責任をもって という言葉

先日とある会議で「責任を持って仕事をしてほしい」というような意見がでた。配置された人員の働きかたに責任感が感じられないらしい。確かに配置されたメンバーは適当に仕事をしているようにも見える。だが、そのメンバーはそもそもそれが本業ではない。本業ではないところに短期的に配置されて生き生きと仕事をするほうが珍しいのではないか。

そもそも「責任をもって」とはどういう状態を示すのだろう。それを明文化できないと具体的な指示もできない。明確な指示もされずにしっかりやれと言われても困ってしまう。言葉自体があいまいだから、求めるものが個人のスキルとか資質に戻ってしまうのだ。また、「責任をもって」という言葉は責任をもって仕事をするのが当たり前という前提があって初めて使われる言葉だ。つまり、言われている奴は、「出来て当たり前で何をもって責任があるというのかは自分で考えろ」ということを求められているのである。これってあまりにひどい話ではないだろううか。

「責任をもって」という人は二種類いる。ひとつめは自分は責任を持たずに他人にだけ責任を求めている人だ。その言葉の裏には「自分に火の粉が飛んで来ないように」という意図がある。もうひとつは俺が責任をもたされたからおまえも俺のようにのようにやれと思う人だ。そこには、持ちたくもない責任もたされたという不満が見え隠れしている。責任なんて、持たなくていいなら持ちたくないんだよ誰だって。

何事も他人事のように仕事する人でも、仕事の範囲と目標とする成果を明示するときちんとこなす場合がほとんどだ。仕事に過大なる精神論を持ち込むのは意味がない。仕事には仕事での指示を出すべきなのだ。それもわからず、また、なぜ他人事のような仕事ぶるになるのかを考えもせず、ただ単に「責任をもって」という言葉を使う。そういう人こそ責任をもって言葉を発してほしいと改めて思った。

と心の友が言っていたよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください