ロックアウト

リュック・ベッソンが放つSF超大作!という言葉に惹かれて観る。

まぁそれなりに面白い。

だけれども、最後の地球に戻ってからが少々いただけない。大統領は権利を剥奪されたんじゃなかったっけ?とか、レニー・ジェームズ肩持ちすぎでおかしかったよねとか・・・おっとその前に、宇宙ステーションから飛び出して落ちるほど地球の引力は作用していたのかな?という疑問も。まぁ娯楽作品なんで、堅いこと無しで行こうか。

それにしても、囚人をコールドスリープさせるというのはいいアイディアかもしれんな、とか思う俺はちょっと頭のネジがおかしいのかもね。

ブラッド・ダイヤモンド

主演 レオナルド・ディカプリオと聞くだけで、それなりの大作なんだろうなーと思ってしまう。内容は「1999年、アフリカのシエラレオネ共和国。ダイヤの密輸に手を染める元傭兵と貧しいながら幸せな生活を送る純朴な漁師。交わるはずのなかった二人の人生が、運命に翻弄され動き始める。」by Amazon である。

面白いし時間を感じさせないまま話は進むしちょっとハラハラ・ドキドキするし最後はそれなりにグッとくるしで、いわゆる「ソツのないとても良い映画」だ。

だけど、なんでか知らんが記憶に残らない。頭に焼き付くようなワンシーンが無いんだよな。悪いところなんてあまり無いんだけど・・・精神的にきついところもそんなに無いし。親父が子ども兵士にされた息子に殺されそうになって息子を殺してしまうとか親父が殺されるとか、理不尽すぎて気持ち悪いみたいなところが無いからかもしれん。ま、そんなの映画に誰も望んでいないんだろうけどね。

最高の人生の見つけ方

先日見た「ショーシャンクの空に」の流れで、モーガン・フリーマンが出ている「最高の人生の見つけ方」を見た。

個人的には原題の「The Bucket List」のままでいいんじゃね?と思う。別に「最高の人生」じゃねーし。

それでも名優2人にはジーンとさせられた。特に凄いシーンとか盛り上がるところとか無いんだよこれ。だけどグッと来る。意味わからん。

ミザリーを撮った監督なんだよロブ・ライナーって。これも意味わからん。

いい映画だ。

ショーシャンクの空に

この映画、実はずっと食わず嫌いしていた。なんでか知らんが手が伸びなかったのだ。理由は多分「いい映画だよこれ」という評判。いい映画と呼ばれているものはいつでも手に入る。だから焦って観る必要はない。だが、評判でない作品はタイミングを逃すと二度と見ることが出来なかったりする。なので俺の中では誰が見ても高評価な作品は優先度が低くなってしまうのだ。そのくせ、この映画の内容は全く知らなかったりする。

もう一つ敬遠していた理由は、きっとこの映画のスチール写真である。なんつーかなぁ、感動モノですよこれというにおいがプンプンするわけ。俺は「名作」より「B級ホラー」に手が伸びる性格で、映画の好みは「感動」や「希望」や「リアリティ」よりも「恐怖」と「絶望」と「虚構」なので、どうしても優先順位が落ちてしまう。

だけどやっぱり面白かった。といいつつ、最後に箱の中から銃が出てきて、やっぱり嫁&間男殺しはアイツだったのか!みたいになるのかと期待していたが、とてもいい終わり方でちょっとがっかりしたのはナイショだ。

「期待されて金メダル」の凄さ

先日、ちょっと久々にボウリングをした。やりこんでいる頃はAVG175くらいで、ハイスコアは242、最低でも150くらいの点数は出た。つか、150台だと落ち込んだ。なので今回もそこそこの点数がでるかなーと思っていたが、ブランクの大きさには勝てず、AVG155であった。だめじゃん。持っている力の最低ラインでそれなりの点数にならないと結局こうなる。100回に一回しか出ないような過去の栄光&まぐれのハイスコアなんて参考にも自慢にもならない。

