地球が2個必要ですってよ奥様

ACのCMで、このまま行くと地球が2個必要だってやつが流れている。

ふーん、である。で、どうしろと?昔のような生活に戻るべきというのか、それとも人口増加の抑制をすべきというのか・・・そもそも資源が不足する原因はなんなのか。

人間の暮らしが問題だとしたら、これはもう人間をハイブリッド化するしかない。食べた物のエネルギーを有効に使うよう、動いたら発電するスーツなどを身にまとって活動するとかしないとだめだろ。そのスーツは冷暖房も不要にするくらいの熱変換機能もそなえていて・・・とか。

後はとにかく小さくなる。頭以外にエネルギーを使わなくてよいように、可能な限り筋力を落とす。脳みそがエネルギー大食いするんだってことは気にするな。だから、これからの「美しさ」はガリガリのチビが大前提だ。想像の知的生命体に頭でっかちのガリガリチビが多いのはそのせいだ。

不安を煽るCMも何らかの意味はあるかもしれない。だけど、「じゃあ、どうするの?」なしで丸投げするのはいかがなものかと思う。不安をあおって環境ビジネスに繋げようって魂胆だろうけど、あれほど騒いだ「温暖化」の盛り上がりはどこに行ったんだ?と言いたい。

自分の事を「筆者筆者」言うやつってなんなの?

いろんなブログとかを見ていると、その中の一定数が自分の事を「筆者」と表現している。確かにエントリを書いた者なので「筆者」に間違いはなく、特に個人のブログを書いた人の使い方として問題はない。しかし俺はこの言葉が嫌いである。

なぜ嫌いか。それはあまりにも「読み手」を意識した言葉だからだ。物書きを生業にしているとかかなりの量を書いているのであれば「筆者」でも良いだろう。ただ、どのくらいの人が読んでいるのかを考えた場合どうなのか、である。このサイトでは一日に500~1000程度だ。こんな人数で「筆者」と表現するのは気が引ける。というか、「俺は発信してるんだぞ!」感満載に思えてしまうのである。

個人のブログのほとんどはゴミのようなエントリの集まりでしかない。以前もブログを書くのは誰のため?というエントリを書いたことがあるが、ブログは自分の為に書いていることばかりだ。変に格好つけて他人向けに書く必要はない。もっと言うと、他人ばかりに意識を向けて書いているブログは気持ち悪いのである。お前は誰に向かって書いてるんだ?

成長成長うるさい

今日久々にTV(スポーツニュース)を見ていたら、選手とかキャスターとかが「成長成長」とやかましい。

以前も「成長」という言葉をよく使う奴は信頼出来ないとか書いたことがある。スポーツ選手のように勝負として結果がはっきり出ることに対して上を目指すのは否定はしない。ただ、バカのひとつ覚えのように「成長」というのは語彙が少なすぎて泣ける。メンタルの強化なのか技術の向上なのか、はたまた筋力のアップなのかという具体的な話をするべきではないのか。

昔、プロ野球のヒーローインタビューで「そうですね」という台詞がやたら気になった。そう言わせるインタビュアーもダメダメだし、同じ台詞を何回も使うことに対しての違和感も無い。そんなインタビューは聞いていても面白くもないし、逆に気分が悪くなってしまう。

最近の「成長」もそうで、そもそも社会がここまで成熟してくると、経済的にも大きな伸びは期待できない。時代は現状維持にシフトしてきているのであって、そんな中で成長成長と連呼されても腑に落ちない。というか、そんなに成長してどうするんだと言いたい。俺には「億万長者」というアメリカンジョークそのものを目指しているように聞こえるのだが、どうか。

福島第一原発井戸の藻のような生物はどうなったのか

結構前にこんなニュースを見た。

福島第一原発の井戸に謎の生物 地下水くみ上げ阻む?:朝日新聞デジタル

この話はどうなったのだろう。というか、最近は福島第一原発の話題も殆ど見かけなくなった。ちょっと気になったが、こんな奴しか見つからない。

【福島原発事故】参加新聞社の福島第1原発事故関連ニュース(一覧) : 47トピックス – 47NEWS(よんななニュース)

