ミクシィが安全になるためには何をすればいいのか

J-CAST ニュース : ミクシィで売春「募集広告」 安心サイトのアブナイ現実

さしたる根拠もなくミクシィは安心だと思っている方が片腹痛く、これはまるで実名にすれば云々…(つまらないので以下自粛)

戯言はさておき、この状況はMS社のOSとダブって見えるのは俺だけでしょうか。安心安全という評判はユーザ数が少ない頃だけの話で、いろんな人がかかわってくるとボロが出まくりさあ大変なんてあまりにも似ています。今のミクシィの状態は、例えるなら「トロイの木馬」を受け入れてしまったWindowsといったところでしょうか。バックドアは仕掛けられるはファイルは感染していくはで、このまま行けば崩壊間違い無しです。ファイアウオールもウイルス対策ソフトもない、そしてパッチも当てていない脆弱なこのWindowsマシンの中には、悪企みを持つものが涎を垂らしてしまうほどのおいしい情報が無造作に置いてあるのです。その情報を狙うなという方が無理でしょう。

このような状態に陥ったのは、簡単に言えばミクシィの敷居が下がったからです。それなりの信用できる人からの紹介が無ければアカウントがもらえない、そして紹介した人も紹介された人も信用度が高い。それがミクシィの価値であり存在意義であったはずです。平たく言えば、昔は会員制の高級クラブだったのに、今は会員カードを乱発した居酒屋になってしまっています。今のミクシィにとっては、再びアカウントの価値を上げることが最重要命題でしょう。その価値をもう一度取り戻さない限り、ミクシィの復活は絶対にありえません。

現状を維持したままこの危機を打破する手段はあるのでしょうか。多分無いでしょうね。いくら対策を打っても無理です。なぜなら、すでに多数のウィルス・ワーム(なユーザ)に感染してしまっているからです。そのウィルスやワームを完全に除去するためには新規インストールしかありません。つまり、一旦全てを破棄して再スタートするしかないのです。もっと具体的に言うなら、ウィルスやワームなユーザの排除が必要不可欠で、そのためには今の全ユーザを一旦登録抹消するしかありません。

ミクシィのアカウントを取得しにくくしてユーザを再登録させるとか、新たに(現状の有料プレミアでない)プレミアをつけたミクシィを立ち上げるとか、方法はいくつかあるでしょう。そうやってミクシィアカウントの価値を上げることが、必ずやファイアウオールやウイルス対策ソフトやパッチあてと同じ効果をもたらすでしょう。まぁ、無理だろうけど。

がんばってね、ミクシィくん。爆発しても鎮火しても燃えつきても建て直しても、その様子だけは草葉の蔭から野次馬見物させてもらうのでよろしくね。

アジアカップを振り返って

イラクのみごとな初優勝で、長かったアジアカップが終わった。結果だけ見てもイラクは6試合で2失点しかしておらず、試合内容もそれぞれ見ごたえのある試合っぷり。ついにイラクが目を覚ましてしまったというところか。イラクには心からおめでとうと言いたい。これが何かにきっかけになるといいね。

さて肝心の日本だが、10人の韓国にもPK戦で負け4位という結果だった。いろんな所で悲観的な意見をみるが、ジーコの時でさえ脳天気だった俺はノーテンキ全開である。なぜなら、日本は延長戦まででは1敗しかしていないからだ。サウジも決勝で1敗、韓国も予選で1敗しているのだから、そんなに悲観することはない。それどころか、日本はよほどの事がない限り圧倒的にボールを支配出来、そして「負けない」ことがよくわかったからだ。

韓国にPK戦で負けた後、個の力に言及する選手が多かったようだが、個の力が不足していてもボールは支配できたのである。これってすごくないか?

シュートが足りないだとかボールを回してばかりだとか言われているが、本当にそうだろうか。確かにそういう面もあったかもしれない。しかし、俺は韓国戦をみていて少し考えが変わった。延長最後の5分まで相手をなぶり、本当に相手が死にかけている時に嫌なことをしてくるのがオシムなのだ。つまり、とにかく負けないようにしながら勝つ確率をとことん上げることがオシムなんだと…。実際今大会でもリードされていないときは安全率を70~80%に取りリスクを回避、無理はしない。リードされたらリスクをしょっても取り返しにいく。そんな姿を目の当りにしたじゃないか。そしてリスクを負えば、今のメンバーでもそれなりに点を取れるのである。

そうはいっても、個の力は確かにもう少し上げてほしい。そしてパスのスピードと精度を上げてほしい。もちろん判断のスピードもだ。今でもアジアではトップクラスなのは間違いないのであるから、あともう少しで頭二つくらい抜け出せるようになると信じている。

最後に「PKは蹴りたくなかった」なんて言っている羽生、なに弱気になってんだよアホウ。そんな弱気な部分がボールがゴールに嫌われた原因かも知れんぞ。もっと強気になれ。そして自信を持て。お前が出てくると流れが変わったのは事実なんだから。もっと走れるようになってもっとスピードをつけてもっともっとうまくなれ。お前なら出来るよ。

