判っていないクセに判ったフリをするな

とある会社での話。その会社では部門の業績を経理から報告していたのだが、中身をよく吟味してもらいたいという観点から部門の長に報告をしてもらう事にしたらしい。すると、それまで業績報告について何も質問がなかったのに、急に数字の中身についての質問が殺到、経理はその質問に答えるので大変になったようだ。

資料は今までと全く変わっていないし決算方法も変わっていない。部門の長はこれまで、渡される資料を眺めただけだったのだろう。中身も吟味せず資料を渡されて説明を受け「ふーん」でおしまいだったのが、自分で自分の出した数字を説明しなければならなくなった。その時初めて、数字の中身について何も理解していなかった事を痛感したのだ。

業績を改善しなければならない責任を負っているものでさえこのざまである。なにごとも自分の身に火の粉がかかってこない限り、所詮他人事なのだ。

かなり前にPL/BSも読めない馬鹿というエントリを書いたのだが、PLもBSも会社の状態を「金」という単位で計測したものだ。金という単位で計測するため、PL・BSだけではその数字がどんな構成要素で成り立っているのかまではわからない。PL・BSからわかるのは、どのような用途に金を使ったか、どのような用途から金が入ったかだけだ。だから、本気で業績を改善しようとしたらもっともっと細かく、最小要素の段階まで分解して調べないとダメなのである。

そしてその分析は、現場に近い人間ほど詳細に行う必要がある。それが自分の実績を上げ、経営者からの無理難題から身を守ることにつながるのだ。また、細かい分析を行う人間は、その分析によって問題点をいち早く発見する勘も一緒に養っており、その勘はさらに上の立場になったときに非常に役に立つものになるはずである。

しかし、要職についている人の中には「数字なんて」などと言って数字を軽んじる者がいる。計測出来ない人間に限って「数字なんて」という言葉を口にする輩が多い。これは分析できない自分を正当化しているだけである。偶然全てが右肩あがりで、「数字なんて」気にしなくとも業績が良かった時期を経験した事があるだけだ。誰がやっても業績はよくて当り前で、それはアンタの業績ではない。そんな人間は偶然を成功体験と勘違いしていると言わざるを得ない。経営は数字が全てでありそれ以上もそれ以下もないのだ。その手腕は、特に守りに入ったとき、つまり業績が芳しくないときに大きく差が出る。数字を軽んじる人間は、数字によって滅ぼされるだろう。

たいした分析も出来ないのに大きな口を叩くな、と言いたい。判ったふりをしていると、いつまで経っても理解なんて出来ないのだよ。

だから今日はサバチェン記念日

巷では「敗戦終戦記念日」だという話もあるが、サーバが死んでアクセスできないねと気がついたから8月15日はサバチェン記念日。ちなみにほぼ1日サーバ死亡してましたがその日のエントリだ。

2代目サーバはCPUがCyrix200MXだったのだけれど、それまでも毎日原因不明のダウンを繰り返していた。最後の方なんて48時間の連続稼働も出来なくなっていたため、cronで一日一回強制再起動させて動かすという離れ技(とは言わないね)で動かしていたのだ。その2代目サーバがついに逝ってしまったのが昨年の8月15日。

それから一年、3代目は全く問題なしで稼働している。Kernelのアップデート以外で再起動はしていないから、ほぼ24時間365日ダウンなし。すごいねLinux。

だけど、その他のマシンがたてつづけに2台死亡してるんだよね。1台はSocketAのPentium2マシン、もう1台はこのサーバのCPUと同じAMD K-6 350Mhz。どっちもほぼ同じ時期に死亡して電源さえ入らなくなっちゃった。このサーバも死んでもおかしくないのかも知れないなぁ。

