金を預けるということ

以前保険なんて信用できんみたいなエントリを上げたが、奇しくもAIJなんちゃら企業年金の運用で資金喪失というニュースが飛び込んできた。これは珍しい話ではなく、保険や年金なんてこんなものなのである。今回の話が特異なのはその程度だけだ。バブル崩壊以降、企業年金の運用はうまくいっていないところも多いはずだ。その事実は企業が倒産などして企業年金を解散するときにしか明るみに出てこなかったりする。

国の年金制度に対して幻想を抱くのは、その規模が大きいからにほかならない。しかしいくら大きくても破綻するときは破綻する。規模が大きいので突然破綻するという可能性は非常に低いが、その分急激に回復するということもない。AIJなんちゃらで起こったことは特殊なことではなく、実際に同じようなことが国の年金運用でも起きているではないか。

これほどまでに金を預けることのリスクが判っているのに、なぜ保険や年金といったものに希望を持てるのか。俺がそれがとても不思議だ。納めなければならないものはさておき、それ以外の金など何もしないでためておいたほうがよいではないか。世の中のかなりの人はそれに気がついている。だから金を使わずに貯める。それが経済活動をさらに低迷させ、預けた金はだぶつき、しかたがないので銀行は国債を買って利鞘を稼ぐ。

このサイクルが示すところはなにか。そう、金を貯めているつもりでも、実際はその金が国の借金の肩代わりになっているということだ。デフォルトになったら全てはおしまいだが、まだましなのは外国からの借金が少ないらしいことだ。デフォルトになって泣くのは金持ちなのである。

だが、景気が回復しないひとつの原因に金持ちが金を使わないというのもある。使うのも怖いし使わなくても危ない。金持ちは本当に大変だな。そんな心配してみたいもんだ。

リオジーニョが見たい

ついにA代表に宮市リオジーニョwwwが呼ばれた。リオのスピード・テクニックはいつ見てもワクワクさせてくれる。あのワクワク感は今までの代表メンバーには無かったものだ。明日の試合でリオが見れるだろうか。いや、ぜひ見てみたい。

リオにボールが渡ると「イケイケー!!あがれあがれ!!」と思ってしまうのは俺だけじゃないと思う。ディフェンダーを反則技のようなスピードでぶっちぎり、切れの良い切り返しでズッコケさせ、そして得点まで決める。こんな選手が日本にいただろうか。これほどまでにドリブルに期待を持たせる選手は日本で初めてだろう。全盛期の小倉や松井なども期待感はあったが、リオには彼らに無かった抜群のスピードがある。ああ、見たい。リオが相手をズタズタにする様が見たい。相手ディフェンダーを小馬鹿にしたような切り返しがみたい。

ザッケローニはリオを使うだろうか。俺は多分使うと思う。なぜなら彼はもっともっと大きくなってもらわなければならない存在だからだ。ヨーロッパでの実績もそれなりにあり、厳しい環境の中でもやっていけるであろう選手だ。だから、もっともっと厳しい環境を経験させ、世界中から一目置かれ恐れられる選手になってもらわなければならない選手なのだ。だから、ザックは後半途中からリオを使うだろう。もし先発で起用したり後半開始直後から使うようであれば、ザックは期待というよりも大きな戦力の一つとして捉えていると考えて良いかもしれん。

ウズベキスタン戦が楽しみだ。

自動車業界が厳しいとか

最近自動車業界が厳しいらしい。あのトヨタも、ついに格付けがトリプルAでなくなるとか。

だが、そんなに心配することなのだろうか。

日本の企業は、苦境に立たされるたびに強くなってきた。今回も取り敢えずは踏ん張るに違いない。そして次なる一手を探しはじめるだろう。

外的環境に目をやると、多少の変動はあれ、円高傾向は続くのではないかと思う。で、中国の成長はそろそろ止まる。なんだかんだ言っても、中国人を全て裕福に出来るほど世界経済は潤っていないだろう。今まで最大の強みであった人件費の安さが失われつつある中国に、それに代わる強みがあるようには思えない。

日本はバブルの時に世界中の資産を買いあさった。いまの中国そっくりではないか。しかしいつしかバブルは弾け、気がつくと本来収まるべき位置に収まってしまう。日本は消去法で行くと残りやすい国なのではなかろうか。