羽生選手、小平選手の金メダルで大盛り上がりの日本だが、こういう「期待されても金メダルを取れる」というのはものすごいことだ。なぜなら、いつでも絶好調では無いからだ。ボウリングのプロテストは60ゲームでAVG200以上だ。60Gもすればダメなゲームもそれなりにある。それをカバーしつつAVG200を出すということは、悪い状態でも180以上のスコアが必要になるだろう。金メダルとレベルは違うが、ま、そういうことだ。だから、期待されても金メダルを取るには、調子が悪くても優勝できる力がないと難しいに違いない。ダメな状態でも世界一に近いってこと。だから恐ろしいくらいにレベルが違うはず。

これを感じたのが、夏季オリンピックでは野村忠宏だとか吉田沙保里だとか伊調馨だとかである。これらの選手は非常に長きに渡って世界一の称号を守った。冬季オリンピックでは憎たらしいほど強かったスキーノルディック複合団体の印象が強いけれど、羽生選手も小平選手もこのレベルにまで行けるといいね。

文句の多いおじさんおばさん生成方法

友人の会社に文句の多いおじさんおばさんが多数存在していてウザいらしい。

ふと、なんで仕事でウザいおじさんおばさん(以下、ウザGB)が生まれるのかを考えてみた。文句の多いおじさんおばさんは多いけれど、仕事に対するこだわりが他の社員も納得できる場合は「ウザGB」とは呼ばれない。その場合、「厳しい人」という評価になると思う。なぜウザいと感じるのか。

それは多分、効率化とか仕事の出来栄え以前に、自分のやり方が全てだからだと思う。簡単にいえば、自分のやり方以外認めねーって奴。これがウザく思われる一番の要因だろう。

以下、ウザGBの生成仮定を推測。

ウザGBも、最初は「自分のやり方が全て」なんて思っていなかった。逆に少々機転が利かないタイプで、教わったやり方を苦労しながらしっかりこなすことで精一杯だ。そんなウザGBであったが、年月を費やすうちに、とりあえずその業務は一人前にこなせるようになった。

そこに人事異動で他部署の外様くんが配属された。外様くんにはウザGBが仕事を教えるのだが、ウザGBは今まで仕事を人に教えたことが殆ど無い。だから全て言葉足らずである。それでも外様くんは自分の理解した範囲内で仕事をこなすのだが、当然不備も失敗もそれなりにある。ウザGBはそのミスがとても気に入らない。
「私は苦労してここまで出来るようになったのに、外様はなんなの?そもそも教えたとおりにやっていないじゃない。」
と、自分の教えるスキルの低さをそっちのけで血圧を上昇させてしまうウザGB。

こうなるともうダメで、外様くんがいつまでも仕事が出来なければ人格否定、仕事が出来るようになっても自分のやり方と違う点を見つけては「外様はダメだ」となる。

まとめるとウザGB生成方法は次の通り。

1、若干能力の低い人間を採用する

2、同じ部署で同じ仕事を何年もやらせるが昇格はしない

3、自分なりに仕事の手順などが固まったあたりで他部署の下につける

4、上司は異動してきた人間の教育をウザGBに丸投げしフォローしない

大抵の人間はこれでウザGBになる。このポイントは2のあたりにあって、このウザGBがずっと同じ部署に留まっているというのがキモである。要は、ポテンシャルが低くて異動させられないのだ。仕事できねーなのに、ずーっといるからその仕事だけはそれなりにこなせるようになり、結局はお局とかっぽくなってしまうのである。

この裏にあるのは「頑張っているのに評価されない」といった逆恨みのような感情と、能力が低いことから由来する高い自己評価であろう。

なぜ能力の低い人ほど自分を「過大評価」するのか 参照

やっぱり人事異動は偏らせず定期的に行わないとダメだよね。

アンケートとかに「もう利用しない」とか書く必要あるのかなぁ

ホテルとかの口コミで、「もう利用しません」というような書込をたまに見かける。気持ちはわからなくもないけれど、まずはその場で不備を指摘し改善を促しつつ対価に見合ったサービスをしてもらうべきじゃないのかと思う。何も言わないのであれば最後まで黙ってもう二度と利用しないほうがずっとスマートだよね。それを揚げ足取りのように不備だけをクローズアップして書き込むのって営業妨害じゃね?