ま、PCなんて死ぬまで黙って働けってのが本音のところだけどね。

最低賃金引き上げ意味なし

最低賃金が引き上げになる模様。しかしこの恩恵に預れるのは多分時給者や有期雇用者だけ。その他のフツーのサラリーマンはほぼ関係ないだろう。

月給者の最低賃金は、月給額×12か月÷年間総所定労働時間で割り出す(最低賃金の基礎知識 その4 参照)ようなんだけど、これじゃ全然使いものにならないね。残業がしっかりついてくる大企業はこれでいいかもしれない。だけど小さい会社は残業もへったくれもなく、計算してみたら月300時間近い労働時間って人も結構いると思う。そんな人のことなんてこれっぽっちも考えていないだろ、これは。建前では「サービス残業させている会社に問題あり」と言えるだろう。だけど、払えないんだよ。残業代払って会社つぶれたら、給料自体が払えなくなるんだよ。そんな実態を無視して、「法律を守んないほうが悪い」と一刀両断できるのかオマエら役人は。

実際の所、最低賃金が620円であれば300時間働いたら最低でも手取りで19万弱はもらわなきゃ割があわない。ということは、支給額で24、5万はもらわんと最低賃金以下という気分になってしまう。なんでこんな事にこだわるかかというと、そうしないとアルバイトより手取りが少なくなっちゃうから。最低賃金で保証されているアルバイトは時給単価が最低賃金を下回ることはない。そして辞める自由度も社員より高く、そして責任はない。挙げ句の果てに、なにもせずに立っているだけでも金になる。なんと不条理なんだ。だから社員がアルバイトより手にする金が少ないなんてあっちゃいけない。自分よりいい金もらっている奴をにこやかに使うなんて、俺は出来ないね。

「アルバイトは待遇も悪くてこき使われる。だから早く正社員として働けるようになりたい。」そう思わせないくだらん仕組みなどぶっ壊れてしまえばいいのにと思う。大体、労働環境も悪く待遇も悪い職場に、労働者が来ると思うか?そしてひどい所はそれなりの人間しか集まらなくなっていくんだよ。そうやって淘汰されていく。だから大多数が割を食うような変な規制なんて意味がない。それどころか、こんな規制は出る杭を打ち、死なねばならない所を無駄に延命するだけになってる事を、早く理解するべきだと思う。

奪うだけで何も稼いでいない役人風情が、企業、特に中小企業の実態もわからず勝手に給料の枠を決めるなと言いたいね。お前が自分で稼いで、雇用した奴に給料払ってみろってんだよ。

靴にまつわる話

ムカデの母が買いものし忘れに気がつき息子ににおつかいを頼んだ。息子は二つ返事で買いものに出かけたのだが、待てど暮らせど帰ってこない。母親は「息子に何かあったのかも知れない」と心配になり、息子を探しにいくことにした。

母親が玄関にいくと、そこには「まだ半分しか履いてないよ…」と半べそをかきながら一心不乱に靴の紐を結んでいる息子がいた。

ある人から聞いた話なのだが、その人の家の風呂場には洗剤の入ったタライに入れられた沢山の子供の靴があったのだそうだ。タライに入れられたままいつまでも放置されているので邪魔で仕方がない。だから風呂に入るたび、早く洗えという意味も含め、そのタライを風呂場から脱衣所のほうに出していたらしい。しかし、次の日風呂場にいくとまたもや風呂場にタライがある。このタライのせめぎあいはかなりの日数続いたようだ。

ある日その人が風呂場に入ると、いつもあったタライがない。やっと洗ったのかと思ったのだそうだが、そのタライはそのままの姿でベランダに移動していただけだったらしい。

彼曰く「あの靴、子供達の足が大きくなってもう履けないよ。」

自民大敗でも安部首相が辞めない理由

参院選で歴史的な大敗をした自由民主党ですが、自民大敗、本当の理由 (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)で大敗のもっともらしい理由付けがされています。既得権を剥奪した組織が今だに集票マシーンであると勘違いしていたとか、胡散臭い官僚の肩ばかり持っているとか、要約すれば小泉ぶっ壊し路線を止めちゃったと見られて大失敗という事でしょうか。