なんだかなー。やっぱりこんなもんだよね。まだ3年半しか経っていないんだけどね・・・

LINEデビューしてみて驚いた

とある事情でLINEをタブレットに入れた。俺は電話やメールだけで連絡に困っていないしこれ以上連絡をとりあう人を増やす気もないので、LINEは今まで全く興味がなかったし入れる必要もなかった。また、暇さえあればスマホとかを見ている人を見て、ますます入れる気がしなくなっていたのも事実だ。

そんな俺だが、とある事情でLINEをインストールする事になった。インストール時にはいろいろウザいだろうから、「友だち自動追加」と「友だちへの追加を許可」はオフにしておいたのだが、知り合いを登録する方法が今ひとつ分からなかったので、「友だちへの追加を許可」をONにしてみた。するとバラバラと知り合いじゃないかみたいなリストが上がってくるじゃないか。それも「電話番号で友だちに追加されました」と・・・

これ、みんななんとも思っていないのだろうか。ソフトが自分の電話帳にアクセスして、マッチングしていれば勝手に友だち追加しちゃうんだろ?電話帳データに勝手にアクセスされているんだけど、いいのそれで?恐ろしいね。

アメリカのドラマで「PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット」というのがある。犯罪予知のシステムを作り上げた主人公が凄腕の元CIAエージェントと組んで凶悪犯罪を未然に防いでいくという物語なのだが、そのシステム構築した主人公がこんな台詞をいう場面がある。

SNSも私が作った。それまでは個人情報を集めるのは大変な作業だったが、みんな喜びながら自ら進んで個人情報を開示してくれるようになった。

まさにこんな状況な気がする。個人情報から何からを小さな端末に入れ、その情報をあっさりとソフトに晒し、サーバへのアップロードも許可してしまう。

かなりの人がそんな状況を十分理解しないで使っているのだろう。必要以上に危機感をもつ必要はないかもしれん。だが、どういう状況にあるのかは把握しておくべきだと改めて思った。

信じるものは救われる的な胡散臭さ

最近「愚の○ー」とか言う奴にたまに取り上げられる記事に「なんちゃらマーケティング」なるものがある。差し障りがないよう「なんちゃら」で勘弁。ああいう記事を呼んでいると、なんというか背中がムズムズするような感覚に襲われる。全てに前向きで良い行動に対して良い結果が来ることを信じさせるような書き方がどうしても馴染めない。馴染めないというより、とにかく胡散臭いのである。

商売はそのほとんどが「運」と「人脈」で決まるのではないかと思う。人脈をつくるには社会的地位と金がとても重要な要素だ。信頼関係を築くには誠実さなどの人柄がポイントだろう。普通マーケティングと言ったら、きちんと計測できる社会的地位や金についてしっかりと分析するべきであると思うのだが、上のなんちゃらマーケティングでは信頼関係を築くための要素を重要視しているように見える。急がばまわれなのかもしれんが、それは単なる個人的な意見であってマーケティングと呼べるようなシロモノとは思えない。

胡散臭い原因は、宗教的な手法でマーケティングを語っている点に尽きる。科学的に計測できるわけでもないし、再現性も乏しい。そんな「信じるものは救われる」みたいな話をありがたく読む意味がわからない。

とにかく読んで気持ちが悪くなるのだが、「愚の○ー」などのリンクだけではなんちゃらマーケティングのサイトかどうかがパッと見て分からず、タイトルに釣られてついクリックしてしまったりする。途中まで読んでいたら背中がムズムズするのでおかしいなと思って調べてみるとかのサイトということが何度かあった。だから、タイトルのつけ方はかなりうまいのだろう。だが内容が胡散臭い。いつでも笑っていましょう、殴られてもなじられても・・・みたいな気持ち悪さが漂う。

なぜここまで気持ちが悪くなるのか、自分でもわからないのが不思議だ。

友人が遭遇した若者

友人が飛行機内で遭遇した話。

友人が座席に着くと、搭乗口と反対側から同列の乗車客が現れた。その飛行機はそれほど大きくないので搭乗口は前方一カ所しかない。だから後方から乗客が来ることは有り得ない。多分トイレにでも行っていたのだろうと思ったのだが、なぜかタバコ臭い。今吸ってきたばかりの臭いがしたという。その乗客は二十歳前後の男で、まさに今時のチャラ男風。まさかと思ったが、そのタバコ臭は今吸ってきたと言わんばかりだ。