というか、いつまで経っても右肩上がりなんてあるはずないのだ。特に今の日本は基本的に若干の右肩下がりが標準で、一時大幅に落ち込んだとしてもその後は多少なりとも回復しいつものペースに戻る。自動車がコモディティ化しつつあるのは確かだろうけれど、俺はそんなに心配していない。ノーテンキなだけかもしれんけどねwww

親同伴の大学受験

最近大学受験に親が同伴するケースが増えているらしい。俺が大学受験する頃は親が大学受験についてくるなんて言ったら笑われただろう。18歳と言えば自分で判断して行動できる年齢だ。多分、子供も自分一人で行動できるはずだし、そうでなくては困る。

俺が受験するときも、一人でホテルに泊まって受験した。心細くなかったといえば嘘だし、そもそも一人でホテルに泊まるなんて経験も初めてだった。それでも自分で行動するのが当たり前だと思っていたし、頼るものは自分しかいないという経験は何事にも替えがたいものだった。

大学に入ってから後輩の話を聞いていると、徐々に親同伴で受験にきたという奴が増えていった。中には自分でJRとかの切符を買ったことが無い奴までいた。マジかよと思ったが、多分今ではそっちの方が当たり前なんだろう。

なんでこんな状況になったのか。それは多分みんな余裕があるからなのだと思う。昔は子供の受験についていく時間も金も無かった家庭が多かったように思う。それを「過保護」とか言って誤魔化していた面も多かったはずだ。あまり過保護になるのもどうかと思うが、受験に関係ない部分でストレスを抱えるのもバカらしい。また、昔は親もどうしていいか判らない人が多かったのかもしれん。俺の親は完全にそれで、聞いても判らないから自分でやるしかなかった。自分一人でやるのが良いとか同伴なんて情けないとかそういう話ではなく、一人でするという選択肢しかなかったのである。

それでも、俺は出来るなら子供一人でやらせてみたいと思う。いつかは一人で決めなければならない時が来る。相談されたら話を聞くが、そうでないときは自分一人で決めて欲しい。その決断が間違っているかどうかは誰にも判らないし、まず本人が納得しなければどうしようもない。その時に横槍を入れてしまうと迷いが生じるし、なにより言い訳のネタを与えてしまう。

「後悔先に立たず」は身をもって知るしかないのである。それを知らないといつまでも後悔ばかりする人間になってしまうのではなかろうか。親同伴での受験が増えるにつれ、そんな思いがどんどん大きくなるのである。

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自己SWOT分析

ここ数日、一時の忙しさが嘘のような状態になっている。俺の業務は昔から期間売上業績による繁忙というのはあまりない。だから珍しい状態ではないのだが、暇になるとなーんにもやる気が出ないのが困る。普通なら数時間で終わる業務なのに全く手をつけずにいたり、やりかけで全然進んでいなかったりする。

この現象は暇になる前の忙しさに比例するようで、かなりヒーヒー言わされたあとは全くダメなのである。こういう状態になっている自分を客観的にみると、変に業務を偏らせるよりも平均的に割り当てたほうが効率がいいのでは、と思ったりもする。

しかし、俺の強みは真っ白なところにさっさと絵を書いてしまうところで、ある程度のいい加減さと全体を見渡す力、それにさっさと書き上げる瞬発力が成せる技なのだと思っている。そういう所が重宝がられる部分で、はっきり言えばそれ以外の部分は俺じゃなくてもいいのだろう。だから、早急に解決しなければならない問題が起こったときは、だいたい狩り出される。つまり有事の時以外はあんまり役に立たないのである。

といっても、業績が良い場合は実は何事も安定している場合が多く、俺が忙しい時はたいてい業績が悪い。だから俺が暇なほうがみんなに取ってはいい状態なのだ。

ということで、この状態が続くのを祈っている。というか、そろそろ身体を休めないとマズイ感じ。肩の痛みとそれからくる頭痛は全く良くならないし、それ以外でもなんだかなーになっているところも多い。まずは良く寝て、体の筋肉をほぐさないとなぁ。

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アイスランド戦

アイスランド戦は3-1で勝った模様。残念ながら試合は見られなかったので詳しいことはわからない。しかし、結果を見るかぎりではそれなりに機能したのかもしれん。得点は前田、藤本、槙野らしいからね。

報道では新しいメンバが云々とか騒いでいたが、たしかにコンビネーションとしてはあまりなかった組み合わせだった。DFのスターティングメンバーは駒野、今野、栗原、槙野だったし、試合終了時点では伊野波、森脇、近藤、槙野と、破綻してもおかしくないような感じ。中盤も遠藤、増田、柏木で、FWも前田、大久保、藤本と、ザッケローニ監督はどんなメンバでもそれなりに形にしちゃうのかと恐れ入る。

