最近「頑張ってください」という有難いコメントを二回もいただき恐縮至極である。であるが、実際のところ、俺は頑張っているという意識はほとんどない。だから「頑張ってください」と言われてもピンとこないのが本音だ。それで照れ隠しにjojoの名台詞「オー! ノーッ おれの嫌いな言葉は一番が「努力」で二番目が「ガンバル」なんだぜーッ」と書いてみたりしている。
実際、俺は「一生懸命」とか「努力」とか「頑張る」という言葉はあまり好きではない。その言葉に「嫌いな事に無理をして取り組む」というニュアンスが感じ取れるからだ。しかし、世の中には好きなものに熱中している姿をみて「頑張っているね」という人があまりにも多い。
好きなことをやっているときには、時間がたつのを忘れることがよくある。寝食を忘れて熱中するときさえある。それほど集中しているのだ。「好きこそものの上手なれ」という言葉のとおり、好きなものの上達が早いのもうなずける話である。
かたや嫌なことはどうかといえば、ほんのちょっとの時間でさえたまらなくなるほど長く感じる。集中出来ないので他の事に気を奪われやすく、作業は一向に進まない。効率も覚えも悪いのだが、何となく真面目にやっているように見えると、なぜか「頑張っている」と賞賛されることがある。「うーん」とうなりながら難しい顔をして、遅々として進まないことにただただ時間を費やしていてもだ。
熱中する対象で勝手に優劣をつけられるのも不思議だ。仕事や研究に熱中していて「頑張っているね」と言われる事はあっても、ゲームとかに熱中していても誰も「頑張っているね」とは言わない。仕事や学業はいいこと、趣味的なものはよくないことと、誰かが価値を感じるものに熱中している様は「頑張っている」と賞賛される。だけど、何かに熱中している人は褒められたくてやっているわけじゃない。やっている時が最高の幸せだから熱中する。
そんな幸せな時間なのに、辛いことに耐えているように見える様を賞賛するのはなぜなんだろう。当の本人はなんとも思っておらず、周囲が勝手に「アレは大変だよね」と思い込んでいるだけの事かもしれないのに。最初は嫌いでも、やっているうちに何かしらの面白さを見出しているから集中できているのを忘れているのじゃなかろうか。