正義の味方ヅラには吐き気がする

今日の朝日新聞に、出向がどうのこうのという記事が出ていた。会社で必要がないと判断した従業員をとある出向先に送り云々という記事だ。

何を今更正義の味方面してこのようなことを書くのか意図が分からない。企業は社員を簡単に解雇できない。労働基準法でがっちりとガードされているのは新聞社なら知っていて当たり前だ。首切りは出来ないが、転勤や出向は比較的簡単に発令できるし、それを拒んだ者に対しては「会社の指示を拒んだ」ということで厳しく対処出来たりする。これも新聞社が知らないとは言わせない。企業は冷淡に首切りを進めているように思われがちだが、実はそんなに簡単に従業員の首など切れないのだ。簡単に首切り出来ると思っている人はテレビドラマ、それもアメリカのドラマの見過ぎだ。

日本でいわゆる整理解雇がすんなり認められるのは、事業所閉鎖等による事業縮小などの場合がほとんどで、業績不振だけではなかなか難しい。だから大規模な人員整理の時は、工場や事業所閉鎖がセットになる。そこまで決断出来ない場合は、転勤や異動で自主退社に持って行く。これが日本の法律の示す方向だからだ。その根本的な仕組みに言及せず、法に則りながら解決策を探している企業だけを断罪する朝日新聞のスタンスには反吐がでる。

表面上のわかりやすい白黒だけを論じ、根本的な問題にはいっさい触れない。正義の味方ヅラをしながら、こんな薄っぺらい報道を平気でする新聞社に存在意義などあるのだろうか。

今更ながら福島原発がヤバイ

最近、福島第一原発の話題が増えてきている。
7月8日には【福島第1原発の現状】  汚染水と地下水の混同懸念  「説明足りぬ」と地元という高濃度汚染水の話題が報道された。これは特別驚くことでもなく、メルトスルーした燃料が冷却水とともに格納容器から地中に漏れ出しているのだろう。事故発生後しばらく漏水が止まらなかったというし、内部での活動が制限されている状態で、水漏れが完全に解消したとは到底思えない。漏れているかいないかなんて注水した水量と回収した水量を調べれば馬鹿でも分かるはずなので、その情報がほとんど出てこないってことは未だに漏れていると思ったほうが間違いない気がする。

で、その水は地下水に入り込んで色んな所に運ばれる可能性があるわけで、その結果として茨城沖の魚1000ベクレル超みたいなことが起こったりする。ま、こっちは食物連鎖の関係だろうけど、未だにどこからか放射性物質が流出していると見たほうがいいんじゃなかろうか。

そして福島第一原発の吉田元所長、食道がんで死去だ。事故との因果関係が云々とか言うつもりはない。だが、相関関係があるように感じてしまうのは俺だけではないだろう。

震災から2年が経過したが、その傷跡はまだまだ消えないなぁと思う。特に原発事故の記憶は、事故処理が続くであろうこれからも決して薄れることは無い。俺が生きている間にあの原子炉の解体を見ることはないだろう。大きな大きな負の遺産である。

「自分らしく」は「他人みたいに」ってことだよね

俺みたいな人がいてびっくりした。

「自分らしい」ということ24時間残念営業

自分らしくって俺もほとんど考えたことがない。それは何をやっても「俺」だからだ。あの時もう少しこんなふうにしておけばよかった、みたいな後悔が無いとは言わないけれど、それも全て自分で決めたことなので仕方がない。だから決して「あの時は自分らしくなかった」なんてことは思わないし考えたこともない。

自分らしいって、そもそもなんなんだろうって思う。誰に対して「自分らしく」なんだろう。自分に嘘をついて生きているんだろうか。それとも第三者的な視点で見た場合に「自分と違う」とか思うのだろうか。いずれにせよ、自分らしく有りたいなんて思う人は今の自分が嫌いな人なんだろう。自分を自分で嫌って生きていける神経を俺は持ち合わせていない。なぜなら世の中で一番の味方は自分自身の肉体であり、それを制御する脳が自分を嫌いになったらコントロール出来ないではないか。

俺だって「あーあ、やっちゃったなー」とか「怒りが止まんねー」とかは当然あるし、どちらかと言えばあまり我慢できないほうかもしれん。それからやっぱりなんだかんだ言っても自分が正しいと思ってる。年をとって相手を認めるたり引き下がることも覚えたけれど、それは決して自分を殺しているんじゃなくて周囲との関係をギスギスさせないための表現の方法を覚えただけだ。そして感情のゆらぎも少なくさせる術も覚えた。いずれも自分のためで、誰のためでもない。それが俺なので、誰に何を言われても仕方ない。