後だしジャンケンの敗因の分析はさておき、とても不思議なのは「安部続投」です。このような状況で安部首相のまま建て直せると判断しているとすれば、なにか大きな隠し玉を持っているか、何も考えていないか、他に何か大きな意志が働いているかのいずれかでしょう。何も考えていないというのが正解じゃないのかと思いますが、それでは話が終わってしまいますね。ということで、陰謀論が面白そう。

自民党をぶっ壊してしまえという意思があるという話を何かで見たのですが、確かに安部が続投すれば自民党の解体は早まるような気がします。今でさえ「安部バカ」というような言葉が党内から公然と流れ、それが報道されています。親分を「馬鹿野郎」呼ばわりしても大丈夫なくらい、求心力は弱まっているのです。スーパーグレートイントラスティング(SGI)を母体にした所もなんだか三下り半を下すんじゃないかとか言われているようですし、もう少しして楔を打ち込めば、多分ぶっ壊れちゃいます。

問題は、何を狙って自民党をぶっ壊そうとしているのか、です。これは…わかりませんね。簡単に考えれば金でしょうか。自民が握っている大きな利権を奪おうという動きがあるのかもしれません。実際、今まで手つかずであったと思われる「朝鮮総連」や「パチンコ屋」に手が入ったりしていますので、なにか大きな変化が起こっているのは間違いなさそうです。しかし、もう一方では「自民にもう金はないんだよ」という話もあるようです。

いずれにせよ、今後の動きを見ながらあれこれ想像するのもまた楽しです。さて、これからどうなるんでしょうか。わくわくですね。

素手で便器掃除は宗教じみた行為なのか

( ;^ω^)<へいわぼけ: 素手で便器を掃除する宗教じみた行為が小学校にまで浸透

今はどうか知らないが、ある化学ぞうきんの大手企業の新人研修には、他人の便所掃除をするってのが入っている。その企業の研修目的を短絡的に表現すれば、他人の嫌がる事を進んですることが結果として利益につながるという教育だと言っていいだろう(実際はもっと高尚な意味付けがされている)。

もう少し噛み砕いて言えば、強制的に「嫌なことだと思う自分の固定概念を破らせる」研修で、やってみたら思ったよりたいしたこと無かったと思わせることで疑似成功体験を与え、自分の固定概念を破らせる。実際やってみたらたいしたことなかったという事は案外多い。俺の母親は、子供の頃、素手で牛の糞を片付けさせられたという。人間という生き物は非常に良くできていて、嫌なことをやりつづけると嫌な中にも楽しみを見つけるようになるらしい。母親は「冬とかだとあったかいんだよね」とか「終わった後、手がすべすべになるんだよね」とか嫌なことよりその後のメリットを強調していた。

昔TVCMで、アフリカあたりの原住民が牛の小便で頭を洗う映像が流れたことがある。この映像が与えた衝撃は非常に大きかった。だが、それは彼らにとっては普通の行為なのだ。我々が受けた違和感は、我々と彼らの固定概念からくる意識の差でしかない。この固定概念を打ち破らせて、「出来ない。したくない。」というネガティブな発想から「出来るかもしれない。やってみよう。」というポジティブな発想に変化させることが、この企業の研修の本来の目的なのである。悪い言いかたをすれば「洗脳」、良い言いかたをすれば「意識改革」なのだろうが、このポジティブな意識を植え付け利益を上げていこうというのが魂胆と言ってもいいだろう。そういう目的があっての便所掃除なのに、なぜ美談であるように仕立てるのかよく理解できない。

新しいことに取り組むときに、人間の固定概念が大きな障害となるのは紛れもない事実だ。固定概念を打ち破る事は、自分の殻が出来た人間に有効な事である。しかし、この便所掃除が自分の殻を破らせることを目的としているのであれば、さしたる殻も出来ていない小学生に有効な行為なのかは甚だ疑問である。

これは宗教じみた行為でもなんでもないのである。問題は、そのことを美談に仕立てあげて教育に用いようとしている事だ。これは「水からの伝言」の場合と同じと言ってもいいだろう。

