今年は時代の変わり目だったのかも

2017年も今日でおしまい。最近は毎日更新という足かせも外してしまったので、230ほどのエントリで終了。かなりサボったつもりだが、200超えしているとは思わなかった。

今年はマスコミの酷さが暴露された記念すべき年だったように思う。あと、年末になって、やまもといちろう氏の祝砲が立て続けに背中にヒットしたのが面白い。マジにこうならないことを祈るばかり。

来年でこのサイトも14年めになる。感慨深いなぁ。

砂の器

鬼畜を観たら「砂の器」も観なきゃ。俺の中では泣ける映画No.1がこれ。はじめて砂の器を観たのは、もう40年以上前、たしか中学生の頃だったと思う。ということで、砂の器を改めて観た。

この映画、内容もさることながら日本の美しい四季が見事に表現されていて素晴らしい。秀夫と千代吉が旅をするシーンはなんど見てもいい。

改めて気がついたのが秀夫と千代吉のセリフの少なさである。素晴らしい映像には言葉はいらない。表情、仕草だけで全てが伝わってくる。必要以上の説明的なセリフは作品を陳腐化させるだけなのだなと改めて思った。

最近のディズニー映画を好きになれないのがこのあたりだ。ダンボは良かった。セリフがなくとも全てがわかった。古くから演じられているバレエもそうだ。言葉はさほど要らないのである。

千代吉が施設に運ばれていくシーンは何度見てもグッとくる。施設で秀夫の写真を見た千代吉の反応も胸が苦しくなる。鬼畜でもそうだが、「こんな人知らない」と拒絶をしなければならない心情を思い量るとやるせない。いい映画だなぁ。

TVドラマ版「鬼畜」は思ったよりよかった

クリスマスイブの日、テレ朝でドラマSP 松本清張「鬼畜」が放映された。

俺の中で、鬼畜といえば「緒形拳」主演の映画である。映画版での岩下志麻の鬼嫁っぷりはマジ怖いレベルだったし、小川真由美の鬼気迫る表情もすごかった。緒形拳のダメダメっぷりもいい。で、どうせあのレベルには行けるわけないだろうと思いつつ、映画と比較してみたくなって観てみた。

TV版での竹中宗吉は玉木宏、宗吉の嫁は常盤貴子、宗吉の愛人は木村多江という配役。映画ではそれぞれ緒形拳、岩下志麻、小川真由美である。ストーリーも映画とは若干違っていた。思っている以上にしっかりと最後まで見ることが出来たのはちょっとした驚きだった。個人的には最後が面白くなかった。こういう物語は後味も悪いほうがいい。子どもは親から見捨てられるのが一番怖い。だからどんな親であろうと慕ってくる。たとえ殺されそうになろうとも・・・だからこそ映画版の最後は辛く悲しいのである。

さすがにTVではそこまでの重みは出せなかったのかもしれないね。

TV版鬼畜はネットでも評判が良いようだが、TV版を面白いと思ったなら映画版も観たほうが良いと思うよ。

「StarWars最後のジェダイ」観てきた

観ましたよ「StarWars最後のジェダイ」。

なんと言ったらいいものか・・・面白いといえば面白いんだけど驚きはない。それどころか「なんで?」みたいなところも多く、結構残念な出来だとしか言えない。

もともとStarWarsは科学的におかしい点は多々ある。最たるものは宇宙空間を飛行する際に飛行音がするところ。こういうところは「科学的に正しい」<「感覚的にマッチしている」という優先順位付けだろうから良しとしてもいい。だが、「そんな手があるんだったら最初からやって被害を最小に留めろよ」みたいなストーリーの展開はかなりいただけない。もうアホかとバカかと。リスク管理も出来ないリーダーに率いられた部隊は悲惨だね。

ファースト・オーダー、レジスタンスともにダメダメリーダーぶりを発揮しすぎていて全く笑えない。物語が超チープになっているのはそのあたりの薄っぺらさだ。これがシリーズ最大の衝撃作とは。お世辞にもそんな作品とは言えない。

更に言うと、全く物語に関係のない「ポーグ」とかいうウケだけを狙ったようなキャラなど、見ていて興ざめしまくりである。あーあ、って感じ。薄っぺらすぎるよ。

面白いことは確かなんだが、最近のディズニーの「どう、面白いでしょ?」感が鼻について気持ちが悪いのである。なんだかエピソード9もあまり期待できない感じがするなぁ。

朝日新聞オワタかもね


ふむ、これは一体全体どうしたことか。どっちが正しいのかは問題になっている小川栄太郎氏の著書を読んでみないとわからんので、早速購入した。

ただ、モリカケ問題において、マスコミはかなりの偏向報道をしていたように見える。その中でも朝日新聞は、捏造した慰安婦問題について未だに火消しに回るつもりも無いらしいので、信用できない新聞社の筆頭に思えてしまう。

というか、正しいことを実証できない、もしくは小川栄太郎氏の著書を論破できないから、第三者機関に判断を委ねたようにしかみえないのだが、どうか。新聞社がこれでいいのか?