「自分らしく」とかいう人の「自分」って誰なんだろうね?少なくとも今の自分じゃないのは確かだろうけど、隣の芝生は青く見えること忘れているんじゃないかなぁ。

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蒸し暑くてたまらん

北海道は梅雨がないので比較的カラッとしているという話だが、ここ数日はとにかく蒸し暑くてたまらん。本州に比べたらこれでもまだマシなのかもしれんが、こちらはもともと涼しいので部屋にはエアコンがないところがほとんどだ。寒さ対策はバッチリだが、暑さ対策はかなり弱い。だから暑いとどうしようもない。

それでも湿度が低ければ我慢出来るのだが、湿度は80%を楽々超えている感じだ。いやぁ参った。体がベトベトして嫌な感じ。この嫌な天気はいつまで続くんだろうなぁ。

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インベージョン

これもHuluで見た。内容はボディ・スナッチャーと原作が同じらしいので押して知るべしってところ。これといった新しい視点はないが、強いてあげれば万人受けする結末ってことくらいか。

ニコール・キッドマン大好き人間なので内容なんてどうでもいいのだけれど、顔かたちも以前より若く見えるし、コンプレックスだった貧ぬーもなぜかご立派になっている。顔はやっぱり作られた感じがあって、整形したってことがはっきりわかっちゃう。あんなに綺麗なんだから、年齢相応の綺麗さでいいんじゃないのかと思うのだけどね。

あと、発症しない人間からワクチンを作ったという設定もなんだかなーって感じだ。ぱっと考えると、ワクチンでウイルスからの発症を止めただけなのか、それともウイルス自体を破壊できたのかわからない。スペースシャトルでの高温にも耐えられるウイルスが、ワクチンで破壊できるんだろうかとか、突然変異でワクチンが効かなくなる可能性だって高いんじゃなかろうかとか、要らないことばかりに考えが及ぶ。それも地球規模での感染となれば、ウイルスが変異している可能性は大いにありそうだよね。

ま、所詮映画ですから、ってところかなぁ。

ドギュンとぶち抜かれました


数日前の天気予報は雨だったのだが、なぜか持ちこたえたので今日も出かけた。行く先はもちろんニセコ方面。今日は前回と少しルートを変え、国道230号線からそのまま道道66号線に入って604号線に抜け、国道5号に出たらUターンして同じ道を戻る道順で行くことに決定。片道だけじゃもったいないからね、あの道は。

早速走りだすが、今日は前回に比べて交通量が多い感じ。途中で休憩したところにラリー開催のポスターがあった。なんだか気合の入った車が目に付くと思ったらこれか!

気温も高く、かつ本州のように湿度も結構あって暑苦しい。脱水症状の回避とついでにカフェイン補給して目を覚まさないと眠くてたまらんので、今日は何度か休憩を挟んで走る。といっても休憩場所なんてそうそう無いんだけどね。

604号の途中でガソリンメーターが点滅し始めたので5号線沿いでスタンドを探すが、小樽方面に走ってもなかなかスタンドが見つからない。その上、今きた山の方は濃いガスがかかってきているのがふもとからもはっきり判ったので、同じ道を引き返すプランは急遽変更し、前回と同じ道で帰ることにした。まずはその場で5号線をUターン、途中でガソリンを入れ帰路につく。

しばらくして、なんだかさっき見たような風景が目に飛び込んできて我が目を疑ったが、気にせず進むと、なんとまぁ604号線の標識が・・・???である。帰路についたつもりが、途中でクルッと回って戻ってきてしまったようだ。こりゃもう一回走れという天の言葉に違いないと勝手に思い込むことにして、再度604号を走る。

604号から66号に入るとすぐにパーキングみたいなところがあるのだが、そこに「いかにも」という感じのマシンが数台停めてあった。多分ここを走り込んでいるライダーなんだろうなー、とか思いながら峠を登っていく。思った通り、途中からかなり霧が出ていて前が見えない。こんな状態では恐ろしくて走れたもんじゃない、とか思っていたら、いつの間にか後ろに先ほど停まっていたマシンが居るじゃないか!いや、後ろに張り付いても意味ないから!こんなの怖くて走れんから!とか思っていたら、ものすごいスピードでぶち抜かれた。前見えてんのかなぁ、あのライダー。

途中ションベン&カフェイン補給に停まったら、そのライダーもいた。タイヤはハイグリップ(型は・・・ワカラン)で、ぱっと見ただけで攻めているのが分かるタイヤの使い方だ。ああ、こんなマシンの隣に停めるんじゃなかったとか思いながらも自然現象と眠気には勝てない俺。とりあえずコーヒー飲んでたらそのライダーはいなくなっていた。