そもそも見返りを求める善行など存在しないのだ。そのことを判っていない奴が多すぎる。

出来る(と言われる)人とそうでない人の違い

仕事でも何でも「出来る」と言われる人とそうでない人がいる。その決定的な違いは何だろうか。やった後の結果だろうか。

いや、ちがう。決定的な違いは「スピード」だ。「出来る」と言われている人は、ほぼ例外なく開始から終了までに要する時間が短い。そして、「やっつけ」仕事のように見える時もあるかもしれないが、高負荷の時の瞬発力が違う。

瞬間的に大きな力を間違えずに出せるということは、起こりうる事態を前もって想定しているからに他ならない。将来を予測しさまざまな事態を想定する。そして想定される事態に関して既に解決策を持っているからこそ、ある事態に遭遇したときに的確に状況を分析して的確な対応策が立てられるのだ。だから速く正確なのである。そういう訓練を積んできた人は、予期せぬ問題を投げかけたときもレスポンスが速い。その問題の最終型や根本的な原因まで、瞬時に頭の中に思い描いているのだろうと思う。

世の中、何も考えていない人間は多い。毎日同じ事を繰り返しただただ時間を浪費するだけ、そんな人間ばかりだ。しかし、なにごとにも「なぜ?」という疑問を持ち深く掘り下げて考えることで、いざと言うときに人より半歩速く踏み出せるようになる。そのスピードが心に余裕を持たせ、より正確に速くこなせるようになっていくだろう。もしかしたら俺も「出来る人」の仲間入ができるかもしれないね。

みんなが思っている程大人じゃない

痛いニュース(ノ∀`):丸川候補中傷で炎上した民主党議員秘書の石田日記が復活。「お詫び…なーーーんてね!そんなこと書くわけないじゃんw」

なんだか「立場をわきまえろ」とか「大人げない」いう意見が飛び交っていますが、この秘書の事は置いといてですね、年を重ねたからといって聖人君子になるわけじゃないんですよ、だんな。

俺も若い頃は「なんでぇあのオヤジ、大人気ねーよな。」なんてよく思っていたのですが、実際自分がそのオヤジになってみて「年をとっても気持ちは若い頃とそう変わらない」ことがよくわかりました。変わったことは、その表現の仕方と感情の抑えかたを覚えたって事くらいです。これは多分に体力の衰えとも関連していますね。イサコザ起きると疲れるんだもん。

つまり、残念ながら見た目は変わっているけど中身はおんなじ!!なんです、多分。だから、逆にこの秘書は正直なのかなと。

まぁ、「いい歳こいたら馬鹿にされる行動は謹む。それが大人のマナー。(Byプ○ミス)」ですけどね。

あらゆる手段を使って逃げろ

知的好奇心解放 – マ儿コの日記 – レールから外れたら人生オシマイ幻想の被害者

結構な数の人間がわかっていても口に出せないのではと思うので、敢えて言わせていただきましょう。

かなりの人が困難を真正面から受け止めて戦っているようなつもりになっているのかもしれませんが、本当にそうでしょうか。断言させていただきますが、人生は正面から立ち向かう事の方が圧倒的に少ないです。戦う姿勢はあっても、そのほとんどが逃げることから始まっています。逃げるという言葉の持つイメージがネガティブなので、「回避する」と言い替えてもいいかもしれません。

例えば受験。自分の学力では絶対に入れない学校を受験しますか?普通は手が届く可能性のある範囲で選んでいるはずです。相対的な限定された世界の中で多少の戦いをしているだけです。自分にとって「がんばっている」という意識が心地よいので努力していると思いがちですが、現実はリスク回避から始まっています。

もし最短距離の帰宅路の途中にヤバい連中の溜り場があったとしたら、帰り道が多少遠回りになってもその溜り場から距離をとりませんか?正面から立ち向かうのであれば、このヤバい連中を蹴散らしてしまうべきでしょうが、まずそんなことはしません。これも立派な「回避」です。これはちょっとたとえがおかしいかな。

