二輪の魔力

最近、とある人のブログがちょっと楽しみになっている。そのとある人とは「勝間和代」だ。俺はどうもあの人は苦手で、はっきり言ってしまえば「嫌い」な方に入る。いや、入っていたというべきかもしれん。

その勝間女史が二輪の免許をとってNinjaに乗っているらしい。その二輪関係のエントリがなんともアレで面白い。読みながらなぜかニマニマしてしまう。お約束どおりマシン倒しまくりみたいだし、それでも乗るのが楽しくて仕方ないって感じの文章だし。完全に二輪の魔力に取り付かれてるじゃんwww。ああ、俺も二輪を初めて手に入れた時ってこうだったなーと改めて思う。そういう生温かい目で見守っているのだが、ライダーとしての仲間意識が出る半面、「けっ、ド素人め」とか「コケさせてもさっさと直せる金があっていいよな」といった妬みや嫉妬心ような感情を必ず持ってしまう。バイク乗りってのは不思議な生き物だ。え?俺だけか?

で、サイトを見ながら思ったことを少々。

まず二輪の免許取得だが、勝間女史は免許取得の各段階で数時間乗り越すのが普通みたいに書いているけれど、そんなに落ちるもんかねぇ。落ちたことないからわかんね。と、限定解除にチャレンジしなかった根性なしの俺が言っても重みは無いよな。それから、教習であちこちすりむいたりしたらしい。これもよくわかんね。え?崖からマシンを落としたお前が言うなって?そりゃそうだ。

それから、停止した後にローに入りにくいってあるけど、それはね、ギアが馴染んでいないという他に、「クラッチが完全に切れていない」という事もありうるからなー。少しクラッチを引きずったような状態でギアを入れると入ったりするし、逆の場合もある。新車はエンジンの慣らしもさることながら、ギアの慣らしもきちんとしないとヌケが多くなったり入りにくくなったりするから要注意かもね。

二輪の視野についても書いているね。俺も車に乗るとその視野の狭さに驚くときがある。教習所とかでは二輪の方が視野が狭いと教えられたりするけど、実際は全く逆。二輪の視野が狭いのはフルフェイスの場合の上下の視界だけで、後は遮蔽物が全く無いので視界は抜群によい。車の場合、特にフロントガラスの枠が無茶苦茶邪魔で、つい「見えねーよ(怒)」とつぶやいたり頭を傾げて確認したりしてしまう。そういう感覚、バイク乗りしかわかんねーだろうな。

さらに勝間女史は性懲りもなく大型二輪にチャレンジしている模様。大型二輪って中型取ってすぐ取れるんだっけか。ちょいと昔は中型もしくは小型二輪免許を取得して1年以上経たないと限定解除が受けられなかったような気がするが、記憶違いか?

などなど、いつの間にかバイクネタが更新されているのを待っている俺がいる。今後の動向が楽しみだ。

上司としての資質

先日、とある仕事でミスをした。俺のモノサシだとミスしたうちに入っておらず、特に今回の仕事の分野の俺のモノサシはかなり大雑把に出来ていて「あーやっちまったねー」くらいにしか感じていない。その仕事の効果はそれなりにあったようで、多少はお客を呼べたように思う。

しかし、上司にはその集客はさておき「なんてことしてくれたんだ」と怒られた。怒っている理由は2つで、まず1つは内容について報告していなかったこと、2つ目はそのミスについてのようだった。俺としてみれば今までとほぼ同じ費用を使って違うことをしたつもりだったので、かしこまって報告なんてする必要性を感じていなかったのだが、まぁサラリーマンなんだから承認を得て責任逃れをする体制は作っておくべきだったかもしれん。ミスについてはまったく言い訳のしようがないので怒られたってしかたがない。

この一連の出来事で、もし俺が上司の立場だったらどうしたか考えてみた。もし俺だったらこのミスややり方を怒るだろうか?このミスが初めてだったらまず怒ったりはしないだろう。仕事にミスはつきものだからだ。というか、慣れない仕事でまったくミスしないヤツなんてほとんどいない。だから、今後起きないようにするためになぜが起きたのかを簡単にヒアリングし、そのポイントを把握しておくだろう。そして「次からはこうしなさい」と言うだろう。その前に、仮にそれなりの成果が見えているようであれば、その成果について一言言うと思う。