峠の逆側は超快晴だったので気持ちよく走って帰った。

本日の走行距離 370Km

最近目にしたいい言葉

少し前であるが、とある神社の横を通り過ぎたらこんな言葉が書かれてあった。

子が生まれる。親が生まれる。

ほんとうに短い文であるが、頭にこびりついて離れない。

子供が生まれるのは人生の一大イベントである。あれほど嬉しく、責任を感じ、そして生きていく意味を考えさせられることはあまりない。普通は子供が生まれたことだけにフォーキャストが当たるが、実際は子供が生まれた時点で新しい親も生まれるわけで、そのことは意外に忘れ去られがちだ。

大人になったつもりでも、実は子供の頃とそう変わっていない自分に気がつくことも多い。子供が生まれた後もそうで、しばらく偉そうに親ぶっているが、子供は十数年もすれば親と変わらぬ思考力を持つ。足りないのは経験だけと言っても過言ではない。だが、親は子供より偉く経験もある、そんな考えに陥りやすい。しかし、この言葉からは、子供が生まれると同時に親も生まれ、親子が補い合って生きていくものだということを再認識させられる。いや、子供から教えられることのなんと多いことか。

お得意さんかどうかを自分で決めるな

少し前に病院クレームでネットを賑わせた人がいた。ネットで騒がれマスコミに火が付き本当に残念な結果になってしまったけれど、あの人の病院に対する考え方が現在の予備軍を含めたクレーマーの意識を端的に表しているように思えたので今更ながら書いておく。

彼はブログで自分のことを「〇〇円以上の金を払う上得意客」みたいな表現をしていた。これが実は今の予備軍を含めたクレーマーの意識の根源にあるものだ。お客様は神様という事もさることながら、実はこの「自称上得意客」が一番の問題なのである。

本当に金を落としてくれる人はレベルが違う。以前ホテルに務めている人から話を聞いたことがあるが、例えば皇族のような身分の人は事あるごとに何かをくれるという。チップしかり、記念品しかり、とにかくその人に尽くせば予想以上の見返りが帰ってくる。だからサービスする側もどんどん手厚くなり、我先にその人の元に向かう。

しかし、今は全く違うらしい。とにかく安くあげることが最優先のくせに、自分は得意客だからと自分で決め、他人以上のサービスを求める。サービスする側にしてみればそんなの相手にしても会社にも自分にも何の得もない。逆に手間ばかりがかかる。そんな客など出来れば拒否したいくらいなのに、客は自分を最優先にすることを求める。その温度差がすれ違いを産み、大きくボタンを掛け違えてしまうと相手はモンスタークレーマーと化すのである。

このように、自称「上得意客」という意識こそが諸悪の根源だ。本来上得意客かどうかは売る側が決めることである。もっとお金を落として欲しいから手厚く対応するのだ。これはどちらが最初という話ではないが、一方的な要求だけではうまくいくはずもない。今の客は一方的な要求のみで見返りがない。慈善事業でもボランティアでもないビジネスにおいて、対価を払わない者は客でもなんでもないのである。そのことはあまりにも理解されていない。そして、売る側・サービスする側の状況も客観的に判断できない。だから自分で自分の事を「上得意様」と決めつけることが出来るのだ。そんな残念な人があまりにも多くて泣ける。

職場環境の改善は経営者の仕事だ

とある人から聞いた話。

その会社では職場環境改善委員会なるものがあるという。何をするのかというと、その名の通りで、社員の不満を少しでも減らそうというのが目的らしい。

はっきり言って「アホクサ」である。

社員の不満の殆どは職場環境と言うよりも職場の人間関係だ。上司・同僚・部下と折り合いがつかない。自分の意見を聞いてもらえない。部下が言うことを聞かない・・・そんなのばかりである。それに付随して待遇面の不満もある。それ以外の物理的な環境なんて、余程のことが無い限り金で解決出来る。

もっと簡単にいえば、職場環境云々なんて企業の、いや、経営者のスタンスがそのまま現れるもので、現場の人間があれこれ言ったって経営者の考えが変わらない限り無駄無駄無駄ァである。それなのに現場で「職場の環境を改善しろ」なんて片腹痛い。職場環境の改善なんて、極論すれば、経営者が従業員を洗脳するか金で釣るか、もしくは本当に人格者の経営者になるかしか無いのである。

全て経営者のせいにするなという人もいるだろう。しかし、企業は使用人のものではなく経営者のものだ。どんなに有能な使用人でも経営者に逆らうとどうなるかはわきまえているし、そもそも聞く耳を持った経営者のところはそれなりに充実した仕事が出来る。というか、自分を犠牲にしてまで経営者に物申す奴なんてめったに居るもんじゃない。だから面倒だったらみんな辞めていくのが普通だ。