また、「これじゃもう利用することはない」とか言うのもあくまで個人の感想。そう思う人が多ければ黙っていても売上が落ちて潰れるだけなんだけどな・・・

オリンピックでも日韓W杯の悪夢が繰り返されるのか?

今日から平昌オリンピックが始まる。思い出されるのは日韓ワールドカップでの醜態である。

【日韓共催】2002年 FIFAワールドカップを台無しにした出来事まとめ【誤審・反則】

今はあの当時と比べてネットが著しく発達した。なので、醜いやつはどんどん世の中に出てくると思う。悪意があるのかもしれんが、すでにオリンピックの運営とかで「これは・・・」と思うようなことが漏れ伝わってきている。日韓ワールドカップの醜態を、お隣さんは再び繰り返すのだろうか。

ま、やるだろうね、きっと。あの国には常識なんて通用しないだろうし、恥よりメンツだろうからね。

後付理由は必要なのか

採用選考に「AI」を導入しようとしたが、断念した会社の話が面白かった。

なるほどなーと思いつつ、かなり納得できない部分が多かった。納得できない一番のところは、「選考基準が明確だったら誰がやっても結果は同じ」だし、結果が人によって差があるとすれば、それは個人のセンサー(感覚)の違いでしか無いのではと思えるからだ。この場合、選んだ理由の説明は、そのまま個人のセンサーの説明とイコールである。人はそれをもっともらしい理屈を付けて説明するのだろうが、結局のところ「好み」というものに行き着くような気がしてならない。

この話に出てくるAIに関して言えば、『AIが「なぜこの人を選んだのか。なぜこの人を選ばなかったのか」を説明してくれなかった』というより、選考基準となったポイントを表示できないAIだったということではないのか。

さらに「採用は非常に責任がある行為だから、AIが出した答えに本当に合理性があるのかを二重にチェックする必要がある」という理屈のもとに再検証したら「結局これ、普段やってる業務とやってる事かわらなくない?」という話になったというのが驚きだ。結果はなかなか上々だったのに難癖つけて時間をロス、で、出した結論がAIの導入を断念だと。なんだそれ。

AIの結果を参照しつつ人間が決めればいいだけじゃないの?とかAIの判断した項目が細かく数値化されて出てくれば問題ないんじゃね?、と思った次第。つか、本当に優秀なAIになったら、採用された人のデータから評価者の傾向もラーニングして結果をだすようになるはず。

極端な話をすれば「AIより人間のほうが賢いんだ」と思いたいだけじゃないかと思った次第。多分、人間の脳はその機能の大部分でAIに負けるよ。そんなところで意地を張るより、どうやって使っていくかを考えたほうがずっといいよね。

とか書いていたら、やまもといちろう氏がずっとずっと的確な指摘をされていたので貼っておく。

人工知能が人間の採用基準を決めてるわけがないだろという話

話題の「チェイス」を観てみた

清水潔さんの『殺人犯はそこにいる』との類似が指摘されている、Amazonプライム・ビデオで配信中のドラマ「チェイス」を観てみた。現段階では第6話まで。

チェイスを見る前に、「殺人犯はそこにいる」は読んでいたのだが、このドラマは「殺人犯はそこにいる」が原作と言われても仕方がないレベルで酷似している。というかそのまんまじゃん。ただ、所詮人気タレントを使ったドラマなので物語の重さは比べるまでもない。

「殺人犯はそこにいる」との相違点は、冤罪で拘束された期間は27年ではなく17年であったこと、報道したのはBSでなく地上波だったこと、この事件を取り上げたのは女性ADでなく男性記者だったこと、最初の犠牲者の家族には殺された女の子の弟もいたこと、殺人現場にあるのはお地蔵さんでなく筆者が打った杭であることくらいしか思い当たらない。列挙した相違点も、原作から映像化するにあたって脚色が加えられるのはよくある話で、この程度の脚色などカワイイものである。

ここまで酷似していると疑われても当然だろうね。

感情2号線になっていませんか?