こんな時に、まさかの「感情を報道にしてます宣言」(朝日新聞・高橋純子氏 「安倍政権の気持ち悪さ伝えたい」)とか、間が悪すぎるしアホかとバカかと・・・

音声入力便利すぎる

仕事でちょっとした記録をとりたいことが増えてきた。今まではスマホからEverNoteにスクリーンタイプ入力していたのだけれど、Typoが多すぎてめんどくさい。これって音声入力できないのかなとか思っていたのだが、Google音声入力を使えばあっさり入力できることに今更気がつく。うん、便利だ。

これを、通話もできるBlueToothイヤホンをマイク代わりに使って出来たら便利じゃね?とか思って調べたら、あるんだよねやっぱり。

BTmono

このアプリを起動させると、イヤホン内臓のマイクがONになってそのままGoogle音声入力が使える。うーん便利。

バイクの空吹かしは煽りじゃないときもあります

えー、これマジであります。年に数回程度だけど。ちょっと焦ったときに1速に入れたつもりが入っていなかったとか、1速から2速に入れたときに入らなかったとか・・・

あとね、信号待ちなどで1速に入れたと思っていたら実際は2速とか3速とかで、

発進したらエンスト→慌ててセルを回す→アクセル開けすぎ→ブォーーーーーン(T_T)

とか

発進したらエンスト→慌ててセルを回す→1速に入れたつもりがN→アクセルON→ブォーーーーーン(T_T)

とか 

発進しようとしたら回転落ちすぎ→慌ててクラッチを切る→よわーい半クラ&アクセルワイドオープン→ブォーーーーーン(T_T)

とか・・・

こういうときって、フルフェースで良かったと本気で思うわけ。ついでにいうと、恥ずかしいからいつもよりもダッシュでその場を離れるんで、ますますブォーーーーーン(T_T)ってなります、ええ。

元号の使用はオプションにしようよ

平成という元号は2019年4月30日を持って終了である。昭和生まれの俺なんて元号で言えば2つ前になるわけだ。俺が若い頃は明治生まれの人を爺様扱いしていたわけだが、それと同じような境遇になってしまうと思うと感慨深い。

元号は残すべきなのか?田嶋陽子氏「官公庁で使うのはやめるべき!」

元号が変わることで、役所の書類関係は全て作り直しになるのかな?これは無駄以外の何者でもない。そろそろ昭和◯◯年と言われても何年前なのかわからなくなってきている。そろそろ元号を使うのはオプションにするべきだと思う。

生産性って結果論だよね

日本の労働生産性は低いと言われて久しい。先日発表になった労働生産性の国際比較 2017 年版でも、時間当たり労働生産性でOECD加盟35ヵ国中20位、1人当たり労働生産性はOECD加盟35ヵ国中21位、製造業の労働生産性も主要国中14位で過去最低らしい。

こういう話を聴いていつも思うのが「生産性を高めるとどうなるの?」ということだ。日本より上位にいる国と日本を比べて何がが違うのか全くわからない。また、生産性を引き下げている原因も書かれていない。

ぱっと見た目で話をすれば、日本は生産性の高い国よりも過剰な品質・サービスを求められているだけじゃないのか、と思う。生産性は一つの指標だけで決まるわけではなく、(売上や製造量など)÷(投下労働量)の2つの要素からなっている。生産性を高めるためには、同じ売上であれば投下労働量を引き下げる、同じ投下労働量であれば売上を増やす必要がある。日本で言われるのは大抵「同じ売上であれば投下労働量を引き下げる」ということばかり。なぜか「価格を上げれば?」とは誰も言わないんだよね。話を振られるのが学者とかコメンテーターといった、実際の現場から遠くはなれた位置にいる人ばかりだからしょうがないけど。とか思っていたら、こういう話が出ていた。

日本の労働生産性が低いのは「値上げ」しないから? ちきりん指摘「効率化が生産性を上げると思っている間はずっと最下位」

うん、そうなんだよ。価格を上げたいけれどなんだか上げにくい。特に飲食店関係はそう。なぜなら必ず下をくぐってくる(低い価格で提供する)ところが出てくるから。

低価格路線って、結局薄利多売にするしかない。だけど、もう大量消費の時代はとうに過ぎ去っている。となると、結局ブラック対応で労務費を削るしか手はなくなるんだよね。

過剰なサービスもそう。ネットの口コミとか、安いものに限って口コミが多くなる。極論をすれば安いものに群がる人ほど文句も多くなるってことだ。企業は文句を書かれるとダメージがデカイので、その文句にも出来る限り対応しようとする。結果として過剰なサービスとなって必要以上のコストがかかる。だが、なぜか価格には転嫁できないのだ。