これはひどい。ぶ、侮辱だっ。

このサイトの名称は「おやじまんのだめだこりゃ日記」である。おやじという文字が入っているせいか、最近GoogleAdsenseで「おやじ」に関連した広告が掲載される事が多い。一番多かったときで、5件中3件が「おやじhogehoge」みたいな広告だった。俺は、心は太平洋より広く情けは日本海溝より深いと自負しているので、このくらいではへそで茶を湧かすのは無理だ。

だけど、最近は「加齢臭」の広告が必ず出ている。「カレーシュー?カレーぱんの従兄弟か」なんてオヤジギャグさえ通用しないクリティカルヒットワード「加齢臭」だ。どんな匂いかも判らない加齢臭であるが、Googleは「おやじ=加齢臭」と認定しているのだ。これを侮辱といわずしてなんといえばいいのだ。この広告を見るたびお前はくっさーいと言われているような気がして俺の小さな心はチクチク傷む。そして、朝起きると枕が涙で濡れているのである。

また、昔書いたエントリで、ネズミ捕りに捕まったその1その2その3というのがあるのだが、このエントリのGoogleAdsenseもひどい。

これはあんまりだ

ネズミ捕りだからネズミ駆除情報交換サイトというのはあまりにも芸がなく笑えないが、問題はその次だ。なぜ小陰唇なのだ。おやじはそんなに小陰唇が好きなのか?Googleの判断はおやじは小陰唇が大好きなのだな。そしてその次にはまたもや加齢臭である。ああ、いったい何が言いたいのだ。

きっと、おやじは臭くてエロいドブネズミということだな。

あんまりだよ。

こんなExcelの使いかたなら手で書いた方がましだ

少し前に仕様書をExcelで書くんじゃねぇという記事を目にしていたのだが、この中で「方眼紙ワープロ化Excel」って言葉があった。方眼紙みたいにしてExcelを使うことなんだろうけど、実際やってみると結構ツライものがあるよな、あれ。この方眼Excelは外人をオーマイガーさせる呪文のひとつらしい。

というか、セルの結合を多様しているフォームは、その後の変更などが非常に厄介だよ。セルの結合を多様していると、追加や削除したら結合が崩れるとかコピーがうまくいかないとか、そんなのばっかりだろ。そんな苦労する環境を自分から作り出すアホウっているんだと思っていたんだ、そのときは。

ある日、とある会計事務所から送られてきた添付ファイルを開いた俺は、すこし感激したね。そこには外人をオーマイガーする方眼excelがあったから。で、俺も一瞬外人になった。

こういうexcelの使いかた、俺は本当に理解できない。まず第一に、何でA列で余白を取るのか、その理由が判らない。余白は印刷の設定で行わないと印刷したとき狂うだろうがこの阿呆。データの入らない列を作るなんて無駄だろう。わかんねーのかなぁ。ばっかじゃねーのコイツ。

第二に、このくらいのシンプルな表でなぜ方眼にするのかだ。方眼にして結合して…かかっているのは手間だけじゃんか。そもそも結合されたセルのデータって、格納場所を考えたらなんだか不安じゃないか?このデータはどのセルのデータだろうなんて考え出したら夜も眠れないぞマジで。君の頭の中、一度開いて俺に見せてくれる?お願いだから見せてくれよ。きっと何か異物が入ってると思うよ。

第三、データを集計することを考慮したら、2行を使ったデータ表現はしないだろ、普通。なんでこういう風にするんだろうなぁ。俺にはこういう表を作る思考回路が理解できないよ。合計を出すとき一行おきにやるのかよ。まぁ、数行おきのデータ合計を一発で出す計算式もあるけどな。だけど、1レコードは1行に入れなきゃ美しくないじゃんか。

あと、これはおまけだけど、エクセルってA1形式だと「列、行」の順の表示だけど、マクロやR1C1表示だと「行、列」になるのはなぜなぜなぜ?気持ち悪くないのかね。表記変えたら意味が入れ替わるんだよ?おかしいよ、絶対。そもそも変数に置き換えられないA1形式なんて使うなこのタコ。

と、いいたいことはまだまだあるけれど、こんな使いかたするくらいなら手で書けこの阿呆、と叫びたい。時間の無駄無駄無駄ァァァ。こういうのを平気で作る人は絶対パソコン使うのやめた方が効率あがるよ。保証する。

Nucleus v3.3の自動ドラフト保存を無効にする

Nucleusのヴァージョンが3.3になって、自動ドラフト保存という機能が新たについた。この機能でオペレーションミスやブラウザのクラッシュで書きかけの記事が消滅、なんて事態は少なくなるだろうから、いい機能がついたなと思っていたのだが…

エントリを書きあげてアップしてみると、エントリの番号がかなり飛んでいる。普通なら登録した順に通し番号でエントリ番号が振られるのだが、ドラフト自動保存機能が付いてからはエントリ番号に欠番が出てしまう。ひどいときなど6番くらいすっとばしてくれている。どうやら自動保存時に番号を変えてしまうようだ。