何かアクションを起こすことは思っている以上にパワーが必要だ。また、波風が立ちやすいのでアクションを起こしたあとは風当たりが強くなることも覚悟しておくべきだ。これは事の大小に関らない。一歩踏み出すときにはそれなりに緊張するのである。その緊張を解きほぐし「やってよかった」と思わせるのは、部下でも同僚でもなく顧客か上司しかいないのである。その思いが更なる一歩を呼びこみ、物事はいい方向に変わっていく。

また、再び同じミスが起こるであろう確率を少なくするために、ポイントを把握し共有することが非常に重要になる。これをノウハウというのだろうが、そのノウハウの積み上げと共有化を無くして物事は前進しない。転んでも起き上がることは大切だが、もう一つ進むためには転んであとにタダで起きてはダメなのである。

負の連鎖に巻き込まれているところは得てしてこの逆で、出来が90点でも10点足りなかったことをネチコチ指摘される。なんで転ぶんだと怒られるのである。「ダッシュしたらつまずいたんだよ。なんでつまずいたか?そんなの知るか!」 転んだ方はそんな気分だ。覚悟を決めて一歩を踏み出し、挙句の果てにミスばかりを指摘されていると、気分は▲10点になってしまう。▲10点よりだったら0点の方がまだましなので、誰もなにもしなくなるのだ。だって転ぶと痛いだけだもんね。かなり面の皮が厚い俺でも少々気になるのだから、若い社員などはミスだけを指摘されたら気になって仕方がないに違いない。

まぁ、そういう企業文化で育ってきたからそういう上司が生まれるんだろうけどな。

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読んで言葉を失う

震災で嫁に死なれちゃった既男スレ – ゴールデンタイムズ

読んでいて苦しくなってきた。あの連絡の取れないときの焦りというか苛立ちというか、アレは実際に味わってみないとわからないと思う。通信手段も移動手段も失い、安否の確認のしようもない状態では、ただただ無事を願いながら自分の無力さを痛感するしかないのだ。

仕事先が一段落したので、いても立ってもいられなくなって会社の車で家路に着いた。真っ暗な道、降りしきる雪・・・家に着くまでの道のりはとてもとても長く感じた。

俺の家族は無事だったが、あの日の事は一生忘れることはないだろう。あの日の事は忘れないよう、いつか書き留めておこうと思っている。

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twitterについて最近思うこと

いつからTwitter?oyajimanを調べてみると、なんとまぁ2007/08/16に登録しているらしい。まるで他人事だが、2011年4月27日で1351日目なんだとさ。結構昔から登録だけはしていたんだな。

しかし、実際に眺める時間が増えたのは3.11の大震災後だ。それもこんな俺を心配してくれているメッセージとかがあったからちょっと使ってみようかなと思い立ったのであって、もしメッセージとかも来ていなかったらずっと放置していたに違いない。

眺める時間が増えたので少々気になったつぶやき主をボチボチとフォローしていったが、ほんの10日ほど前までフォロワーもフォローも100人いかない状態だった。それがここ10日くらいで突然なにかスイッチでも入ったかのようにフォロワーが増えた。「おー、増えてるなー」と気分を良くした俺は、調子に乗ってフォローしてくれた人をバカスカフォロー返ししていたら、いつのまにかタイムラインがわけわかんない状態になった。たった500人くらいで混乱してしまっているのだから、これが1万人とかになったらどうなるんだろうと軽いめまいを覚えてしまう。

すごい人数をフォローしている人はどうしているんだろう。多分フィルターをかけて情報を絞り込んでいるんだろうが、ものずごいノイズの中から必要な情報だけを探し出すってのは時間も労力も半端ないように思う。フィルターをかけるにしても、結局は検索するのと同じように何らかのキーワードとかで絞り込まざるを得ないわけで、そうなってくるとフィルターに引っかからなかった面白情報はスルーされることになってしまう。なんだかRSSリーダでやっちまったミスをそのままtwitterでもやっちまった感じがしないでもない。