環状2号線が出来ない政治責任はどこに?

かなり由々しき問題だと思う。小池都知事が引っ掻き回さなければ避けられていた問題なので、都知事はその責任をしっかりと取ってもらいたい。

しかし、ドライな目で見た場合、オリンピック・パラリンピックのたかだか2ヶ月弱のために、そんなに金をかける必要があるのか?という論点は、すでに忘れ去られているように思う。小池憎しで環状2号線が感情論になっていないかと・・・

物理的に完成できないことが判明しているのであれば、やるべきことはただ一つ。持っているリソースから最善策を導き出すしか無い。ここまでグダグダにした責任はしっかりと追求しつつ、この難問をどうやって解決するかを考えるしかないのではなかろうか。

まぁ、川松真一朗氏は最後に

私は、大会の成功に向けて全関係者が全力に取り組む中で政争の具にしてはならないと考えています。一日も早くを心を一つにしたいと考えます。

と書いているので、国会のアホな野党のような、不毛なモリカケ追求ばかりとはならないだろうけどね。

一つ一つは単純でも沢山になると半端ないっす

一般的に飲食業とかもこれで、一つ一つの業務だけ見れば誰でも出来るといってもいいすぎじゃない。だけどね、その業務が次々と押し寄せてくるし、時と場合によっては優先順位を大きく変えないといけない。組み立てた順番は想定もしていない客によってあっさり覆されちゃったりする。

自分のペースで仕事ができないって、効率よく仕事をしたい人にとってはものすごく苦痛なんだよね。

FPSなどでも難易度を上げる方法は大きく2つある。一つは敵を固くすることで、これは接客業で言えば手間のかかるお客さんとかちょっとむずかしい業務が当てはまる。もう一つは敵の数を増やすことだ。柔らかい敵でもワラワラ湧いてこられるともう大変。これはお客が突然やってきたり交代した奴が仕事を残していったりする感じだな。いずれの場合も、一定のしきい値を越えると一挙にヤバイモードに突入してしまう。結局、スキルとか能力とかの問題になっちゃう。誰でも出来るとか言ってるやつはOKY(オマエが来てやってみろ)だ。

で、チェーン店とかでの問題は、対処した後の対価というか報酬が全く見込めないということだ。同じ待遇でとにかく負荷をかける方法をとりがちなんだよね。今の世の中、誰が好き好んで安くて大変なバイトをするんだ?バイトなんてしなくてもやっていける人はかなり多くなったし、金銭的に困っている人でも、コンビニとかチェーンの飲食店とかよりは割の良い仕事だってたくさんある。

つか、それなりの対価も負担せず、良い応対とかの見返りだけ求めるのはヤメロ。ボランティアじゃないんだよ接客業は。良い対応にはそれなりの対価を払えって。自分がやりたくないことや出来ないことを人にやらせたら、それは報酬が発生して当たり前だろ?なんでそんな簡単なこともわからんのかなぁ。まぁ、そんなんだから「食べさせられませんから」通話中に冷めたラーメン 若い店主の行動に客驚きみたいな話を美化できるんだろうけどね。

これを最適なサービスというのは間違い

「食べさせられませんから」通話中に冷めたラーメン 若い店主の行動に客驚き

これは最良のサービスというより、単に店のこだわりであり過剰なサービスである。なぜなら、商品を提供したあとに起こったこと(この場合は客に電話がかかってきて席を立ったこと)は客側の責任であり、ラーメンが冷めたのは店側の責任ではないからだ。お客さまに一番良い状態で味わってもらいたいというのは店のこだわりであって最良のサービスではない。