実害はあまり無いのだが、総エントリ数に近い数字が出ていた方が助かるのも事実。それに、実際に使ってみると、自動ドラフト保存の必要性はあまりない。じゃ、この機能を停止してしまえと設定をいろいろ見たんだが、ブログの設定画面からは自動ドラフト保存を停止させることは出来なさそう。ざんねーん。

しかし、こういう時こそNucleus(JP)サポートフォーラムのお出ましだ。検索してみるとNucleus(JP)フォーラム :: トピックを表示 – v3.3の自動ドラフト保存が文字化けすると言うトピックがある。そのものズバリではないが、もしかしたら技術的ななにかが書いてあるかもと思いみてみたら、そのものズバリ発見。

nucleus/libs/include/ディレクトリ内の .tamplateファイル4つの

という行を削除すれば自動保存しなくなると思います

早速削除すると、お見事、自動ドラフト保存機能は無効になりましたとさ。

よかったよかった。

俺が実社会の権力者だったらという妄想

もしも俺が実社会の権力者なら

一般人の神経を逆撫でしないよう注意はする。スクラムを組まれるとうるさくて厄介だ。だが、根本的には気にしない。いざとなればそんなのひねりつぶせばいい。もし刃向かうものがいたら少しガツンと叩いて自分の力を示し、後は無視だ。大物は回りを飛ぶ蝿など気にしない。もちろん、こちらがひねりつぶされる可能性がないとは言えない。だけど相手は結局便所の落書きや野次馬レベルのイナゴで、そんなのと立場のある俺と比べるべくもない話だ。

だって、俺様は権力者だもの。そして頭も悪くないし弁も立つ。金もあるし社会的地位もある。言うなれば既得権の塊だな。その既得権も、俺様が自分で勝ち取ったものだ。文句あるか? 負け組が騒いでも所詮負け犬だってことを知っているか? 世間がどちらの言うことを信用するかなんて、考えるだけ無駄というものだぜ。そんな人生の成功者たる俺の言うことは黙って聞け烏合の衆め。ま、騒ぐ奴も一人ずつちょっと小難しい話をして権力をちらつかせて脅せば黙るけどな。所詮ステージが違うんだよ俺ときみたちとはね。

と、絶対に思う。ちょっと脚色しすぎだが、表面には出さなくても、程度の違いはあれ必ず思う。これは断言していい。

そんな考えなど持たない人もいるかもしれない。だが俺は、立場のある人や権力を持つ人は、少なからずこういう考えを持っていると信じている。それは俺の立場のある人や権力のある人に対する劣等感であり妬みであり敗北感だ。だから、立場のある人や権力のある人とそうでない人との間には大きな溝が横たわっていて、それは決して埋まるモノではないと思っている。そして、地位の高い人や権力のある人が、そのネガティブな意識を必要以上に刺激するとイナゴの大群が表れるのだと思うがどうか。ごくまれにベルゼブブのように蝿を自在に操る能力を持つ者もいるようだが、本物は意味もなくイナゴを呼び寄せたりしないし、ざわついても鶴の一声で納めちゃうだろうがね。

ネットでの並行線をたどる議論を見ていると、いつもそんな事を考える。ネット社会は平等と思いたいのは勝手だが、決して平等などあり得ない。逆に、実社会が透けて見えるヴァーチャルな世界であるが故、ある一定のレベルから実社会での立場や権力とそれに対する嫌悪感が余計に際立つような気がする。ネットが一種のフィルターになって感覚さえもデジタル化させ、境界を際立たせているのかも知れない。

実社会では衣服や装飾品や持ち物などで相手に対してさまざまな先入観が芽生える。蔑んだり優越感に浸ったり惹かれたりと、その人の事を知る前にさまざまな先入観が植え付けられる。当然その先入観を故意に利用する人もいる。これは対等な関係のスタートとは決して言えないだろう。また、実社会はネットよりも情報量が多く、さまざまな側面から判断することが出来る。しかしネットは違う。実社会よりもずっとステレオタイプのバイアスがかかりやすい。

スタートが対等でないのに平等もへったくれもないのである。実社会で言えば全ての人が一糸纏わぬ姿で相手に接するような状態、ネットで言えば全ての人が実態のない単なる電気信号の変化だけで自分を表現する状態こそが、本当の対等な関係をスタートさせる前提条件ではないのか。つまり、ネットで完全に対等な関係をスタートさせるには、ネットに棲息する全ての人が実社会から完全に切り離された状態から始めることが絶対に必要な条件であるはずだ。その状態で法人ならぬ電人を誕生させるのが正しい方法だろう。

理論的には、ネットで対等な関係からスタートするには実社会での立場・権力などを決して漏らしてはならず、それを匂わせた時点で力のバランスが崩れ「オワタ」なのである。そうしないと符号だけで判断できなくなるではないか。実社会での力を示した奴は、自己の符号表現に別要素の箔をつけて優位に立ちたいがためバランスを崩したのだと受け取られても仕方がない。接して漏らさずと言うではないか(言わないな)。だけど、接したら漏れるよな、普通は。だから現実的には無理だしありえないかもしれない。それでも原理原則でいえば、バーチャルな世界で対等な関係から始めるには実社会の立場や権力は持ち込むなと言うしかない。実社会の立場や権力で相手を惑わすのは教育的指導の対象だ。誕生したばかりの電人はあくまで完全に平等の権利を有し、そして責任も負うが、それは実社会の個人とイコールではない状態こそが正常だろう。当然この電人は死亡(消滅)する事だってありうる。