今のところはフィルターとかをかけないでボーッとタイムラインを眺めているのだが、見ていると(俺にとって)くだらん情報がけっこう目につく。俺にとってくだらん情報とはアフィにからんだ商品告知だったり自前のサービス宣伝だったりで、そういうことしかつぶやかないのは大体ちょっと綺麗めな女性の写真をアイコンに使用している場合が多いようだ。内容が内容だからアイコンだけでも真っ当に見せたいのかも知れんね。そういうのは過去のつぶやきをちょっと調べ、容赦なくフォローを切る。俺はそんな情報いらないのでね。

そうやって少しだけでも情報のノイズを減らして有益なものにしたいと思うのだが、使えば使うほど「残念なサービス」という気がしてくるから不思議だ。これはっ!という面白みはほとんど感じない。ラジオとかTVのように、ボーッと眺めて暇つぶしをするにはうってつけだが、それ以上の面白さを感じることは出来ていないのである。そう思うのも、俺が人とのつながりをネットに求めていないからなのかもしれんけどな。

グラフや図表に悪意を感じるとき

最近は福島第一原発の報道も少々一段落している感じだ。事態が改善したわけではないのだが、これといって大きな動きもないからだろう。あの大爆発以降、全国の放射能濃度一覧で放射線量のチェックが毎日の日課になっている俺だが、今日はNHKのサイト各地の放射線量というページがあることに気がついた。早速見てみたのだが、「こういうグラフの作りってどうなんだろ」と首を傾げたくなった。

ちょっとグラフを拝借して見てみよう。サンプルは福島市と横須賀市のグラフだ。
福島市

横須賀市

ぱっと見た目でわかるのは、いずれも日を追うごとに放射線量が減少しているということだ。しかし、左の目盛をよーく見てほしい。この二つのグラフ、目盛が全然違うのである。福島市は最大が30マイクロシーベルト/時で横須賀市は0.25マイクロシーベルト/時である。こういう目盛の振り方をされると一目で比較できない。よって、このような目盛の振り方は人を騙すときに使うと非常に効果的である。仮にこの二つのグラフの目盛を画像引き延ばしと縮小で合わせてみるとこんな感じになる。

福島市

横須賀市

げげげ、横須賀市のグラフはつぶれて見えなくなっちまいやがった。これほどまで差があるのに、なんでああいう目盛の振り方をするのか。それには何か意図があるか、もしくは絵的に下を這いつくばった線ではおもしろく無いからという理由に尽きるだろう。その点、いつも確認している全国の放射能濃度一覧は目盛が一緒ですばらしい。

これが手書きであれば、いちいち目盛を変えてグラフの原版を作るのも面倒だったりするので一番注目させたいところに目盛を持ってきたりするのだが、PCはそんな苦労などない。PC(というかオフィススイート)の普及で誰でも簡単にグラフが作れるようになったことの弊害なのかもしれんね。

朝日新聞にも各地の放射線量が記載された地図が載っているが、アレも小数点以下の表示桁数がバラバラで斜め読みだと読み間違えてしまいそうになる。

報道するんだったら読み間違いされにくい書き方をするべきなんじゃないかなぁ。こういう書き方するとレベルがバレるから気をつけた方がいいと思うよ>マスコミ

[関連エントリ]
グラフや統計に惑わされるな

日本はいい国だなぁ

先日TVを見ていたら、アメリカの3割の人が福音派で進化論を云々・・・という番組が流れていた。「ふーん」と思いながら見ていたが、こういうのって日本じゃ無理だろうなぁとも思った。

なぜ無理なのか。それは日本人の考えは「引き算」で成り立っているからだ。

アメリカ人は「良さ」とか「メリット」とかをモーレツにアピールしてくる。これは二言目には「勝利」という言葉が出てくることからも察しが付く。未だにフィートとかオンスとか国際単位さえ無視しているくらい「自分が正義」なんだろう。料理とかもそうで、西洋料理は味も調理も「足し算」で構成されている。それに対し、日本では出る杭は打たれるし横並び意識が非常に強い。メリットよりデメリットを重視するからこそ、日本の製品は品質がよいのではなかろうか。料理もしかりで、「ダシをひく」とか「刺身をひく」なんて言うのは日本だけである。実際、和食は引き算の料理なのだそうだ。ノコギリだって日本は引くものだしね。

ネットで周期的に話題に登る「実名論議」も、いまのところ日本では実名が主流になりそうな気配は無い。これとて個を隠していた方がデメリットが少ないと思われているからに相違ない。根本的に「押す」のはだめなんだろう。