それだけならまだしも、CAに注意されるまでスマホを弄る。シートベルトはまともにしない。アナウンスの前にスマホを弄り始め、着陸態勢にはいり機内アナウンスで注意呼びかけがあっても弄ったままである。そして再びCAに注意される始末。言われなければそのままだっただろう。

こういう奴を見ていると、得も言われぬ情けなさに襲われるのはどうしてなんだろう。腹立たしさも確かにあるが、それより情けなくて仕方がない。どう育てればこういう人間になるのか。若い頃は粋がって規則を破るのがステータスみたいになる時期は確かにある。多分、そんな時期の若者に偶然遭遇しただけなんだろう。それでもこういう若者を見ていると情けなさと淋しさで一杯になってしまう、と、友人は言った。

年配者のワガママは目に余るし非常に腹立たしい。それは「この御人は、死ぬまでこのままなのだろう」という諦めの気持ちが怒りを呼び起こすからだ。しかし若者は違う。彼は親と友人に恵まれなかったのだろうか。俺のマンションにも未だにエレベーターホールに空き缶を捨てるやつがいる。きっと、空き缶を捨てる奴と友人が遭遇した奴は同類なんだろう。こんな人間が増えていった世の中を想像すると、とても恐ろしくなるのは俺だけだろうか。

朝日を読むのはやめようかな

朝日新聞が従軍慰安婦報道を撤回した。ここにきてどういう風の吹き回しかわからないが、なにかの力が働いたのだろうとは思う。そう思うけれども、今になって「アレはマチガイ。スマン。」とか言われても、朝日新聞が日本の評判を大きく落とすきっかけを作ったのは紛れもない事実だ。あの新聞社のおかげで、大きく国益を損ねたのは言うまでもない。

白紙撤回しただけマシなんて思っちゃいけない。朝日は世界中に「朝日の報道は全くのデマでした。」とガンガン発信しなければならない。ここまでゴミをばらまいておきながら、後はみんなで拾ってね、じゃ虫がよすぎる。

というか、朝日は購読拒否だ。こんなウソを長年ついてきた新聞社など全く信用できるわけがない。朝日新聞の購読は今すぐやめるべきじゃなかろうか。

単位や前提条件がわからない数字の話など意味は無い

先日の出来事。とある人に「ガソリン車とディーゼル車だと、ディーゼルのほうが安いよね」と言われた。とりあえず「うーん、今は軽油も高いからどうなんだろうね。」と答えておいたが、実際はどう答えてよいかわからない質問である。

まず、何を持って「安い」とするのかがわからない。一般的には、一定距離を走った時に使用される燃料費の事を指すのだろうが、これだって排気量によって全然違うし、エコカーか否かでもまったく変わってくる。車体価格を含めたトータルでのコストであっても、とにかく前提条件がわからない。もっと突っ込めば、金額なのか使用する燃料の量なのかでも話は変わる。燃料費(円)=走行距離÷燃費✕燃料単価なのだから、まずはどの単位の部分を比べたいのかくらいははっきりさせないといけない。

また、ある時は暖房に関して「灯油よりガスのほうが安いよね」と言われたことがある。なんで?と聞いたら「だって単価が違うじゃん」と返され愕然とした。そもそも灯油は液体でガスは気体である。つまり計測する単位が違う。灯油はリットルなどで表し、ガスは立法メートルなどで表す。当然単価も灯油は1リットルあたり○○円、ガスは1立法メートル当たり□□円と決められる。これをどうやって比較するのか。今回の場合は、ある一定の熱量を発生させるには灯油で何リットル、ガスでは何立方メートル必要なのかをまず調べ、それに単価を掛けてみないと分からない。当然発熱させる機器によっても効率は大きく変わってくる。