人の意見を全く受け付けない経営者も困ったもんだが、実際は聞くポーズだけして対策しているつもりの経営者が一番危ない。なぜなら、本当に聞きたいなら自分の耳で聞けばいいからである。それを全て人にやらせる事自体がおかしい。とは言え経営者は時間がないので、大部分は人に任せてもいいだろう。だが、最終的な判断は自分で決めなくてはならない。そのとき自分の耳の替わりと思える部下が居るのであればいいが、そんな部下が居るのであれば環境も良くなるに決まっている。裸の王様が人に職場環境の改善を求めることが多いのだ。

また、本当に任せているのであれば口出しは最低限にするべきで、任せたふりをしながらあの手この手で口出ししてくる経営者が非常に多い。

まぁ、人のことを人と思わないから残業が多いことしか問題視しないしサービス残業は大歓迎、その上人員採用には消極的なんだろうがね。人材育成が出来るところは環境もいい。逆に人が育たないところは環境も良くない。そんなもんだ。

ヒストリー・オブ・バイオレンス

これもHuluで見た。この主演男優、なんだか見たことあるなーと思っていたら、ロード・オブ・ザ・リングのアラゴルンじゃないか。

最初からちょっと危ない雰囲気で始まるこの映画、バイオレンスもさることながら、家族の心情の揺れがなんとも悩ましい。それを淡々とと表現していくあたりがなかなかおもしろい。映画自体に破綻しているようなところもなく、かなりオススメ。特にハッピーエンドじゃない映画が好きな人は見て損はない。

このエントリを書くにあたって調べたら、なんとこの映画、監督がクローネンバーグだった。クローネンバーグの作品は、スキャナーズ、ヴィデオドローム、ザ・フライ、戦慄の絆、クラッシュとかを観たが、今回の作品がクローネンバーグのだとは気が付かなかった。言われてみればそんな気もするってところで、映画のテンポとかは確かにクローネンバーグという感じ。この監督のやつってあまりハズレがないんだよね。

オシム爺さんはやっぱり只者じゃない

オシム氏が指摘する3つの敗因 足りなかった経験、賢さ、走力

コンフェデ杯はブラジルがスペインを3-0というスコアで撃破し、優勝を飾った。コンディション等の問題はあったにせよ、あのスペインでさえ3-0で負けてしまうのだから日本が3-0で負けるのも致し方ない感じがする。結果的にはブラジルが圧勝したこの大会、逆に日本は力の差をまざまざと見せつけられた悔しい大会となった。

今回の大会を振り返ってさまざまな意見が飛び交っているが、その中でもオシム爺さんの分析がピカ一なように思う。中でも未来志向という下りの中の指摘2項目は肝に銘じておかなければならないように感じる。その抜粋。

私は、あくまでも未来志向でやってほしいと思う。具体的には(1)日本の長所を伸ばす(2)世界のサッカーがどの方向に進むかを見極める、ということだ。(1)は現在の日本代表は、技術や戦術理解などは進歩している。しかし、メッシやC・ロナウドのようなスーパープレーヤーはいない。個人の能力のレベルアップも必要で、とくにセンターバック、GK、守備的MFなど守備の要は、強化が急がれる。

 (2)は2~3年前まではスペインの時代、バルセロナの時代で、技術とパスワークのスタイルがトレンドだった。しかし、現在は「フィジカルの時代」が来ている。参考にすべきはドイツだ。チャンピオンズリーグ決勝に残ったバイエルンMとドルトムントはどちらもドイツ。バルセロナ以上によく走り、しかも大型な選手たちが体を張ってファイトする。日本人に、すぐに大型化しろと言っても無理だが、彼ら以上に走ることを重視したい。

特に(2)の「フィジカルの時代」が来ているというのは要注意だ。日本が目指していたモデルはもう古いのかもしれん。強豪国がフィジカルも重視しているのは今回のブラジルを見ていても感じる。うまいだけではなく、フッキのようなデカくて強くて速い選手も全面に押し出して使い始めている。特にドイツのフィジカルとテクニックの融合は一時期の低迷を脱するためにドイツ大会前から取り組んできた路線であり、それがまさに実を結ぼうとしているのかもしれん。

世界の強豪がそういう流れであれば、それを倒してW杯で結果を出そうとしている日本は、相手の戦い方を十二分に分析し対策を立てなければならない。その解の一つが走力というフィジカルだ、とオシム爺さんは教えてくれている。ああ、やっぱりすごい人だったんだなと改めて思う。

もう一度爺さんの示唆に富んだ試合後のインタビューが聞きたいなぁ。

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