前にも同じようなことを書いたが、これは日本人が他人も神もなにも信じていないことから来ているように思う。すべての事に一定の距離感を持って接し、すべては他人事で信じられるものは己だけなのである。だからこそ今回の大震災でも暴動などは起きないし、責任問題になるのが面倒だから東電は逃げの姿勢を貫き政府は意味不明な動きをし、方や職人はその職人気質で仕事に当たるため道路やJRやライフライン関係はあっという間に復旧する。

今回の大震災も、津波が来ていなかったらもう9割方復旧していたに違いない。こういうオートマティズムが出来ているって、ある意味すごいことだと思う。悪い意味じゃなくてね。

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それは当たり前だろと思った事

先日ラジオを聞いていたら、「ミネソタの卵売り」という曲がかかった。

ラジオの解説者によると、この曲の題名は作詞家の佐伯孝夫が、知人の旦那だか嫁だか(アメリカ人)に「養鶏」で思いつくのはと尋ねたら「ミネソタ」と答えが返ってきたことからついたとか・・・上の空で聞いていたのでちょっと違うかもしれん。

さて、その曲は昭和26年発売だが、少々昔にCMで使われていたこともあった(と思う)ので聞いたことがある人も多いだろう。改めて聞いてみるとなかなか面白い。

一番おもしろいなーと思ったのは1番の歌詞だ。

コッコッコッコッ コケッコ
コッコッコッコッ コケッコ
私はミネソタの 卵売り
町中で一番の 人気者
つやつや生みたて 買わないか
卵に黄身と 白味がなけりゃ
お代は要らない

コッコッコッコッ コケッコ

卵に黄身と白味がなかったら、それは卵の殻というのだよ。殻だけ売って金をもらおうなんてありえんだろ。

すごい歌詞だなぁと改めて思った次第。

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そろそろパチンコのCMが解禁になるらしい

カテゴリはパチンコ・パチスロに関わる話ということで分類してみた。特に意味は無い。

広告業界の人から聞いたのだが、25日辺りからパチンコのCMが解禁されるらしい。今までポポポポーンばかりだったのが、これからはピョヨヨヨーン(○共)みたいな音も混じってくるわけだ。

他の業界も震災後一ヶ月くらいはCM自粛していたらしいが、ご覧のとおり一部では既にCM解禁されている。しかしすべての枠を埋めるには程遠いようで、未だに「信じてるポポポポーン」ばかりだ。パチンコはその性格上、自粛期間を少々長く設定したようだが、ついに喪が明けるってところだろう。不謹慎とか言う奴がまた出てきそうだなwww。

差別用語とかでも思うのだが、「差別だ」とか「不謹慎だ」とか言う輩のほとんどは当事者ではないような気がする。子供は正直なので、思ったことをそのまま口に出す。しかし、その言葉は「差別」していないから発せられるものであって、「差別だ」と感じる事自体が差別だということはあまり触れられない。大震災直後に仙台駅前のパチンコ屋が営業していたことが話題に登ったが、あれを見て「不謹慎だ」という奴はパチンコ自体を不謹慎だと思っていたのだろう。これが食堂とかだったら話題にもならないはずだし、もしJRがこのパチンコ屋のように震災直後から営業出来たら賞賛の嵐だっただろう。

と、極端なことを書いてみたが、通常とは違う偏った目で見ることも世の中大事なのではないかな、と思う。

ビジネス雑誌等から感じる「胡散臭さ」

ビジネス雑誌、特に業界の専門誌とかを見ていると、不思議な胡散臭さをよく感じる。その胡散臭さは記事と称した宣伝であったり、完全な提灯記事であったりすることから感じるものもある。しかし、一番引っかかるのは「これからはこれが主流」とか「勝ち組のやり方」みたいな記事だ。

そもそもこういう記事、勝ち組とか流行りとかに後追いで理屈をつけたものでしかない。誤解を承知で言ってみれば、「宝くじに当たった人」の物語を紹介しているに過ぎない。

記事に取り上げられるところは、飛ぶ鳥を落とす様な勢いがあるところが多い。その勢いは「ヒット商品」などの多くのニーズによって生まれる。サービスやシステムも商品の一つとして捕らえれば、ヒット商品を多く持ったところが勝ち組となる。では、そのヒット商品はどうやれば生まれるのか。