というより、ザッケローニの頭の中は本戦を見据えた最終予選に完全に切り替わっているのだろう。今までのチームを基礎に、次なる進化をさせようとしている。与えられた期間は決して長くはない。それでもザックは与えられた条件の中で最善の方法を取ろうとしている。素晴らしいね。

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オリンピック代表は強いのか

昨日のマレーシア戦は4-0でわれらが代表が勝った。これを大量点と見るか否かは評価の分かれる所かもしれないが、奇しくも俺の予想通りシリアが負けたので結果としては万々歳だ。

しかし、その内容はというと少々疑問符がつく。このメンバでの一番よい試合だったとかいう評価を聞くと、その思いはますます強くなる。この年代ってこんなもんなのだろうか。

とはいうものの、今までのオリンピック代表と比べた場合、底力と言うか確実さと言うか、安定感はかなりあるように思う。この年代はちょっとしたきっかけで不安定になりやすい。試合中もアレレと思う間に逆転したりされたりしがちだ。そういう不安定感はかなり少ないように感じる。だが、その分、火事場の馬鹿力みたいなものも感じない。調子に乗ったら手がつけられないというところが無いのである。

特に、終盤の自陣に引きこもったマレーシアに揺さぶりをかけられなかったのはごまかしようの無い事実だ。引かれた相手を崩すのは容易ではないのは十分理解している。それでも、崩そうという意志があまり感じられなかったのは少々残念だ。また、よくやったと言われている原口の安易なヒールパス(これは他の選手にも多少見られた)や短い距離でのパススピードの遅さが結構目についた。そんな安易な方法を取らず、キープするならしっかりキープすべきだし、パスをするならせめて相手には奪われないようにすべきだ。また、自陣へ戻らなければならないような横パスも気になった。受け手の逆をついて後ろに流れたパスが結構あったように思う。ほんの数メートルといえばそれまでだが、その差が最後には大きな時間のロスとなっているように思う。

この勝利で日本はかなり有利な立場になった。しかしながら、バーレーンにも一位通過の可能性がわずかながらに残っている。バーレーンは死んではいないどころか、若干息を吹き替えしてしまったことは忘れてはいけない。

まー、そんなの心配しすぎなんだけどね。多分次は余裕で勝つと思う。バーレーンは攻めるしかないからね。守りを固めない中東勢なんて、調子に乗らせなきゃ大したこと無い。じっくり様子をみて確実に仕留めるだけだな。

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マレーシア戦を占う

さぁこれからマレーシア戦だ。みんな大量点大量点と騒いでいるが、そうそう大量点など取れるはずも無い。ただ、今回はマレーシアのホームなので、ガチガチに引いて・・・という試合にならないかもしれない。そのことが唯一のつけいる隙だ、それでもホームでやった時で2点しか取れていない相手なのを忘れちゃいけない。

メンバを見ても、残念ながら大量点を取れる雰囲気は全く感じない。というか、大量点に目を奪われ、今までのバランスを崩しているようにも見える。いずれにせよ大きな期待をするべきではないだろう。

前にも書いたが、俺が期待しているのはバーレーンだ。シリアは最大のヤマと踏んでいた日本戦を征し、若干気持ちが緩んでいるのでは無いかと思う。簡単にいうと、燃え尽き気味なんじゃないかと。それに対しバーレーンは今日負けてしまうと2位という望みも断たれてしまう。もともとムラっ気の多い中東勢同士だ。何が起こるかわからん。

ということで、我らが代表は生暖かい目で見守り、バーレーンには熱い声援を贈りたい。

なんだか情けねーなぁ。

過冷却現象を利用した冷凍技術

とある雑誌をみていたら、面白い技術が載っていた。それは過冷却現象を利用した冷凍技術で、急速冷凍とかでも実現出来なかった細胞膜を破壊させないまま冷凍する技術らしい。

「CAS凍結」って何?