そもそも、勝てる見込みのないものに勝負を挑むこと自体がナンセンスです。勝てる勝負しかしなければ負けることはありません。勝てそうになかったら戦うべきではなく、逃げなきゃならないのです。そんな当り前のことを忘れている人が多すぎるように思います。竹槍では戦車を倒せないんですよ。武器が竹槍しかない状態で戦車に追っかけられたら、まずは逃げて危険回避するのが普通でしょう。回避しないと次の戦いの準備さえ出来ませんからね。

では、なぜ勝算もないのに勝負するのでしょう。それは、自分の力を過信してしまうこと、相手の戦力などの状況を見誤ることが大きな原因です。また、自分はこんな困難に立ち向かっているのだといった自己陶酔は厳禁です。このような感情は判断を不正確にさせる大きな要因となります。ドライに客観的に勝てる可能性を計測し判断する、「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とはそういう事です。

「まずは逃げてしまえ」という考えを卑怯だとかずるいとか感じる人は今までに変な思考回路を埋め込まれていますので、あなたにそういう教育をしてくれた人とは距離を置くことをお薦めします。まず教えなければならないのは、自分を守る術でなければいけません。自覚しているか否かにかかわらず、その人はあなたがとても大きな犬に追いかけられたときに逃げ道を塞いで「あの犬を倒せ」と言う人であり、あなたを滅ぼしてしまう人です。

回避する場合は

1、不必要な戦いはしないこと
2、回避策はあらかじめ複数持つこと
3、回避するときは最適な回避策を選択すること
4、やみくもに逃げるだけではなく、次の一手も考えながら回避すること

といった事を念頭に回避すれば良いでしょう。逆説的になりますが、この「回避策」がいわゆる「レール」であって、この「レール」を多数持つ事が「よりよい解決」につながるのです。

人は自分一人で責任を負うのがつらいため、何かあれば人のせいにします。こうなったのは敷かれたレールを進んでしまったせいだとか言いたがるのは、こんな自体を招いたのは自分のせいじゃないと自分を正当化したいためでしかありません(ただし、これも一種の「回避策」です)。

全て自分で決め全て自分で受け止めるのは辛いことです。耐え切れないと感じる人も多いかもしれません。だからこそ逃げなければならないのです。それに、よほどの犯罪などに手を染めない限り、どんな失敗したって数人の人から責められる程度じゃないですか。そんな責めからはさっさと逃げ出せばよろしい。耳を塞いで責める奴に会わないようにすればいいだけです。一番の問題は自分を責めてしまう自分自身にあります。自分で勝手に願望し、願望を実現出来ない自分に腹を立て失望し、そして自分を責める。自分で勝手に決め込んでいるだけなのに、おかしい話ですよね。自分は自分で逃してやらなきゃ、誰が逃してやるんですか?

今走っているレールは一本でも、敷くレールは一本じゃないんですよ。そして、そのレールをどう敷くのか、どこを壊してどこに繋げるのか、どこでポイントを切替えるのか、それを決めるのは自分です。ループしたって構わないし、バックしてもいい。長い時間止まっていても構わないのです。自分という列車が走っていく様を見るのって楽しくないですか?それを生きがいって言うんじゃないのかな。

JASRACの本領発揮だ

「日本発コンテンツは一度リセットせよ」–YouTube問題、国内権利団体が2回目の協議開催
「とにかくやめてくれ」・YouTubeと日本の権利者が2度目の会談

いやぁ、JASRAC本領発揮です。ああ素晴らしい(ちなみにJASRACのアレについては、JASRACの暴挙をまとめるページ(増田出張版)でも御覧いただけます)。これに対してあ保場可氏ねと称賛の声が上がっています。

痛いニュース(ノ∀`):国内の著作権団体、YouTubeに“すべての日本発コンテンツの削除”を要求

JASRACに著作権の管理委託をしているものに対してであれば、どうぞ御勝手にです。だけどそれ以外は頼まれてもいないのに手をつけたりしないようにお願いいたします。そしてYouTubeとGoogleと心おきなくやりあっていただくことを強く希望します。全力で戦えCJASRAC。ついでにAppleやAmazonとも。あ、ゲイツくんも忘れないでね。そして日本をネットから孤立させてください。