仮にお客さんが電話で急用が出来て、とにかく早く食べたいとなった場合、そのお客にとって良いサービスは冷めたラーメンを素早く食べることだったかもしれない。また、食べるのが非常に遅い人は最後の方はアツアツではないし、アツアツは苦手とか言う人の場合、少し冷めてからのほうがありがたかったりする。全てはお客の期待にどの程度答えられたかで決まり、最適の解はそれぞれ違う。

さめた見かたをすれば、冷めたラーメンを食べられると店のこだわりの味が伝わらなくなり評判を落とすかもしれないというリスクに対応しただけの話である。

一声かけることが親切というのもちょっとおかしい。これを録音で対応しても、内容としては同じである。だが、多分録音であれば誰も評価しない。もっというと、個人にだけ聞こえるように話すのであれば素晴らしいと思うが、マイクを使って車内に響き渡らせるのは本当に望まれていることなのだろうか。

というか、こういうの話の殆どはサービス向上とかのためではなく、相手から文句を言われないよう過剰に反応しているだけである。全ては日本人に不安感情の高い人が多いことに由来していると見るべきで、諸手を挙げて賞賛出来る話ではないように思う。この点を勘違いする人は多く、また賞賛するよう仕向ける人も多いのは非常に残念だ。

キセル野郎

俺が通勤に使っている電車で、多分キセルだろうなーと思う輩がいる。乗車時の改札は自動改札を通らないで入ってくるし、降りる駅は自動改札なしの駅だ。どう見ても怪しい。降りる駅ではとりあえず駅員が窓口のところから見ているようだが、期限切れの定期でも持っていればほぼ確実にスルーできるだろう。まぁ、本来キセルってのは「中間の区間の運賃支払いを不正に免れようとする行為」なので、単純に無賃乗車というべきなのかもしれん。

それにしても不思議なのは、そこまでして金をケチりたいのか?ってことだ。社会人だろうから交通費は会社から支給されているだろう。その交通費を浮かせようという魂胆なんだろうが、こういう社員って会社にとって有益なんだろうか。

「知ったこっちゃない」感覚を思い出そうぜ

ここしばらくの間で話題になったことを思い返すと、北朝鮮問題、慰安婦問題、尖閣諸島などの領土問題、モリカケ問題、大相撲の不祥事、ベッキー・山尾志桜里・今井絵理子・小室哲哉などの不倫、松井和代騒動、築地移転とかが出てくる。この中で、俺が直接的・短期的に不利益を被るかもしれんのは北朝鮮問題くらい。モリカケ問題以下については、はっきり言ってどうでもいい話ばかりだ。どうでも良すぎてTVで報道されていたらチャンネルを変えてしまうくらいである。

なぜなら、全てマスコミが勝手に騒いでいる話でしかないからだ。誰もこんなネタを報道して欲しいとか言ってはいないし、求めてもいない。特に不倫報道などという個人に帰属する話を大々的に取り上げる意味がわからん。

こういう状況になる一つの理由は、ニュース番組とかワイドショーとかが多すぎることにあるように思う。需要がないのに供給先が多いから、品質を落としても量を揃えなければならない状況になっているわけ。ネタがないので自作自演も増える。量を揃えるのであればコストを極力落とさないと無理だよね。

ちょっと話がそれた。ネットからの情報発信は誰でも簡単に出来るし発信する量も大幅に増えている。「スルー力」が重要と言われて久しいが、そろそろ「そんなの知ったこっちゃない」という意識で情報の取捨選択をするべき。昔の人も井戸端会議で噂話に花が咲いたが、その段階で大抵終わっていた。他人様の個人的なことは公には触れないという、昔の人がやっていたことをもう一度思い出してもいいのではなかろうか。