この解があったら誰も苦労はしない。

手前味噌でアレだが、このサイトで一番読まれているであろうエントリがある。いうなればこのサイトの最大のヒット商品だ。だが、なぜみんなが読みに来るのか理由がまったく分かっていない。あとから理由をつければいろいろあるのだろうが、書いた時点でアクセスがあれほど伸びるとはまったく予想しなかったし、そのエントリをあげて2年以上経ってもアクセスが落ちないのには驚くばかりだ。ヒット商品をだしたところはみんなこんな感じなのではないかと思う。ヒット商品は狙わなければ生まれないかもしれないが、狙ったからと言ってヒットするとは限らないのである。

サッカーにも「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」という言葉がある。これはゴールというものが不確定要素に満ちているから言われる言葉だ。シュートは入るか入らないかわからないが、シュートを打たれるまでのところに敗因がある。シュートまでの理由付け・分析はしやすいが、肝心のゴールは「運」の要素を多分に含んでいる。シュートまでのプロセスと勝敗はイコールではないのである。

それなのに、こういう記事はヒット商品を生み出したところのやり方を真似ろと推奨するばかりである。真似て負けない要素を学ぶことは出来るが、勝てるとは思えない。負けない要素をノウハウと言うのだと思うのだが、こういう雑誌は「これが勝つポイントだ」と書きまくる。それもごくレアなケースを大々的に取り上げ、その企業が後に倒産したりしても一切無視だ。それはもうノウハウとかではなくて、言葉は悪いが、あっちで大きな地震がありました被害はこんなかんじででしたすごいですねこっちでもこんな地震がおきていますこれもまた大きいですね、と書いているようにしか見えない。

そんな思いが「胡散臭さ」を感じさせる大きな理由なんだと思う。

ペルチェ素子を使った冷蔵庫

先日とある雑誌をパラパラと眺めていたら、「ペルチェ」という文字が目に飛び込んできた。ペルチェ素子といったら一時期オーバークロッカー御用達パーツというイメージしかなかったので、PCとかとはまったく関係のないその雑誌で「ペルチェ」の文字を見るのはとても意外なことだった。

よく見てみると、なにやらペルチェ素子を使った冷蔵庫があるらしい。製品自体は10年以上前からあったらしいのだが、以前はペルチェ素子がさほど長持ちしなかったり思ったよりも冷えなかったりと、大きく普及するまでには至っていない。今ではその問題点も大きく改善したようで、「静か」であることや冷却用部品が少ないことによる「省スペース」を強みに、ホテルなどで徐々に導入するところが増えてきているようだ。今でも自動車用のクーラーボックスとかにはこのタイプが使われているらしい。

消費電力は意外に大きいようで、通常の冷媒を使った熱交換器タイプのほうが消費電力は低い模様。それでも音があまりしないというのはかなりイケルかもしれん。

で、このペルチェ素子、俺もPCのCPU冷却に使ったことがあるのだが、予想以上に冷えた記憶がある。だがしかーし、いい事だけではなくて、よく冷えるもんだからCPU周りが結露して俺自身が寒くなったというオマケ付きだ。その時はたまたま縦置きのPCだったので、結露した水滴がパーツとかにかかることはなかったのだが、もし平置きとかだったらと思うとゾクッとする。

また、ペルチェは暖まる側をきちんと冷却してやらないとよろしくないし、上にも書いたが意外に電力を食うのでそれなりの電源でないとダメだったりした。そのあとは高性能のクーラーがどんどん出てきたので、気難しいペルチェは使うことはなくなってしまった。

そんなペルチェが冷蔵庫になって徐々に俺の周りに進出してきているのかも・・・と思うと、なんだか不思議な感じがしたので書いてみた。

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舟形山方面はダメージ小


舟形山方面の路面チェックに出かけた。気温もまずまずで天気は最高。こりゃ行かない手は無い。先週の走り始めはちょっとなめてかかっていたせいか寒くてたまらなかったので、今日は中に一枚追加して走り始める。この効果は絶大で、最後まで寒く感じることはなかった。