急速冷凍機の一種にアルコールを使った冷凍技術がある。通常の急速冷凍機は空気を使って温度を下げるが、これはマイナス30℃とかのアルコールを使って冷凍するもので、空気より比熱が高いためより速く冷凍できるらしい。これはかなり使えるかもと思っていたが、CAS冷凍はそのさらに上を行く感じだ。

このCAS冷凍、過冷却の状態を人工的に作り出して全ての水分を一気に結晶化させるというものだと理解したが、なるほどその方法だととても良い状態で凍るに違いない。この技術を使えば、たとえばレストラン等での料理の作りおき、それもかなり完成された状態での作りおきが可能になるかもしれん。調理人の作業量の平準化を図りながら、かつ仕入れ価格を睨んで生産することができるようになるかも・・・

ちょっと真面目に検討してみようかな。

肩がイタイでござる(泣)

ここ二週間ほど、肩凝りが極めて醜い状態になっている。どのくらい醜いかというと、肩凝りというより肉離れとかに近いような痛みで、少し冷えると腕から先に痺れが出るほどだ。低周波治療器や湿布などで症状を和らげようとするのだが、なかなか良くならない。あまりに痛いので何事にも集中出来なくて困る。

この肩の痛みは定期的にやってくるが、今回は特にひどい感じだ。数週間前まで、やけに視力が落ちたり頭痛や眼底の痛みが出たりしたのだが、どうやらこの肩凝りが原因だったようだ。今でも肩凝りはひどいが症状は多少なりとも緩和しているようで、頭痛とかそれ以外の症状はかなり良くなった。

ただ、痛みが単なる肩凝りとは違うような気がしてならない。筋肉の凝りというより、筋を痛めたとか寝違えたとかというような痛みなのである。こむら返りしたまま戻らない感じのような部分もある。それでも、脈打つような痛みは余り無いので、筋肉組織自体が大きく傷ついているのではないのかもしれん。

いずれにせよ医者にかかったほうがよいように思うが、以前同じような症状で医者に診てもらったときは結局なーんにも判らなかった。行った医者がヤブだったのかもしれん。というか、こういう症状は整体とかそういう類のほうが良いように思う。

どうでもいいけど早く治せや>俺の身体

お願いだから閉めてくだしあ

今年はいつになく寒い。最近は天候も良いため、放射冷却現象でますます冷える。そのせいか、とにかく電車の中も温まらない。それはそれで仕方がないのだが、勘弁してほしいのがドアの開けっ放しである。

こちらの電車はドアは自動では開かないやつが多い。ドアを開けるにはボタンを押さなくてはならないのだ。これは首都圏とかにいた人には理解されていないことらしく、たまにドアの前でボーッと開くのを待っている人に出くわす。閉まるほうは当然ながら黙っていれば発車前にドアは閉まるが、こちらも閉まるのボタンで強制的に閉めることが出来る。

こんなに寒いと、ドアを開けっ放しにされたときの寒さは半端ない。ドアが開くだけでも勘弁してほしいのに、ずーっと開いたままだと一気に車両内の空気がチョー冷たい外気と入れ代わるのである。それなのに、ああそれなのにそれなのに、必ずと言っていいほど閉めないやつが存在する。外気は冷凍庫なみなのになんでやねーん。

お願いですからドアはすぐ閉めてくださいませんか?

全て全部ズバッとお見通しなのに

こんな話を聞いたことはないだろうか。

ある学校での話。ある学年でとても対照的なクラスがあったという。あるクラスはとてもまとまりがよく、何をやらせてそつがなかった。そのクラスの先生はとても厳しく、授業での私語もなく素晴らしい授業風景だったらしい。もう一方は生徒の乱れが目につきやすく、いわゆる「出来の悪いクラス」と言われていた。あるとき厳しい先生が病気にかかり、しばらく休みをとることになった。すると出来のよかったクラスはあっという間に崩壊、乱れに乱れてしまったらしい。時を同じくして、もう一方の出来の悪いクラスの先生も怪我でしばらく学校を休むはめに・・・みんな出来の悪いクラスがこれからどうなるか心配だったらしいが、出来の悪いクラスは「先生がいない間くらいは先生に迷惑をかけないようにしよう」と一致団結し、すばらしいまとまりを見せたという。

まぁ、よく聞く話だ。

この話に出てくる「厳しい先生」というのは、想像するに見える範囲だけを取り繕うことが多かったのではなかろうか。自分の目が届く範囲でおかしなことが起こらないようチェックの目を光らせる。おかしなことがあれば厳しく注意し、修正させる。そんな感じだったのだろう。その厳しさはそれなりに成果を上げ、表面上はそれなりの評価を得ていた。だが、厳しいチェックの目がなくなった瞬間、タガが外れてしまった。