2ちゃんねるは完全匿名掲示板では無いのだけれど、この理論を地で行っている部分もある。そしてその中で秩序みたいなものあったりして、なかなか素晴らしい実験場だと思う。だから俺は、2ちゃんねるは忌み嫌うべき存在ではなく、ある意味ではネットの宝ではないかと思っている。見てるだけだけど。

実社会の立場や権力を消し去った符号だけの表現世界で、それまでと変わらず自分の理論を押し通せるのかどうか是非見てみたい人達がいる。リアル社会での武器を持たずに今までどおり振る舞えるのか、そして、その武器を持てなくなった人達たちを取り囲む意見はどう変化するのか、とても興味がある。その立ち振舞を見る機会が出来れば、最高に面白いことだとマシーンな俺は思う。誰か実験してみないか?某弁護士先生なんかは素晴らしい被験者になると思うのだがな。

さぁ日韓戦だ

試合が始まって、見ている俺も気合いが入らない。なんでだろ。試合自体も攻めてはいるけどなんかひとつスパイスが足りない。加持がなんだか今一つだし、啓太もそう。だけどボールポゼッションは圧倒的すぎてあっけないくらい。しかしそれもこっちの中盤がすこーしへたるまでで、次第にサウジがスピードに乗り始める。

気候は今までになく涼しそうだ。もしかして涼しくてつい飛ばしすぎたのかもしれない。途中からは明らかに日本の方がガソリン切れだ。このガソリン切れを見越して、試合開始直後の猛攻だったのかもね。

そんな中、やはりサウジに先制点を取られる。あのくらいの当たりでつぶれるなんて、やはり加持は本調子じゃないのかもしれない。だが、日本もあっという間に同点に追い付く。中澤すげー。遠藤のキックも最高。

後半開始すぐにも右サイドからえぐられあっけなく追加点を取られる日本。頭も体も動いていないよ。しかし、そんな最悪の状態でも再び阿部のボレーで同点に追い付くところはすごい。強くなったなぁと感慨にふける俺。

だけど、最後は個のスピードにやられ万事休す。オシムになってサウジに2回も負けたね。

負けたけどあまり悔しくないのはなんでだろう。そろそろ負けた方がいいと思っていたのかもしれない。まだまだチームは完成しているわけではなく、今の段階で課題を突き付けられた方がいいように思っていたところもあるから。特に主力が機能したときとしないときのチーム力に差がありすぎるのは大きな問題だろうね。スタミナ、コンディションも含めた個の能力アップがまだまだ必要だし、チームとしての層をもっと厚くする必要もある。

3位決定戦の相手は韓国だ。ある程度チームの形が出来た今、その力を計るには韓国は最高の相手だろう。韓国にはこのチームに更なる課題を与えてほしいと思う。そして、その課題を克服したとき、このチームは次のステージにあがっているだろう。優勝できなかったのは残念だけど、たくさんの課題を見つけて帰り、南アフリカでこそ世界をあっと言わせてくれればいいのだ。

サウジ戦を前にして

今日は準決勝のサウジ戦。サウジとは比較的相性がいい日本だけど油断は禁物だ。といいつつも、このチームが油断するってのはあまりないだろう。

先日のオーストラリア戦で、日本が先制点をとられたときは「またか」と非常に気落ちした。しかし、選手はあまり気落ちする風でもなくさっさと同点にしてくれた。淡々と試合しているのかと思ったのだけれど、その後の高原の吠える姿からものすごいプレッシャーと並々ならぬ決意を垣間見ることが出来たように思う。そしてその高原とともに喜ぶチームメイトとベンチの姿をみて、何故だか知らないけど勝てなくてもいいような気がしてきたのが我ながら不思議だった。

延長戦の開始前、日本の大きな円陣を見て、あぁ、いいチームだなぁとつくづく思った。で、なんだか知らないけどものすごくうれしくなったんだけど、その理由が自分でもよくわからなかった。

だけど、KET SEE BLOG: オシムへの反論を読んで、その理由がはっきりした俺は思わず泣きそうになっちゃったよ。

そう、やれるだけやっての負けなら、悔いは残らないし次への希望が持てるんだ。今日も勇姿を見せてくれると信じてる。

いつまで経っても平行線だよ

最近ちょっとウォッチしてたのが、数年前にもネット界を盛り上げてくれた小倉弁護士

小倉弁護士は2005年に小倉秀夫の「IT法のTop Front」というサイトで他人のblogを閉鎖に追い込むことはむしろ恥ずかしいことだというエントリを上げ切込隊長を狙撃し大炎上。このときもしばらく見ていたのだが、小倉弁護士は炎上を消火するつもりはさらさらなく、逆にどんどん燃料を投下して火力アップに励んでいたのが妙に素敵だった。

