人には、ちょっと残念な結果になった。

ETCの普及率は全体の4割程度らしい。しかし、高速を利用する車両の80%以上がETCをつけているという報告もある。つまり、よく高速を利用する人ほどETCをつけているということなのだろう。確かにETCは便利だ。

ただ、ETC搭載車両だけが大きな恩恵を受けられる現在の制度はどこかおかしい。ガソリン税や自動車税などは同じ負担をしているにもかかわらず、かたや土日祝日は上限1000円、かたや通常料金などというのはあまりにもおかしな話だ。そんな不公平感は今回の料金改訂で一掃されるが、今度はETCをつけている人のメリットが非常に少なくなってしまった感がある。

さて、この高速道路料金の改訂に、JRが文句を言っているらしい。確かにJRは打撃を受けるだろう。しかし、よーく考えてほしい。現在の移動に伴う費用はすべてJR料金がベースとなっている。高速道路はガソリン代も入れるとほぼJRと同じだし、高速バスの料金はJRの半分というのが基本だ。JRが高いからすべてが高いのだ。自分たちで高い料金に導いておきながら、値下げされると困るんだけど・・・は無いだろう。在来線をぶつ切りに寸断して長距離移動の選択肢を割高な新幹線だけにしておきながら、そんなことを平気で述べる神経がよく分らない。つか、新型車両とかの投入もいいけど、儲かっているから新型を開発投入できるんだよな。いいよなぁ殿様商売出来るところは。

郵貯は資金回収機構だよね

郵政が昔のような状態に戻りつつある流れの中で、今後は郵貯の貯金残高を昔のように増やそうという動きが出ている模様。

郵貯限度額3000万円に引き上げ 大手銀猛反対しない裏事情 (1/2) : J-CASTニュース

これって単に「タンス預金」を差し出させて国債に使うという流れを加速させるってことだよな。貯蓄に回っている金を集め、国債に運用して国策で使える事業に金を流す。そういうことだろ? 資金集めという意味では、文句の出やすい税金アップより金を持っている人に金を出させるこの方法の方がいいかもしれん。まぁ、見た目上の国債額は増えていくだろうけど、国内で金が動いている分には大きな問題にはならないだろ。

ただ、ものすごく気になるのは、官が金を使っても景気はよくなるとは思えないことだな。官の景気対策なんて、道路をほじくり返すかダムを作るか箱物を作るくらいなんで、今までだってずっと同じことをしているのにこんな状況なんだからね。

もう一つ恐ろしいのは、金の使い道がブラックボックス化しちゃいそうなこと。ある人たちにとっては、自由に使える金が増えてウハウハだろうけれど、まだ税金の方がチェックの目が入りやすいような気がする。

といった枝葉末節な話もあるが、動かないで留まっている金をうまく動かせたら、それはそれで良い事のように思う。だけど、国外に金をだすのだけは止めてほしいけどね。

光ケーブルって一般家庭には無駄なんじゃない?

先日、いい気分で眠っているところを突然息子に起こされた。プロバイダだかなんだかの勧誘が来ていてなにがなんだか分かんないから対応しろと言うことらしい。

眠い目をこすりながら玄関に行くと、ねーちゃんが立っていた。開っ放しにしたら猫が逃げるだろこのドアホとか思いながら話を聞く。通りいっぺんとうなお話で面白くもなんとも無い。俺は、俺の家では光にすると割高になること、光が優位とする通信スピードはそこまで必要ないし今でもADSLで十分すぎるスピードが出ていること、光は停電すると電話さえかけられなくなること、という理由から光にするつもりは無いことをはっきりと伝えた。この勧誘員はそんなにしつこくなかったので「ゆくゆくはあらゆるものが光ケーブルで接続されていくようになりますので、それまでには云々」とかなんとか言って帰っていった。

ちょっとまて。

固定電話ってこれからも存続できるのだろうか。それこそ中継基地のようなポイントがあって、それ以降は無線に取って代わられるんじゃなかろうか。そう思うと、今やっているNTTの戦略は、ただ単に他の通信業者を締め出すためだけに行っているとしか思えない。それは料金体系を見れば明らかで、他と競争するように見せかけながら、きちんと固定費だけは上げているのだ。この料金戦略、ファミレスのすかいらーくがガストに変わったときに使った方法とそっくりで、単品は安く見えるが合わせると今までとなんら変わらないかそれ以上の値段になる。