この厳しい先生に何が不足していたのか。

多分この先生は生徒のためを思って厳しくしていたのではない。自分をよく見せたいため、自分の思うとおりの状態にしたいために生徒を厳しく指導していたのだ。そこには信頼関係などあるはずもなく、存在していたのは力による強制だけだったに違いない。電車の中でぐずる子供をしかる親にもそういう姿勢をよく感じる。子供がぐずる理由を探すこともせず、他の客からの視線を恥じ子供を黙らせようとする。

そういう意識に子供は敏感だ。その言葉が誰のためのものなのか、子共は敏感に察知する。それはいくら言葉で取り繕っても無駄で、直感的にわかるものなのだ。

だが、歳を重ねるにつれ、いつの間にかその感覚はどんどん失われていく。そして知らず知らずのうちに自分の欲望のために人を動かそうとするのが当たり前のようになってしまう。言葉で取り繕えることにだけ長けていき、それが良いことのようにさえ思ってしまう。聞く人が聞けば全て全部ズバッとお見通しなのにね。

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不幸な人は不幸を好む

知り合いの中で、人の不幸にやたら食いついてくる人はいないだろうか。

不幸というと大げさだが、人が楽しみにしていたことが何かで流れたりすると過敏に反応する類の人だ。その話が、楽しみが潰れた本人から面白おかしく話された内容ならまだいい。「いついつの何々が潰れて残念だったね」と薄ら笑を浮かべて近寄ってくる類の人だ。

俺はなぜこういうことを嬉しそうに言えるのかよくわからない。相手に何かしら憎しみを抱いているのであれば、嫌味などを言うのも控えて距離を置くのが一番だ。逆に相手に親近感を覚えているのであればうれしそうな素振りは控えるべきだ。相手にとって嬉しいことではなく残念なことなのだから当然だろう。

そういう人は、知らず知らずのうちに人からムッとされていることに気がついていない。そのちょっとした不快感は次第に大きくなっていき、最後は嫌悪感に変わる。気がつくといつの間にか周りから敬遠され、その疎外感でますます嫌味な言葉が多くなっていく。自分で吐いた言葉が自分をどんどん不幸にして行ってしまうのになぜ気が付かないのだろう。

笑っている人間の周りには笑っている人間が集まってくる。だが、苦虫を噛み潰したような顔をした人間は笑っている人間の光を羨みならがら妬む。そして笑っている人間の苦痛に歪んだ顔を喜ぶのである。ただ笑うだけでいいのに、なぜかそれができない。とても不思議なことだと思う。

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ブログを書くのは誰のため?

ふと、これって誰のために書いてるんだろ、と思う時がある。自分で書いていて感じるときもあるし、他人のブログを読んでいて感じるときもある。何か心に引っかかるものがあって、それを吐き出したいとか記録にとどめておきたいとかという時は一気に書き上げることが多い。だから誰のためとか考えることもあまりない。だが、つらつらと取り留めもないことを書いているときにはよく感じる。

もともとはサーバ運営のメモとかを記録しておこうと思って始めたブログだが、気がつくとその最初の目的はどこかにすっ飛び、バイクとかゲームとかサッカーとかの話ばかりだ。俺は誰のために書いているんだろう。

答えは至極簡単で、自分のために書いているのだということにすぐ気がついた。一番読ませたいのは将来の自分なのだ。当然、現在の一番の愛読者は自分であり、それは過去から未来もそうなのだろう。もしこのブログのデータを消した時は、その気持がなくなったときなんだろうな、と思う。

kindleカモーン

アマゾンのキンドル(kindle)が一万円前半くらいで発売されるというニュースを見た。価格だけで無く、NTTの無線LANも無料で使えるとか。これは買いかもしれん。iPadとかソニーのなんちゃらとか、はたまたAndroid搭載のタブレットとかも悪くはないのだが、まず一番は購入できる電子ブックのコンテンツ数と価格、そして端末の価格だ。また、それ単体でコンテンツがダウンロードできるか否かも重要だろう。

そもそもタブレットをPCのように使うつもりは全くない。そんな使い方なら安いノートPCを買ったほうがまだマシだ。だから機能が限定された電子ブックリーダーというのは、俺の中ではかなり「アリ」なのである。鞄に本を詰め込むと重くてタマランが、kindleなら一台で何冊もの本を持って歩ける。なんとすばからしい。

早く発売されないかなぁ。