その後もさまざまな話題で爆弾投下しサイト自体が炎上しているという珍しい現象を保ったまま、いつの間にかこのサイトは更新中止していた。そして今のサイトの前身であるAnnex de BENLIに移行していたのだが、ここでも相変わらずネット界を盛り上げてくれたようだ。このときはウォッチしていなかったのだが、ブロゴスフィアのヨハンで見る限りは語ることがタブー視されていたのではない。語られた内容があきれられていたのだというエントリあたりから人気大爆発の模様。その後今のla causetteに移ったようだ。

今盛り上がっているのは「匿名」「実名」のようだ。初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする。初心者が実名でブログを書くならばあたりからますます面白くなっており、今週の議論レーダー – 特集「匿名実名論争2007夏」というまとめサイトが出るくらいである。パソコン通信のころから幾度となくネット界を盛り上げてきたこの話題は、決して言い尽くされることがないであろう。いわばネット界の巨人阪神戦、サッカーで言えば日本韓国戦というべき論議だ。

小倉弁護士が自分の論理を曲げないのは、最初のころから何も変わっていない。弁護士という職業柄、議論に負けてしまうわけにもいかないだろう。これは比較的昔からウォッチしていたからこそ皮膚感覚で理解できるのであるが、突然この議論をみたら違和感が大きいかもしれない。なぜ違和感があるのか。それはあまりにも立場が違う人同士の議論だからだ。

今行われている匿名・実名の論議とはステージを異にするのだが、一般的に見て「実名」を推奨したり「実名」で活動している人は、名前で商売している人が多い。タレントであったり物書きであったり事業主であったり弁護士であったりと、名前が売れることによってなんらかの見返りが期待できる人(もしくはそうなりたい人)が実名で活動している。こういう人達は、得てしていわゆる世間への攻撃力、世間の攻撃からの守備力が強い。十把一絡で扱われるサラリーマンなどは、生きていく上で個人名はさほど必要がない(というか名前では金を稼げない)。だから、個人をアピールする必要性は感じていないし、名前で金を稼ぐ人と比べ名前の使いかたに差があるのは言うまでもないことだろう。誤解を承知でもっと言うなら、個人で活動している人には変わった人が多いのではないか。ルー大柴のサイトが面白いらしいが、あれとて「ルー大柴」が変な奴と知っているから面白いので、知らない奴があんな文章を書いたってくどいだけで面白くもなんともない。それどころか「コイツ馬鹿じゃないか?」と思われるのがオチだ。それと同じく、実名活動家は、変わっていて名前が知られていなければ多数の中に埋もれてしまうのだ。彼らは泳がなければ死んでしまう鮫と同じで、個人をアピールし続けなければならない人種なのである。埋もれてしまえば金は稼げなくなり死んでしまうのだから目立たなくては生きていけず、変わっていて当り前で、そして、その数は少ないのである。その状況を考慮しないでこの議論は成り立たないだろう。

変わった人が何かの目的があってものを言う。その目的は言うまでもなく「自分の宣伝」である。その言葉と、その他の目立たない人が特に何を思うでもなくつぶやいた言葉。「匿名」と「実名」の議論がかみ合わない根本的な理由は、そんなところなのじゃないかと思う。ただ、その他大勢のつぶやきが大きな声になることも紛れもない事実で、実名活動家は、いつなんどき自分の立っているはずの地面が崩れるかわからない事を覚悟の上での発言だろうから何も言うことはないのだ。どちらが真実でどちらが正しいかなんて話ではないと思う。

このサッカーと野球どっちが素晴らしいみたいな議論が平行線のまま盛り上がって、ずっと俺を楽しませて欲しいと思っている。そして夏休みに入ってアクセスが減少気味の俺のサイトにもう少し人が来てくれればうれしいと思いながら、まっとうな事を書いているふりをして燃え上がった所にTBをする。受け取った方はこんなエントリはTBスパムと大差ないんだよな、多分。俺の魂胆なんてそんなところだ。不届き千万で悪いね。

コピー10回あほくさ

痛いニュース(ノ∀`):デジタル放送のコピー、「10回まで可」で合意 「孫コピーは不可」…総務省

世間一般ではコピーワンスが原因で地デジが普及しないと思われているようだが、本当にソウナノカナ?俺は違うと思う。TV番組なんてそこまでして取っておきたいか?TV番組なんて使い捨てであって、地デジが普及しないのはコピーワンスのせいなんかじゃない。

HDレコーダは確かに便利なんだけど、録画してまでみたい番組なんてそんなにはない。録っておきたいと思うのは、映画、スポーツ、超人気ドラマ、ドキュメンタリ、そんなものだ。若手お笑い芸人の番組やどうでもいいようなドラマなんてどうでもいいし、ニュースを録画してずっと後で見るのも変だ。つまり「リアルタイム性の高いニュース」「映画」「スポーツ」「ドキュメンタリ」以外のコンテンツはゴミの確率が非常に高いということが地デジが普及しない根本的な原因だろうね。地デジだろうが地アナだろうが、どっちもほぼ同じ屁の役にもたたないものなのだから、アナログからデジタルに変更しなきゃならない理由なんてない。