しかし、そろそろそれも終わりだろう。この人手不足の状況が続けば、採用コストを始めとした人件費関連の費用がどんどん膨らんでいく。それはそろそろ現場努力だけでは対応出来ないレベルになる。もう価格に転嫁するしか手はなくなって来ているのだ。消費税アップと合わせて、一気に物の価格が上がるかもしれんね。

労働力不足にはこれで対応しよう

労働力不足が叫ばれて久しい。最近の求人の状況は、バブル最盛期なみだという人さえいる。ある学校関係者によれば、今まで落とされていたレベルの職場でもどんどん採用されているらしい。

さて、この労働力不足を解消するにはどうすればよいか。

省力化とかの前に、働く人を増やせばいいんじゃね?とか思う。文部省の調べによると、2014年の大学生は285万人、2016年の専門学校生は59万人、合わせてなんと344万人もいるらしい。日本の就業者数は2017年10月で6581万人とのこと。学生の半分が進学しないで働けば3%弱の労働人口が増える。

学校で教えるんじゃなくて、職場でのインターンシップ主体に切り替えたほうが、学生も企業も喜ぶんじゃね?合わせて定年を70歳まで持っていけば、5%くらいは労働力がアップするかも。

誰も賛同しないかもしれんが、学校を潰せば働く人は出てくるかもよって話でした。

多いねハリルホジッチ批判

先日の韓国戦の負けから、ハリルホジッチに対する批判がまたまた増えてきたように思う。代表監督なんて勝ち続けても文句を言われる商売だから、宿敵韓国に惨敗したとなれば目の色を変えて怒る人も多いのは仕方ない。

だが、「やっぱり日本はパスサッカー」みたいな論調は理解できない。パスサッカーの道をどんどん進み、それなりの形になって臨んだブラジルワールドカップの惨敗を忘れたのだろうか。あのときの日本は手も足も出なかった。「自分たちのサッカー」が木っ端微塵に打ち砕かれたあの衝撃。みんなもう忘れたのだろうか。コートジボアール、コロンビア戦は完敗、ギリシャ戦は途中から10人になったギリシャを攻めきれない。日本のパスサッカーなどあの程度なのだ。ブラジルでも攻めあぐねてバイタル前でウロウロする姿が多かったのに、みんな忘れてるんだな。忘れられる人は幸せでいいよな。

ドイツワールドカップのときもそうだ。中田を中心にしてゴールデンエイジで固めた日本代表だったが、オーストラリアに惨敗、クロアチアには力負けしなかったもののバイタルには入り込めず引き分け。ブラジルには圧倒的な力の差を見せつけられた。

はじめてのワールドカップであったフランスワールドカップでは、完全に弱者の戦い方に徹したが、その力の差はいかんともし難く3敗だった。だが、ドイツワールドカップ、ブラジルワールドカップのほうがコテンパンに負けた感が強い。実際にフランスでは4失点、ドイツは7失点、ブラジルでは6失点である。これら全て自分の力を見誤った結果ではないのか。

その反省を元に、パスサッカーだけでないチームを作るべく呼ばれたのがアギーレでありハリルホジッチであったはずだ。それなのにああそれなのにそれなのに、昔の姿に戻せという。もうね、勝手に騒げば?としか言えない。日本は弱いんだってば。弱いから安全地帯でボールを回すしか出来ないんだってば。第4ポッドに入る実力しか無い国なんだってば。

ハリルホジッチ批判をする人は、日本人にあったサッカーとか夢見て、負け続けてもすべて監督のせいにして気が付かないフリをするんだろうなー。

韓国戦でなぜハリルホジッチは騒がなかったか

というか、ワールドカップ予選が終わってから、いや、正確にはワールドカップ出場を決めてから、ハリルホジッチは試合中じっくり座って見ていることが増えたように思う。韓国戦は完全な負け試合なのに騒ぐことも少なく、じっくり選手を見ている感じだった。

これは何を意味しているのか。

考えられる1つめは「諦めた」である。ワールドカップ組み合わせも決まり、今の戦力ではグループリーグを突破できないと判断したから騒がないのかもしれない。ただ、そうであればマスコミ受けする「繋ぐサッカー」を取り入れていくのではないかと思う。だが、そんな傾向は全く見られない。

2つめは「今は見極めの時期」と割り切っている、である。ハリルホジッチは対戦国を分析し対策を練りはじめているはずで、そのイメージを元にチームを組み立てて行こうとしている。そのイメージに合う選手は誰なのかを見極めているのかもしれん。出来上がったチームがどんな戦い方をするのかは企業秘密だ。だから今の段階では手の内を明かさず、ダメダメチームと思われていたほうが戦いやすい。