かなり昔のTVで、一生懸命車を追い越して目的地に行った場合とそうでない場合にどのくらい時間的に違うのか、みたいな事をやっているのを見たことがある。結果はたったの5分であった。その番組はたった5分の為にリスクを犯すのかみたいな話でくくられていたが、これとて全行程が何Kmかがわからないと何も言えない。仮に全行程が10Kmで、追い越して行ったら5分、普通に走って10分だとすれば平均時速にすれば2倍の差である。これを100Kmの行程で試せば50分の差になる。逆に200Km走って5分しか違わないとしたら、追い越しでの時間短縮はあまり効果が無いと言っても良いかもしれない。但し、この実験は法定速度をしっかりと守った場合であろうから、現実とはかなり違うだろう。

このように、単位や前提条件を明示しない数字の話など何ら意味を持たない。お互いが共通認識を持っているのであれば勘所だけの話でも通じるが、ネットのように共通認識がない場合は特に注意が必要だ。

マウスオーバー広告なんて消えてなくなればいいのに

最近やたら目立つのが一定時間のマウスオーバーで動画が勝手に再生する広告。なんなのあれ。全然嬉しくないし、ボーっとしていたら突然画面が勝手に切り替わったりして心臓に良くない。なんであんなのがはびこっているんだろう。

まさにこれは「隙あらば再生!(てへぺろ)」という提供側の理論で、そのプレゼンに乗っかった広告主との合わせ技で一気に蔓延したに違いない。だが、あれに対する批判は思ったより少ない感じ。サクッと検索するとこれくらいか。

マウスオーバーで動画再生する広告売ってるやつ馬鹿なの?死ぬの?

マウスオーバー自動再生広告を禁止せよ!! | 世事熟視~コソダチP

マウスオーバーで再生する動画広告がウザいのでChromeのFlashを無効にした

マウスオーバーで広がる広告再び – 周回遅れの日記 – はてなダイアリー

意外にみんな気にしていないっぽい。俺にしてみれば、勝手に動くなボケェッ!って、自分でカーソルを乗せておきながらも腹が立つのである。道具のクセにご主人様の予期せぬ動きをするでない! 止めるぞこのボケェッ! (*´Д`)ハァハァ となって精神衛生上全くよろしくないのだが・・・マジやめてくんねーかなあのタイプの広告。全然嬉しくないから。

「子供に教えてやる」という愚

ものの本とかサイトの書き込みで、たまに「子供に教えてあげたい」とかいうのを見かけることがある。父として母として、何かを(というか自分の生きてきた証を)子供に伝えたいという気持ちはよく分かる。しかし、大人のほうが経験もあって知識も豊富というような、いわゆる「上から目線」で「子供に教えたい」というのが見え隠れするものにはどうしても賛同できない。

子供は大人にいろいろなことを気づかせてくれる。こっちが教えられることのほうが多いくらいだ。だから、そもそもの話として「教えてあげる」という事自体がおこがましい。また、自分の後ろ姿を見せるのはかまわないが、それを良しと思うかどうかは子供の勝手だ。

「教えてあげる」という意識には本人が気がついていないかもしれない裏がある。それは教えた後の結果に、なにかしら勝手な期待をしていることだ。「こうあってほしい」という押し付けが出てしまいやすいのである。過度な期待や自分の好みの強要、さらには自分が出来なかったことに対する後悔が「教えてあげる」という形になっていないか、よく考えた方がいいだろう。「教えてあげる」という内容が本当に子供のためなのか、それとも自分の満足のためなのか、胸に手を当てて考えるべきだと思う。

自分の了見の狭さを理解していない人々

俺ぐらいの歳になってくると、少しばかり経験値があるがゆえにその経験値から抜け出せなくなる事がある。それを「自分の殻から抜け出せない」とか言い表したりするが、とりあえずこれまで生きてこれたのでどうしても今までの方法に偏りがちになる。だが、これは年をとったからではなく、若い頃にもよく見受けられることだ。自分の経験や考えから抜け出せないのはよくある話なのだ。

趣味にこだわりを持つ人間もこの傾向が強い。バイク乗りなどは特に多いような気がする。自分の好みのジャンル、俺であればレーサレプリカとかSSとかが大の好みで、それ以外はあまり興味もない。また、乗るなら最新鋭かつ新車で、中古や昔のバイクは眼中にない。しかし、少しは年を重ねたので、他人が好きな事に不必要にイチャモンをつけることにあまり意味が無いことは知っている。