おっと話があさってに飛んでいってしまった。とにかく俺は家庭に一本の光ケーブルなんて意味が無いと思う。そのくせ、マンションなどの集合住宅ではケーブルを効率的に使おうとしていたりするのが笑える。つか、契約させる主目的はインフラ整備なんだろうから、一戸建てとマンションタイプの価格に差をつけるのはどうかと思う。工事費は差があっても仕方ないが、使用料金に差があるのは絶対におかしい。あ、またそれた。

NTTは、とにかく現在の銅線から光ケーブルに変えたいのだろうな。基幹はすでに変わっているんだろうし、後は俗に言うLast 1 mileなんだろう。だけど、そのメリットは利用者にはほとんど感じられないように思えるのは俺だけだろうか。

ムダという台詞の意味

このご時世では、仕事場で「ムダを省こう」という掛け声が掛かるところも多いだろう。節約だとか省エネだとかエコだとか言葉は様々だろうが、大きな目的の一つは支出の抑制だ。

先日ある会社で、仕事上の手続きに一手順増えることが決まったらしい。今まで曖昧だった点を改善し、書面で履歴を残すようにしたもののようだ。一手間増えると言っても、実際は後工程にあった手順が前に回されただけの話なのだが、その手順を行う部署が変わったので仕事が増えた箇所は当然ブーブー文句を言う。その文句の一つに出てくるのが「これって紙のムダだよね」である。

その手順を増やしたのは、その手順を増やすことでもっと大きな損失を未然に防ぐのが目的のようだ。年間10,000枚の紙を使っても、その手続きが無いために起こるかもしれないロスは10,000枚の紙の価格よりはるかに大きい。まぁ、その手続きにかける時間を計算したら少々疑問が残る効果額にはなるが、紙の価格だけで論じれば「ムダ」ではない。

こういうことを言う人は、ムダにかこつけて「やりたくない」とか「やる意味なんてない」ということをアピールしているだけだ。なぜ単刀直入に「これってやる意味ありますか?」と言わないのか。それは多分、本当にやる意味があるかどうかまで考えきれないからだろう。リスクを考慮し、そのリスクと見合う労力・コストであるかまで計算できない(したくない)から、目先の誰でもわかる話に置き換え自分の正当性を訴えるのだ。そんなこといっている奴に「オマエが一番ムダだ」と言ったらどんな顔をするのか見てみたい。

と、心の友が言っていた。それこそオマエがムダなのかもよ、と思ったが言葉にはしなかった。

樹液に集まる虫に善悪はあるのか

NHKで、過払い金にまつわるトラブルの番組を見た。過払い金の回収が出来る事が知れ渡ってからこういったトラブルはよく聞こえてきたので、何をいまさらの感が強い。冷めた目で見ると、今までおいしい思いをしてきた消費者金融などがルール改正で不利になり、変わりに弁護士がおいしい蜜を舐められるようになったというだけにしか見えない。

そのおいしい蜜とて今までのように無尽蔵にあるわけではなく、高金利での債務がなくなるまでの話だ。せっせせっせと借主に蜜を運ばせていた元締めが、突然その蜜を置いたまま雷に打たれて死んだようなものだ。その余った蜜に集まる虫にはカブトムシもいればスズメバチやガの類もいる。カブトムシやクワガタはカッコいいのでもてはやされるが、蜜が吸いたくて集まっただけだ。そんな風にしか見えない。

弁護士を使うと金がかかるものだ。債務免除などの成功報酬は大体債務の3~5%は当たり前。100億の債務をうまく話をつけた場合、その報酬は3億以上だ。消費者金融の場合、そもそも債務がチャラになって過払いが戻ってきたとしても債務合計として400万程度だろう。その金額から言えば5%の20万が成功報酬、その他相談費用とかなんとかで50万円はガチンコの相場だろう。ただ、この金額が明示されていないことが多いのも事実で、今の弁護士は昔のすし屋みたいな状況だ。

それにしても、もともとは「借金をした」ことが始まりであり、その点を忘れてその後の不具合ばかりを話題にするのも如何なものかとは思う。甘い蜜に虫が群がるのは当たり前のことで、その虫の良し悪しはぱっと見た目には分からない。以前とある年配の弁護士から聞いた話では、地方の弁護士は未だに「倫理観」を重んじる人が多いらしいが、首都圏などではその「倫理観」を軽視する弁護士も増えているとのことである。ビジネスと割り切って損得勘定だけで動く弁護士だって多数いるはずで、そういう意味では、大々的に宣伝している弁護士事務所は債権処理を大きなビジネスチャンスとして捕らえていると見てもいいのかもしれない。ということは・・・