そう、歴史は繰り返すのです。日本はJASRAC&TV局という旧態依然幕府のもと、ネット鎖国するのです。そうすれば江戸時代のように日本独自の文化が発達し、世界に誇る美しい日本ができあがります。日本人以外誰も見ないけど。素晴らしいコンテンツも星の数ほど出来ますが、当然地産地消ですので過剰供給は厳禁です。なんと地球にやさしいことでしょう。

と、この話自体が冗談みたいなので冗談はさておきと言えないのが悲しいのですが、この話、「これは色彩の暴力だ!」 楳図氏の“赤白住宅”建築に、住民が待ったに似てませんか?

報道されている住民の意見(JASRAC相当品)が住民の総意じゃない(楳図かずおさん新居騒動…住民2人以外は冷静!? )と思われるあたり、あまりにもそっくりで笑えませんね。

ちなみに、俺は不労所得反対ということなんでそこんとこよろしく。不労所得なんて羨ましすぎるだろ。

オバタリアンハラスメントについて

しばらく前に帰宅途中の電車で遭遇した話。

帰りの電車のなかでボケーっとしていると、ホームを歩く体格の良い3人のおば(ぁ)ちゃんグループに目が止まった。そのおば(ぁ)ちゃん達は外見だけ言えばほぼ「森三中」なのであるが、年齢は「今いくよくるよ」より上と思われ、その上、その一人のファッションは黒のキャミソール(こんなやつ)と来ており、絶句ならびにあこりゃこりゃである。

すごいなぁと感心しきりであったが、なんとその3人組、俺の乗っている車両に乗ってくるではないか。この未知の物体(UMO)に不意に接近された俺は、得体の知れない恐怖に襲われ2、3歩後ずさりしてしまった。恐る恐る見ると、迫力満点である上にその異様さは異彩を放っている。見ただけで言葉を失ってしまうようなその姿はその周囲の者にとっては一種の虐待であり、俺はこれをオバハラ(オバタリアンハラスメント、正確にはババァハラスメントかもしれん)と命名した。決してオハラショウスケとかおらは汁ハラスメントではないので悪しからず。

その3人組、お約束のように声もデカい。自分達は小声で話しているつもりなのだろうが、その会話は回りには筒抜けである。

おば(ぁ)ちゃんA「家に電話するべ。」
おば(ぁ)ちゃんB「電車で携帯はだめだべさ。」
おば(ぁ)ちゃんC「家に電話してなにすんの?」
おば(ぁ)ちゃんA「だって、こんなに遅くなったら恐いべさ。迎えにきてもらうんだぁ。」

ひそひそ声で筒抜けの会話に、為す術も無くヒットポイントを奪われる俺。そのときは確かに22時を回っていた。確かにうら若き乙女には少々危険な時間かもしれない。だが、このおば(ぁ)ちゃんたちには是非いちど鏡を見ることを心からお薦めしたい。どうすれば危ないと思えるのか、小一時間問い詰めたい。そして、聞きたくもない会話を聞かされ、見たくもない肌を見せられる。これをハラスメントと言わずして何というのだ。

そうこうしているうちに、おば(ぁ)ちゃんAはすみっこの方に行って携帯で家に連絡をとりはじめたようだ。小声のつもりでも、その声がはっきり聞こえるのはどういうことだ。なにか変な術でも使っているのだろうか。小童に「電車で携帯使うな!」と意気込んで注意する親父が彼女には注意しないのは、とても理不尽であると思う。

交渉の結果、どうやら家人がこのおば(ぁ)ちゃんを迎えにきてくれることになったようだ。

おば(ぁ)ちゃんB「いやー、やさしいごどー」
おば(ぁ)ちゃんA「したって、あそこ暗くて恐いんだぁ」

いや、多分家人はあなたが恐いのだ。恐いのは暗がりじゃないですからと一人突っ込みを入れる俺。それにしても、他人が暗がりで遭遇したら心拍数が200近くまで上がること間違いなしなのに、何という言いぐさであろうか。身の程を知るべしという言葉が喉元まで出かかったのだが、恐怖で言葉にならなかった。

