最近、長時間労働がやたらめったら叩かれている。ブラック企業に始まり最近では首相が新「労働時間制度」創設へ検討指示したらしい。しかし、長時間労働は本当に「悪」なのだろうか。
少々極端な例になるが、一企業を例にあげて考えてみればわかりやすいかもしれん。その企業は従業員100名で売上は年間40億円、営業利益は出ているが経常利益ではやっとこさ黒字になっている。売上は毎年大きく変わらないため、給与総額もほぼ年間5億で推移している状況である。
創業は昭和30年、高度成長の頃は黙っていても売上が伸びていった。働けば働いた分給与も増えた。増加する生産量に対応するため、工場の設備を増やし、社員も増やしていった。しかし、今は低成長もしくは0成長時代だ。あの頃のような売上の伸びなど期待するべくもない。それどころか、世の中は性能が上昇しても価格は据え置きとなった。より高度な技術・製品を、より安い価格で提供しなくてはならなくなったのである。
そんなとき、企業がやるのは当然コストカットだ。コストカットには二種類あって、仕入れや設計で直接コストを下げる方法と、生産性の向上などによって相対的なコストを下げる方法だ。しかし、これらにも限界がある。やるだけやって行き着くのは粗利の確保である。今まで1個で100円の粗利を稼いでいたところを、2個で100円の粗利を稼ぐ。その代わりに販売数を倍にする。そんな売り方がどんどん増えてくる。これを防ぐために新商品を開発し付加価値を上げていくのであるが、それが出来る企業は意外に少ない。
今まで一日5000個作ればよかったものが、いつの間にか10000個作らなければならなくなっている。しかし従業員の増強はそのままコストアップに繋がるため、そう簡単には出来ない。今いる従業員で戦っていくしか無いのだ。こうやって働いても働いても賃金が増えない構造が出来上がる。
もし高度成長期のように、やればやった分の報酬があれば大きな問題にはなっていないだろう。しかし、今は払える賃金の上限が決まっているため、より多くの人に給料を払うためには原資の確保はもとより、割増賃金の削減や全体的な賃金の引き下げが必要になる。ワークシェアリングと言えば聞こえはいいが、これは実質はサラリーシェアリングと言うべきものだ。言葉巧みに給料を分け合えと言っているのである。成果に見合った賃金というのもそうで、ほとんどのところできちんとしたJob Discriptionがない日本では、何を持って「成果」というのか明確にできない。待っているのは都合のいい賃下げである。「成果主義」が大失敗に終わったのは必然なのだ。
なんだか話がまとまらなくなってきたのでこのへんでE.O.F.