そんな腐れコンテンツをDVDというたった数時間しか録れないものに移すこと自体もめんどくさい。大体200GBくらいのHDだったら、なんとなく気になった番組を録画しているだけであっというまに満杯になる。DVDに移すとか録画を消すというのはHDレコーダのメンテ作業なのに、そのメンテ作業にものすごく時間がかかる。ああ面倒。つまりコピーする以前の問題で、HDごと交換できた方がよっぽどうれしいのだがな。交換用HDをカートリッジにして売ってくれ。

このくらいあらゆるものがデジタルデータに置き換わると、コンテンツ自体にはオリジナルとコピーの区別はない。オリジナルとコピーの違いはジャケットだとか解説書だとか歌詞カードだとかだけで、コンテンツ以外の物に価値観が生まれてしまう。これってなんだかいつかどこかで見た光景だ。

PC-98全盛のころのソフトウエアはコピーも簡単だったため違法コピーのものがとても多く、オリジナルとの違いは「マニュアル」があるかないかだった。だからほぼマニュアルコピーみたいな解説書が結構売れていた。今はこのころに非常によく似ているような気がする。

人は物の価値観に対して金を払う。一番価値があるものはなんだ?それは大量生産出来る物ではなく、それしかない、そこでしか経験できない唯一無二のものだ。これからは「それしかない」という物に大きな対価が支払われるようになっていくと思う。だから、映画より芝居、CDよりコンサート、大量生産品より手作りという方向に進むような感じがする。そのニーズに関する情報のやりとりにWebが一役買うってことが本当のWeb2.0なんじゃないかと思う。いや、WindowsにならってWeb3.1かな?

一旦作り出した物からいつまでも利益を得たい気持ちもわからなくもないけど、それはもう意味のない事になりつつあると薄々感じているんじゃないのかなぁ。いわゆるイタチの最後っぺって奴。結局は不労所得なんだよ。爺様連中は既成概念から抜け出せないし先も長くないだろうから、年寄りは生きている間はいたわりましょうねっていうことでひとつ。

後二試合堪能出来る

もっとすっきりした結果を望んでいたが、ちょっと引っかかる物がある終わり方だ。だが、アジアカップであと二試合代表の試合を見ることが出来るようになった事は素直に喜びたい。それにしてもこの試合、やけに日本に有利な笛なような…アジア外様のオーストラリアへの洗礼のつもりじゃないだろうなぁ。なんだか嫌な感じ。誰が見ても日本の完勝でなくては、俺の溜飲は下がらないのだが。

オーストラリアは予想した以上でも以下でもなかった。でかいくせに比較的正確な技術と圧倒的な体格はやはり脅威で、セットプレーなどの型にはまったときは迫力満点だ。先制されたときはまじめにやばいと思った。

しかし、その沈んだ気持ちを吹きとばしてくれたのはやはり高原だった。フェイントからの位置取りとシュートまでの速さ、シュートの正確性、なんと頼れるエースだろう。その前の巻のがんばりもよかった。

その後、オージーに一人退場者が出たことで、オージーのチャンスらしいチャンスはなくなってしまった。オーストラリアの突破は個人に頼っているが、それほど抜きん出た技術を持つ者やバカっぱやな奴はいない。その状況で今大会の気候である。オーストラリアが守りに主体を置くのは当然の事だろう。

日本は優位に立つことが出来たが、日本も体力的には相当苦しいようだ。ボールも人もオーストラリアよりは動いているが、スピードの変化をつけるほど余力は残っていないように見える。特に気になったのが、オーストラリアのプレッシャーが少ないことでボールをじっくり扱うのはいいとしても、プレーのスピードだけでなく思考のスピードまで落ちていることだ。プレッシャーがないからボールを奪われないが、周囲の動きだしもあまりなく出しどころがない。まるでジーコのときの試合のようだ。

オーストラリアのようなフィジカルが強い国にいてみれば、サイドなどのゴールから遠い位置でボールを回されていたって痛くも痒くもない。中に放りこまれたってそんなに恐怖はない。だから余裕を持って守られてしまう。デカイやつらが嫌なのは、自分のそばでやられるワンタッチプレーや細かいステップ、それに瞬間的なスピードだ。「車は急に止まれない」と言うじゃないか。

だが、いつもの事ではあるが、日本のプレーは全体的に速いだけで単調だ。これは俊輔を軸においた弊害といえる部分かもしれない。今大会はこれで行くのだから、この部分に文句をつけても仕方ないだろう。

