失ってからわかるもの

旧正月は俺にとって様々な意味でのターニングポイントの日になるのだろうか。気分は北朝鮮戦一色だったのだが、この日を境に色々なことが動き始めたような気がしてならない。

昨日はどういうわけか突然夜中に目がさめた。人間は愚かなもので事が起こってからその重大さに気が付く。理屈で自分を納得させてもその歪みは必ず体のどこかに現れる。体調がおかしくなりその理由を考えた時、やっとそのことが自分の中でいかに大な部分を占めていたのかわかるのだ。しかしいくら気が付いてももう遅い。嘆き悲しみ、恨みつらみを口にしても過去に戻ってやり直すことは不可能である。

生きていくのはつらいことの積み重ねなんだろう。こうやって誰しもが年齢を重ねていくのであろうか。

だからといって嘆き悲しんでいても仕方がない。状況が変化したのであればその変化の中で最善の方法を考え行動していくしかない。その行動が自分にとって納得できるものであれば、結果が悪くても「こういうこともあるさ」と思える日が来るだろう。

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