「いつまでたっても女性はか弱い生き物なんだねということでひとつよろしく」と話を終えて良いものか、今でも俺は悩んでいる。

超人手不足でも払えんものは払えんだろ

J-CAST ニュース : 超人手不足なのに、なんでアルバイト時給は頭打ち?という記事の中で、

特に関東エリアの伸びが悪化している。平均時給は1,044円で全国のエリアの中で額は最も高い(最も低いのは、北海道805円)が、前年同月比でみるとわずか0.24%増だ。06年6月時は3.82%増だったので、3.58ポイントも悪化したことになる。05年平均も対前年比2.07%増だった。

なんてくだりがある。まるで伸びが止まったのがおかしいみたいに感じるけど、そもそも時給1000円ってどういうレベルなのかよく考えて欲しい。

時給1000円で月170時間働いたら、手取りは17万円になる。これに交通費とかが付いたとしたら18万円くらいは手に入る。かたや、お気楽極楽アルバイト君とは(建前上)責任の度合が雲泥の差であろう正社員の初任給はいくらかというと、大卒で19万円程度のようだ。(平成18年賃金構造基本統計調査結果(初任給)の概況参照) 社員はここから数万円が税金とか社会保険とかで天引きされるので、手取りは14万円程度であろう。予想されたことだが、同じ時間働いた場合に手にするお金は、ぺーぺーの社員よりもアルバイトの方が多い可能性が高い。

現実的には、社員より実務レベルが高いアルバイトは多数存在する。そいつらはずっと会社に残っていてほしいと思う。だが、これ以上時給を上げてしまったら、アルバイトから社員になった途端に実質賃下げだ。

そんな状況で何をしろという言うのだ。社会人より単価のいいアルバイトなんて絶対におかしいと、なぜ誰も口にしないのだろう。正社員の賃金を上げるかアルバイトの賃金を下げるかどちらかにしないと、会社だってやっていけないのだよ。

大体だな、コンビニなどでアルバイト2名に時給1000円払ったら、一時間あたりの売上は2万円程度は必要なはず。2万円って500円の弁当40個だぜ。それを営業時間中、ずっと売らなきゃならない。7~23時営業であれば日商30万程度だよ。時給1000円のバイト君を養うだけでも月商900万円くらいの売上が必要なわけだよ。

根本的な事を言えば、所詮アルバイトになんでそんなに金をやらなければならないのか、だ。建前で言えばアルバイトは単なる臨時の労働力だ。だれでも簡単に出来るからアルバイトにやらせるはずなのに、そんなだれでも簡単に出来る仕事になぜいい金を払わなきゃならないのか理解できない。その格差はあってしかるべきで、この格差をつけないからもっと大きなところで格差が生じてるんじゃないのか?(本当は違うけどな)

アルバイトからばんばん税金や保険料取って会社負担の税金や保険料を軽減してやれば、社員はいまよりほんの少し幸せになれるかもしれないぞ。意識の面でも報酬の面でもね。

アルバイト優遇は反対だね、俺は。所詮は片手間野郎、そんなのを優遇すんなといいたいし、引き留めていたい優秀な奴は、正社員登用などで待遇がよくなるようにするべきだろ?違うか?

役に立ちそうで立たないもの

米国の会社、いつ雨が降るか教えてくれる傘を開発 | 世界のこぼれ話 | Reuters

傘は雨が降ったときに使うもので、晴れているときには持って歩かないのが普通。天気予報で「雨」となっていても傘を忘れるのは日常茶飯事だろう。つまり、傘の柄が光ったからといって傘を持っていくかどうかは、はなはだ疑問だな。

