コメントで馬鹿呼ばわり・・・で言いたかったこと

先日コメントで馬鹿呼ばわりされちゃったというエントリをアップしたところ、いつに無くアクセス数が多くなっているのに気がつく。たどってみると駄文にゅうすさんに取り上げられていることを発見。そりゃ増えるわ。

で、駄文にゅうすでの取り上げられかたを見て思わずギクッとした。なんでギクッとしたかというと、【ネット関連/テキスト・ニュースサイト批評】というところが【ネット関連/テキスト・ニュースサイト批判】に見えたから。いや、俺ニュースサイト批判なんてしてないし、コメントで馬鹿呼ばわりされちゃったでは

想像するに、検索で飛んでくるかニュースサイトなどから流れてくるかの一見さんが、書いてもいない行間を勝手に読み取って感情に流されるまま汚い言葉を吐いていくのだろう。

とは書いたけど、俺のところに飛んでくるのはあと「はてブ」とかくらいだろうし、「はてブ」って書いたらうるさくなる可能性もあるしでニュースサイトって書いたんだけど・・・なんて自分自身に言い訳しつつ良く読んだら「批評」だった。

本音を言えば、書いているときから「ああ、ネガティブに取られ易い書き方だなぁ」と思っていたわけで、だからこそ「批評」が「批判」に見えてしまったんだろう。

コメントで馬鹿呼ばわりされちゃったで言いたかったこともそんなような事だ。煙草くらいでガタガタぬかすなというエントリは読んだ人の感情を動かす何かがあったからコメントがつき、しかしそのコメントが耳を傾ける気も失せる書き方だったのでこっちも腹が立つだけだった。それに対してコメントで馬鹿呼ばわりされちゃったに付いたコメントは心穏やかに読ませてくれた。このコメントをくれたかたは、俺の書いたレールに乗っかりつつ問題だと思われる点を説説と書いてくれた。いずれのコメントも、実は「お前違うよアホウ」という事なんだろうけど、この受け取る気分の差はなんだろうと言えば、簡単に言えば文章の書き方でしかない。

先日も職場で煙草ぎらいな人が突然「職場で煙草を吸えるなんて事自体がおかしい」とかいう「煙草なんて論」を声高々に話していたけれど、「ごめんね、アナタのその感情的な毛嫌い話も気分良くないよね。」なんて思いながら聞いていた。毛嫌いするのは良いけれど、感情的な言いかたは気を付けないと聞いてくれる人もそっぽを向いてしまう。文章は肉声に比べて冷たくなりがちだから、そこに怒りの要素が入るとものすごい文章になり易い。だから文章の書き方は読んだ人が必要以上に気分を害すことのないように気を付けなきゃね。お互い気を付ければもう少し会話がはずむと思うよ。まぁ、俺がコメントで馬鹿呼ばわりされちゃったで言いたかったことはそれだけなんだよ。

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