非常に不満なのは、相手がヘロヘロになって動けない延長戦で、日本にはフレッシュな選手が3人もいたにもかかわらず、そのフレッシュな選手動同士でのワンツーや個人技での突破が見られなかったことだ。中盤のバランスとかいろいろあるだろうが、今回の退場者が出た後のオーストラリアはまるでドイツでの日本でバイタルエリアあたりががらあきだった。ピッチに立ってみれば、中央でボールをうけてもパス・シュートコースは非常に少ないだろう。しかしだ、見た目の可能性は少ないかもしれないが、相手選手は多くが足をつらせていて、こちらは前を向いてボールを受けることが出来る状態だ。にもにもかかわらず、中央からドリブル突破やミドルを打つ選手がいないのはどういうことだ。俊輔や高原、遠藤や憲剛に突破して欲しいといっているのではない。今野、寿人、矢野に言いたいのだ。なぜ突っかけないのだ。おまえらのテクニックと俊敏さで、なぜDF2人を抜こうとしないのだ。ミドルを打ったって、それはかなりの確率で相手に当たって跳ね返り、そのセカンドボールはこれまたかなりの確率で日本が拾うはずだ。それなのに、なぜ中央からミドルを打たないのだ。宝くじは買わなきゃ当たらないように、枠に行くシュートがなければ点は生まれないのに、なぜシュートを打たないのだ。

とまぁ、不満たらたらではあるが、選手はよくがんばったと思う。元気そうな顔はしているが、本当はかなり体力的には苦しいのではないか。だけれどもチームの雰囲気はとても良さそうだ。そんな状況の中で、このチームで後二試合真剣勝負が出来るのだ。

次はサウジかウズベキか、どちらがきても強敵なのは間違いない。その試合に勝っても負けても、その次はイラン、韓国、イラクのいずれかとの試合になる。相手にとって申し分ない。

スタートは波乱含みだったこの大会、終わってみればとても内容の充実していた大会といわれるような気がする。

否が応でもテンションアップ

今日はあのオージー野郎とのリベンジ決戦の日。意識しないようにしたいのだが、通常あまり感じないような複雑な思いが、否が応でもテンションをアップさせる。

アジアカップでのオーストラリアの試合ぶりは決して褒められたものではない。タイ戦も結果だけをみれば大勝だが、途中までタイに攻められっぱなしであった。決定力、スピードの変化、意外性などが少し足りずに、最後の最後でパワーに屈したタイ。まるでいつぞやの日本である。一年前のドイツでの試合の記憶を呼び戻させてくれるには十分な内容だった。

得点シーンでのオージー野郎のフィジカルは確かに強い。強すぎて腹立たしいほどだ。フィジカルにものを言わせて戦うスタイルは、俺のもっとも嫌いなスタイルだ。その大嫌いなスタイルでほんの少しの好機をモノにし勝ってしまう。日本には絶対に真似のできないであろう最高に憎たらしい戦い方は、俺の神経をとことん逆撫でしてくれる。

あんなくだらん戦術のチームに、日本はドイツで辛酸をなめさせられたのである。その複雑な思いが気分を悪くさせつつも、異様なテンションアップをさせる理由だ。この思いを消し去ってほしい。タイにチンチンにされるデカいだけの野郎共に負けてほしくない。

ヒドゥカ真っ青の体格であるオシム爺さんのピンポイント指導で勘所を抑え、タイより優れた技術、フィジカル、アジリティ、そして頭脳で完膚なきまでに叩きのめしてほしい。ボール回しでチンチンにしてありとあらゆる手段でゴール入れ、TVに向かって「ざまあみろ」と言えるようにしてほしい。

怨みをはらしてほしいのだ、俺は。コノウラミハラサデオクベキカ。

注意することと怒ることの違い

俺が中学生のころの話である。俺の学校では給食で余った牛乳を飲んでもいいことになっていた。俺はサッカーの練習が終わった後その余った牛乳を飲んでいたのだが、そこへとある女教師がやってきて「飲むのをやめろ」と言う。飲んでもいいと言われているものに対して「飲むな」と言われる理由がさっぱりわからなかった俺は、その女教師に「なんで飲んじゃだめなのですか?」と聞いた。するとその女教師は「牛乳が悪くなっていたらどうするの?」と言う。確かに気温が高い日であったが、牛乳が悪くなっているかどうかぐらい飲んでみればわかる。だから俺は「別に悪くなっていないですよ。」と言って気にせず飲みつづけた。その女教師は俺をずっと睨みながら「飲むのをやめなさい。」と言いつづけたのだが、俺も悪くなっていないという自信があったので構わず飲み干した。気分が悪かったので、ついでにその女教師の前でもう一本飲んでやった。

女教師は半ヒステリー状態で飲むのをやめろと言いつづけ、親の仇を見るような目で俺を睨みつづけていた。俺も意地になって牛乳を飲んだ。ついでに「悪くなっているかどうか自分で飲んでみたらどうですか?」と言ったところ、ついに女教師はぶちきれたらしく退散していった。

実はこの女教師と俺は非常に相性が悪く、授業とかいろんな場面でぶつかることが多かった。俺にしてみれば、この女教師は辻褄があわない事ばかり言う理論的に破綻していている信じられないくらい馬鹿な教師であった。女教師にすれば、俺は屁理屈ばかり言う小生意気な生徒だったに違いない。そんな俺と女教師には信頼関係などこれっぽっちもなく、あるのは嫌悪感だけだったのである。