雨が降ったら「自動的に傘になる帽子」とか、「自動で傘が出るランドセル」とかだったらまだ判るけど、天気予報を傘の柄で見ても面白くもなんともない。

タイトルに全てが凝縮しちゃってて、特段こんなこと書く必要もないんだけれどね。

なぜU-22中国戦は放映されなかったのか

痛いニュース(ノ∀`):【サッカー】 「小日本!」 中国人観客、日本人観客に紙コップを投げつけ罵声 君が代に大ブーイングも…U-22日中戦

いま中国で4ヶ国によるサッカープレオリンピックみたいなものをやっている。新しいメンバーを加えたU-22がどんな戦いかたをするのか興味があったので、試合のTV中継を楽しみにしていたのだが、北朝鮮戦は放映したのに中国戦は放映しない。おかしいなと思っていたら、日中戦の侵犯審判は全て中国人という国際試合ではありえない情報がとびこんできた。これを提案する方も認める方も頭がおかしいとしか思えないのだが、試合が荒れるのは必須だ。

実際試合はかなり醜かったようで、反町監督の

難しい環境のなか、よく戦った。私もサッカーをやって三十何年たつが、こんなレフェリーでサッカーをやったのは初めて。大会全体に“?”がつくような大会。

という皮肉たっぷりの試合後コメントに、その醜さが良く表れている。

問題は、なぜこの試合の醜さを報道しなかったのか(TV放送はあったようなので修正)である。このような事態を想定し、日本国内での中国バッシングを危惧してというようなことであるように思える。オリンピックにケチが付き視聴率が下がる要因は、あらかじめ排除しておこうといったところなのかもしれない。だから北朝鮮戦は放映しても、オリンピック開催国である中国戦は放映しないのではないのか。

あくまで邪推ではあるが、利益を優先するために真実を隠すのがマスコミであるということを、自ら証明した例だと思う。

もっとうがった見方をすれば、この大会、特にこの試合は、日中間でなにか別の力が働いていたのかもしれない。その情報はあらかじめ伝わっており、TVは報道しない、選手は多少怪我をしてもいいように主力は残しておき、そして日本サッカー協会もAFCもFIFAも見てみぬふりなのかもしれない。

とにかく、中国にはオリンピックで恥をかかないように、4000年間ただ生きてきただけなんだななどといわれないようにと願うだけだな。

愛の無い奴はオサラバだ

少し前まではメカニカルキーボードの「カチャカチャ」音が大好きだったのですが、やはり5・6年も使っているとそのやかましさが耳に残るようになってきます。そして、やはりメカニカルキーボードはメカニカルスイッチの集合体、どうしてもタッチが悪くなってきてしまうキーが出てきます。程度のいいメンブレンキーボードと比較しても、メカニカルキーボードのほうが耐久性が低いのではないでしょうか。

今まで使っていたFILCOのキーボードも、その例に洩れず「I」が無くなってきました。ああ無情、押しても答えてくれないのです。それでも俺はその相棒をしばらく見捨てませんでした。しかし、相棒の「I」は無くなり続けました。それどころか「H」も無くなり始めたのです。ナニの切れ目は縁の切れ目、ついに俺は相棒とオサラバすることを決心しました。

すっごい前から恋焦がれていたのは東プレ LA0100 REALFORCE106。その姿を見かけるたびにそっと触りまくり、涎をたれ流していました。パソコン屋で少し触っただけでその素性の良さが判ります。そのキータッチの良さに、是非一度お手合せ願いたいと思っていました。ですが、それは俺にはまだまだ高嶺の花だったのです。

しかし、前の相棒に愛想を尽かしたという建前が出来た俺は、大枚はたいて新しい相棒を手に入れることを決心しました。パソコン屋に行き即購入です。デスクに戻りその相棒を使ってみてまたまたビックリ。店頭では判らなかったのですが、タッチの良さは半端じゃありません。指に吸いつくようなタッチです。そして静かながら心地の良い音…重量も十分にあり、文句無し。ますます「ほ、惚れた…」と涎でてます俺。

こういうキーボードを使ってしまうと、もう二度と安い物には触れなくなりますね。やっぱりいいものは違うんだなぁと実感させられましたよ、ええ。