どうでもいいことに興奮されても

他人にとってはどうでもいいようなことを興奮しまくって話す奴がいる。こちらにとってはどうでもいい話しでも、本人にとってはものすごく面白い話なんだろうとは思う。しかし、そんな話には全然興味がないし、「だからどうしたの?」のような話をそんなに熱弁されても困る。ただ、同じように全く興味がない話でも、話す奴によってはものすごく面白い話に感じることもあるのは不思議だ。

なぜ同じ興味がない話なのに面白かったり面白くなかったりするのだろう。

面白くない話をする奴は、大体すべてが自分本位で話をする。自分が面白いと思ったポイントだけを自分の感情を尺度に一生懸命話をする。しかし、自分本位な話なので、その話を聞いても情景が想像できないことが多い。想像できないから「単なる言葉」としてしか聞くことができない。

それに対し、話のうまい奴は周囲の状況を話の中にちりばめながらも自分の感情はあまり織り込まずに話をする。状況を想像させることで体験を共有化させているのである。その場にいたような気分になれるので、興味のない話でも面白く感じるポイントが見つけやすい。人が面白いと思うポイントは人それぞれなので、話し手が面白いと思ったことだけを話しても感情の押し売りにしかならないのだ。料理を食べて「おいしい」とだけ言われてもどんなおいしさか分からないのと同じだ。

話が面白くないひとは得てして「自分=他人」だ。誰もが自分と同じ感覚を持っていると錯覚しているし、自分の面白いと思ったところはみんなが面白いと思うだろうと勘違いしている。これは会話だけでなくこういうブログとかの文章にも通づることで、まぁ、落ち着いて冷静に話せや。

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