その嫌悪感が、たかが夏場の牛乳でさえ「注意」の皮をかぶった「怒り」を誘発するのだろう。信頼関係があるのであれば教師は一方的に「飲むな」とは言わないだろうし、俺も「俺を気遣っての注意」と受け取るに違いない。そして、俺が「悪くなっていないですよ。」と言ったら、自分で確かめるフリぐらいはしてくれるのではないか。

注意することと怒ることの根本的な違いは「嫌悪感があるか否か」ではないかと思う。もう少し具体的に言うと、注意することには個人的な嫌悪感はあまりなく相手のためを思って行うことが多いのに対し、怒ることには個人的な嫌悪感がきっかけとなっていると思うのだが、どうか。

ブログの炎上を見ていると、ことさら「嫌悪感」について思いが及んでいく。炎上の発端はなんであれ、途中からみえるのは理論のぶつかりあいではなく嫌悪感を正当化した怒りであり、その怒りはどちらかの相手を叩きのめすまで消えることはない。なんと不毛な事だろう。

嫌悪感はその人の価値観に左右される事が多く、個人差の大きな感覚であると思う。先日のエントリでウナギの餌に人糞や死体を使っていることについて書いたが、これとて国民性などに大きく左右されることだ。嫌悪感は価値観であり慣習である。だから「嫌悪感」では白黒つける事自体が無理なのである。決着は議論に勝ったかどうかではなくどちらが根負けしたかだけなのだ。議論しているようなフリをして自分の価値観を正当化し、その価値観を他人に押しつける。炎上させている人達は、そのことに気がついているのだろうか。

感情だけで善し悪しを決めるのはどうよ

中国産のうなぎに人糞を食わせていただとか死体を食わせていただとか、普通の人はちょっと気分が悪くなるような話が出ていますね。

デカさの秘密は人糞と人間の死体? 中国産ウナギがヤバい!

なぜ人糞や死体が餌として良くないのかというと、それは寄生虫の問題があるからなのではと思います。つまり、きちんと処理さえすれば人糞でも死体でも問題は無いような気がするのですがどうでしょう。確かにあまり気分がいいもんじゃないですよ、ええ。ですけどね、例えばペットの猫。あいつらクソしたあとは自分でケツをなめます。猫は狩猟動物ですので他の動物に察知されないよう、自分の匂いもとことん消します。あのくさーいちょっとゲリピーぎみの猫グソがケツについていても、におわにゃーい状態にまできれいになめてしまいます。猫ちゃんきゃわゆーいといってクソをなめた猫にチューするのと、いちおう消化器官で処理され違う物質になった人糞や死体、どっちがいいかな?

養豚などで人糞を餌にするのは、実は半世紀少し前は日本でもよく行われていたことです。俺の母親などは「むかしは便所の下には豚がいて、糞食わせてたんだよ。」と言います。小さい頃はマジかよと思ったものですが、調べてみるとかなり合理的な事のようです。食物の持つエネルギーを有効的に利用していると言えるでしょう。

ウナギにしてみても、ウナギから見てみれば死体も人糞も喰い物には変わりありませんから、残念。

このような事は多分に感情的な要素で判断されがちですが、育てられかたや教育などによって大きく変化してしまうものだけで判断するのはいかがなものかとマシーンな俺は思いますね。

お金を余らせるには

日本中が格差社会とか感覚的な話で日本国民総中流が崩れつつあるように思わされている皆さんこんぬつは。この中流層が中の下まで落ちてきているようなイメージ、誰が植え付けちゃったのでしょうね。本当に落ちてる?上がっていないだけじゃない?落ちるべき所が適正に落ちているって事はないのですか?

結局は「金稼げないんだけど」という話なんですが、それを社会の構造問題にして自分に言い訳しないようにと願うばかりです。

金がないけど金を稼ぐ当てもない。だけど俺(私)は結構真面目で今の状態にそんなに不満をもっていなくて独身だよという人、そんな貴方にお金を増やすいい手段があります。それは「結婚」しちゃう事。結婚して夫婦で一緒に住めば、借家住まいの人は一人あたりの家賃負担が減ります。家事ができる人であればわかるけど、食事も一人前より二人前作った方がおいしいものも作りやすいし何より安上がり。生きていくための一人あたりコストは、一人のときより2~3割程度は削減されるんじゃないかと思いますよ。同棲でもいいのだけれど、同棲だと財布が完全に別々になったりして少しコスト高な面もあるんだよね。だから結婚がオススメ。

で、収入は二人で稼いで行くとすれば、単純に考えれば2倍です。いやー余った金どうしようとなること間違いなしですよ。何が怖くて結婚しない人が増えているのかよくわかんないんですけど。だめだったら別れりゃいいでしょ?今離婚暦があっても誰も驚きゃしませんよ。逆に国から見たら独り者サラリーマンが多いほうが一時期的には税収は上がるようだろうから、この結婚しない人が多いってのは「国の意図するところ」なのかも知れんね。だけどこのまま少子化が進むと、あまりにも将来の人口減少が進みすぎるから騒いでいるだけなんでしょホントは。