それでも、若い奴は○○に強いが年寄りはダメだみたいな偏った意見をみると、その了見の狭さとそれを恥ずかしげもなく世間に知らしめている厚顔無恥さ加減にとても残念な気分になる。趣味など自分が納得できればそれでいいものであって、納得している自分に対してあれこれ外野から言われる筋合いはない。また、趣味に対する考えを人に押し付けるべきものでもない。本やネットからの知識だけはわからないことはたくさんある。自分の好き嫌いは表明して構わないが、特定の集団などをステレオタイプとして表現する場合は特に注意が必要だ。

若い頃は自分だけがうまく工夫しているように思い込みがちだが、そんなことをぶっ飛ばして金に物を言わせるなどしてすんなり解決するのは年配者のほうが多い。大きな苦労もせずして結果だけは最高のものを得られる人もそれなりにいることを覚えておかないと、いずれ恥をかくことになるだろうね。

自分の国に帰ってもらえ

昔の人の教えってのは結構正しかったのかなぁと思うことは結構ある。最近それを感じるのは「在日には気をつけろ」という言葉だ。最近ではとんと言われなかったのがとても不思議である。で、言われなくなった結果がこれだ。

韓国小学生86%「日本が嫌い」…嫌いな国アンケートで圧倒的
韓国閣僚が慰安婦問題で謝罪要求 日本政府が反論

まぁこんなのどうでもいいのだが、まさか日本にいる在日がこんなことを思ってはいないよなと声を大にして叫びたい。嫌だったら帰って欲しいとつくづく思う。在日特権などとっとと解消して、日本に住むなら日本人として住まわせるのが当たり前だろう。繰り返して言うが、嫌だったらとっとと帰ってもらえ。別に「お願いだから日本にいてください」なんて誰も思っていないから。

そんな特権とかも与えられ日本から散々カネを巻き上げているくせに、既に精算されている戦争問題をいまだに持ちだしてカネを取ろうとする態度が許せない。在日には帰ってもらえよ、冗談じゃなく。なんで40万人近くも住まわしてやってんだよ。あんな理不尽なことをいう国のやつはとっとと帰せ。文句言うなら自国民をできる限り引き上げてから言えって。そんな嫌いな国に住むことは推奨しませんって言えよ図々しい。

というか、反日教育している国とつきあう事自体がおかしいんだって。敵対視する教育をしている国とまともに話ができるわけ無いだろ。それを理解していないやつがあまりに多すぎだよ日本は。

正義の味方ヅラには吐き気がする

今日の朝日新聞に、出向がどうのこうのという記事が出ていた。会社で必要がないと判断した従業員をとある出向先に送り云々という記事だ。

何を今更正義の味方面してこのようなことを書くのか意図が分からない。企業は社員を簡単に解雇できない。労働基準法でがっちりとガードされているのは新聞社なら知っていて当たり前だ。首切りは出来ないが、転勤や出向は比較的簡単に発令できるし、それを拒んだ者に対しては「会社の指示を拒んだ」ということで厳しく対処出来たりする。これも新聞社が知らないとは言わせない。企業は冷淡に首切りを進めているように思われがちだが、実はそんなに簡単に従業員の首など切れないのだ。簡単に首切り出来ると思っている人はテレビドラマ、それもアメリカのドラマの見過ぎだ。

日本でいわゆる整理解雇がすんなり認められるのは、事業所閉鎖等による事業縮小などの場合がほとんどで、業績不振だけではなかなか難しい。だから大規模な人員整理の時は、工場や事業所閉鎖がセットになる。そこまで決断出来ない場合は、転勤や異動で自主退社に持って行く。これが日本の法律の示す方向だからだ。その根本的な仕組みに言及せず、法に則りながら解決策を探している企業だけを断罪する朝日新聞のスタンスには反吐がでる。

表面上のわかりやすい白黒だけを論じ、根本的な問題にはいっさい触れない。正義の味方ヅラをしながら、こんな薄っぺらい報道を平気でする新聞社に存在意義などあるのだろうか。