3月11日の地震もさることながら、4月7日に起きた大きな余震では仙台より北のほうが揺れがでかかったと聞く。だから路面も荒れているかもしれんなーと思いながら走っていくが、舟形山方面に向かう道路は路面に大きな損傷も無い。

で、いつものコースに入ると、さすがに数箇所路面に亀裂が入っている箇所があった。こりゃ上のほうはヤバイかもなと思ったのだが、上に行けば行くほど路面は全く問題なし。それどころかこんな平日に先客がいて、結構なペースで往復していた。

俺は2回ほど往復しておなかいっぱいになったので早々に退散する。

もうすぐタイヤはスリックタイヤになっちゃうよ(泣)。

変な雲

4月18日の話。天気も良かったので、舟形山方面の路面状態でも確かめに行こうとマシンに跨り出発する。

行く途中でやけにまっすぐな雲が出ていた。まさか地震雲?

すぐに形を変えてしまうだろうと思っていたのだが、長い時間その形状を保っていたので写真に撮ってみた。写真をとった場所はここ。


大きな地図で見る

雲はこの方向からこの方向に向かってまっすぐに2本伸びていて、なかなか不思議な感じだった。

地図に書き込んだら位置関係はこんな感じかも知れん。

雲の写真とちょっとコントラストなどを加工した画像をUP。


日本海側

太平洋側

ちょっと見にくいけれど、大倉ダムの上のほうに筋状と言うかうろこ状の雲が出ていた。Willcom03写真性能悪すぎ。

気圧の谷によるものだとは思うけれど・・・

なぜ原発推進学者が懺悔し始めたのか

twitterで知ったのだが、原発推進学者が次々と懺悔し始めたらしい。

原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」 (1/2) : J-CASTニュース

なぜ今更このような懺悔をし始めたのか。当然、政府が福島第1原発事故を国際原子力事故評価尺度(INES)の評価で最悪のレベル7としたことと関連しているはずだ。政府が公式に「大量の放射性物質をばら撒いてしまいますた」と認めた後、楽観的な意見を述べるほどバカではなかったってことだけだ。つまりは自分の保身のためだけでしかないのだろう。そういう人だから御用学者になれるのだ。

そういうことを差し引いても、かなり悲観的な提言のように思える。

「私たちは事故の推移を固唾を飲んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、事故を終息させる見通しが得られていない」
「膨大な放射性物質は圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている」
「特に懸念されることは溶融炉心が圧力容器を溶かし、格納容器に移り、大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」

1号機については70%、2号機は30%、3号機は25%の燃料が損傷しているとの発表もあったし、未だに燃料棒は漏出したまんまだ。炉内の水温も大きな変化は見られていない。事態が劇的に改善することはまずないだろう。

それどころか、この御用学者たちが自分たちのために張っている防御線は、より深刻な事態に設定されているのが香ばしく不気味だ。

経済的にもかなり冷え込んでくる感じもするので、これ以上は勘弁して欲しいなぁ。頼むよホント。

CBR250Rの価格

震災でボヤけてしまっているが、いろんな意味で話題になったCBR250Rが発売されている。バイクブームのころのクオーターを知っているし実際にNSRも持っていたから、どうしてもあのころのマシンと比べてしまう。気分的にはCB250RSにカウルがついたって感じ。CBRとRが付くのであれば、やっぱり20000rpmを軽く越える超高回転型4気筒くらいじゃないと・・・とか思ってしまうのはジジイの証拠かもしれん。

ただ、このマシンに乗ってみたいかと言われたら「YES」だ。日常の足みたいな使い方にはなかなか良さそうに見える。250でフルカウルのロードタイプを出しているのはKawasakiだけで、とりあえず選択肢が広がったと考えるべきかもしれん。ツインもいいけど、単コロって思っているよりずっと楽しいんだよね、とGB250も持っていた俺は思う。

で、何気にスルーして気がついていなかったのだが、価格を見てちょっとビックリした。ABSなしで45万円を切っているんだね。昔に比べるとやっぱり「高いナー」感は拭えないけれど、メーカー各社の同程度のマシンからみたらかなり割安なんだね。単コロだからリッター30Km以上は余裕で走るだろうし、それなりに経済的なマシンって感じ。サイドボックスとかつければオールマイティに使えそう。

乗ってみたいなぁ。