ハリル日本のグダグダ感は情報戦? メディアもファンも試されている

俺はこっちが正解なように思う。選手も監督もダメダメ。日本組み易し。こういうイメージを植え付けたほうが本戦では有利だ。上の記事でも書かれているが、岡田監督で南アフリカワールドカップのグループリーグを突破できたのは、それまでとあまりにも戦い方が違ったからというのも大きな要因だ。あそこまでチームを変えるなんて、見ている方もびっくりしたもの。当然相手国も驚いたに違いない。それをハリルホジッチは意図的に行える経験がある。未だにパスサッカーの幻想を捨てきれない人たちには面白くないだろうが、日本のパスサッカーなどまだまだ世界には通用しない。あのスペインだって負けるのに、なぜ日本がそれで勝てると思えるのか不思議だ。

【サッカー日本代表】日本の「常識」は世界の非常識

格上言われる相手と同じ土俵で戦って勝てるのであれば、それは格上とは言わない。「自分たちのサッカー」を推奨する人は、そのことをわかっているのだろうか。ブラジルに個人技で勝つとかスペインにパスサッカーで勝つとかイタリアにカウンターで勝つとかイメージできるのだろうか。ガチンコ勝負ではまぐれでも勝てないだろう。勝てる可能性を如何に高めるか、これこそがハリルホジッチに課せられた課題である。E-1を勝つことでも親善試合で良い試合をすることでもないのだけれどねぇ。

意味不明な「自分たちのサッカー」論はやめるべき

先日の日韓戦はひどい出来だった。近年まれにみる凡戦というか、日本代表の悪い点がすべて出た試合だった。

判断、動き出し、パススピードのすべてが遅い。ボールが来てから「さて、どうしよう」では遅すぎる。ボールを呼び込む動きもない。指示待ち社員のように、誰かがボールを出してくれるのを待っているだけ。そんな調子だから、味方のためにスペースを作ろうという動きもない。そして、とにかくパススピードが遅い。あんなコロコロ転がすパスが通るわけがない。結果としてシュートまでもっていくことが出来ず、バイタルの手前でうろうろしているだけとなる。

すべて今までずーっと日本代表が言われ続けている問題だ。

こういう試合になると、必ずと言っていいほど解説者とかから「自分たちのサッカーをしないとだめだ」というコメントが出る。

ちょっと待ってくれ。そもそも「自分たちのサッカー」ってなんだよ。そんな具体性に欠ける言葉でごまかしているからこんな体たらくが続いているのをそろそろ気が付くべきだ。「自分たりのサッカー」という言葉ですべてをごまかしているに過ぎない。ブラジルのサッカーといえば個人技、ドイツのサッカーといえば組織力、イタリアのサッカーといったらカテナチオ、なんてもう古いし、そんな漠然としたイメージは後からついてくるものだ。コンセプトで勝てたら苦労しない。アホか。

日本人はスポーツに必殺技があるとでも思っているのだろうか。「自分たちのサッカー」という言葉が、キャプテン翼の必殺技と同じに聞こえてしまう。

もっとしっかりと現実を見て、いま日本に足りないのは何か、それを補うためにはどういう育成をしていかなければならないのか、また、日本の強みは何か、それを強化していくことでどこまで世界に通用するのか、これらを詳細に分析し、優先順位をつけて選手強化に織り込んで行かねばならない。

昨日の試合は監督の能力以前の問題だ。あの大人しい今野が不機嫌そうだったのは、選手全体に戦おうという気持ちが感じられなかったからではないのか。

ここからはずっと大敗すればいいと思っている。そして自分たちの実力を体で覚え、その実力でどこまで戦えるのかをしっかりと考えたほうがいい。なりふり構わずどんな手を使っても勝つことより、カッコよく負けたほうがいいのであれば、どんどん「自分たちのサッカー」論を突き進めばいいんじゃないかな。

日本のサッカーを強くしたいと思うのなら、漠然とした「自分たちのサッカー」という言葉は金輪際使わないようにすることを強く進めるね、俺は。

サッカーのネット中継はものすごくイケてた

先日、Huluでクラブワールドカップのパチューカ VS ウィダード・カサブランカがライブ中継されていた。

驚いたのは現地の音と映像のみの放送で、解説もなんにもなかったことだ。これ、驚くほどいい。如何に日本のTVがうるさく、そのために試合に集中できていなかったかがよくわかった。選手のポジションや背番号、およびプレーの特徴から選手を判断しなければならず、TVなのにスタジアムで見ているような気分になった。

こんな映像を流せるのもネットならではだ。意味のない規程や視聴者を馬鹿にした番組編成TVではとうてい無理だろう。

これからもどんどんこんな放送をして欲しい。