Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
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2012年06月23日

都合が悪くなるとタテマエを言うんだよな

[これでいいのか]
友人から聞いた話。友人の会社の取引先で、とある設備に投資することになったらしい。で、工事業者から見積りをとって稟議を上げたところ、オーナー会社の方から待ったがかかったという。金額が高いというのだ。

取引先の会社はいわゆる業務委託会社で、本来ならば資本的支出に当たるようなことは行うべきことではない。とはいえ、ほぼすべてを任されているようなものなので、設備投資的なものもオーナーに稟議を上げて承認をとっている。だから稟議を上げたあとでアレコレ出てくることがたまにあるらしい。

業務委託はその契約内容にもよるが、基本的にはオペレーションを請け負う場合が多い。設備や建物などの維持管理はオーナーの仕事である。これはテナントで入っている店を考えればよく分かる。営業上必要な器具備品はテナントで入っている店が持つが、空調や水まわり、それから躯体に関わることは普通はオーナーが責任を持って行うものだ。テナントは「エアコンが効かないんだけど」とかオーナーに言えばいいだけだ。

友人の取引先の会社も、本来あるべき姿はそうなのである。躯体工事などの資本的支出に当たる場合はオーナーが責任をもって行うべき話だ。そのような責任を放棄し、業者を探して申請したら「高い」というなんてもってのほかではないのか。

とか言っていたらしい。話は筋が通っているが、裏を返せば「拒否されたのが腹立たしい」だけという話でもある。もしそのタテマエを通したいのであれば全てその手続に変えるべきだし、そうでなかったら今までどおりもう一度業者に当たって値段交渉するしかない。実務上の答えは簡単なのである。文句が言いたかっただけなんだろうなーと思った。

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2012年06月05日

おかしな指示

[これでいいのか]
以下、友人から聞いた話。

先日、とある人から「報告用資料の送り先が違うよ」メールが来た。そのメールは本社へ報告のために送っているメールだ。人事異動で人が変わっているのは小耳に挟んでいたが、本社から「送り先を変更するように」みたいな指示もなかったのでそのままにしておいた。これは何年も変えていない。

メールを送ってきた人は本社のお偉いさんなのだが、その人いわく「送り先を見直す必要がある。」だそうだ。ちょっとまって欲しい。そんなのはこっちで見直すべきものじゃない。本社から指示があってしかるべき内容だ。本社で取り決めもせず「見直す必要がある」なんておかしすぎる。というか、見直すのは貴方の仕事の進め方じゃないの?

だそうだ。

なんだかなーと思う話だったので書いてみた。

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2012年05月03日

土地柄のせいにすると気が楽で良い

[これでいいのか]
昨日ちょっと書きかけたが、俺の住んでいる東北の海から離れた地方では自分を卑下するようなことを言うことが多い。何かあると「ここの人は○○だから」だとか「そういう土地柄なんで」だとか言う。

これは全く本心ではなく、実は「お前の感覚がおかしいんだよバーカ」と言っているのである。決して自分を卑下しているのではなく「この土地の風習がわかんないお前がわかるようになればいいんだよ」という拒絶・警戒心・軽蔑などが入り混じって出てくる言葉だ。本心で思っているなら自分を変えていこうとする姿勢が少しは見られるはずだ。だが、残念ながらそういうことはほぼない。

仕事でも同じで、自分たちのやり方、考え方がすべてだと思っている。というか、変えて失敗するのを極度に恐れる。それは厳しい冬を乗り越えるために身についた習性なんだろう。

これは漁や狩りで生計を立ててきた人の多い沿岸部では、あまり見られない傾向だ。耐えることが生きるための最善の方法であったのだろう。自分の工夫やチャレンジで収穫が増える可能性の高い「漁師」とかは多少のリスクは厭わない。しかし山の人間は違うのである。

この閉鎖的な考えもそのうち変わってくるだろうと思う。問題はその変化に気がついていない人があまりに多いことだ。ネットでバンバン情報が取れる時代に、その土地独自の考えかたが一番いいなどと思う人間はどんどん少なくなっている。悲しいことに今一番いい方法と思っている人たちの意見が、実は一番実情に合っていなかったりするのだ。だが、その間違いにいつまでも気がつくことはない。なぜなら新しいことにチャレンジしないからだ。チャレンジしないがゆえ、真綿で首を締めるようにじわじわと業績が落ち込んでいく。その落ち込みは今まで支持してくれていた人たちの人口の減少に比例している。支持してくれていた人は死んだりどこかに行ったりして減っていくのだが、それをカバーする新規顧客は来ない。そりゃそうだ。新しい客にマッチしていないのだから。古い考えのところには古い考えの人しか集まってこないのである。

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2012年04月17日

無駄な労力か否か

[これでいいのか]
会議などでの報告を聞いていると、どうでもいいようなことを延々と話す奴がいて萎える。会社の業績なんて結局は数字だ。どんなに頑張ったつもりでも赤字では意味がないし、適当にやっていても成績がよければOKだ。

どうでもいいようなことを話す奴は、たいてい何が問題なのかがわかっていない。だから問題の原因追究も出来ない。なぜ問題がわからないのか。それは物事を数値化して考えられないからだ。計測できないから変化の量がわからないのである。

家計に例えていえば、家計が苦しいと意味もなく「電気節約!」なんて話になる。だが、削減できる可能性が高いのは金額が大きいもののほうだ。また、ちょっとの工夫で大きく削減できるもののほうが効果は出やすい。きちんとデータをチェックしていれば上昇気味の費用も把握でき、上がった理由もわかるだろう。電気料でいえば、家の電気をこまめに消したって月間数百円程度にしかならず糞の役にも立たない。それよりテレビとか冷蔵庫とかに手をつけるべきだ。また、そんな苦労をするより携帯のプラン見直しとかのほうが効果がデカかったりする。意外と無視されているのがコンビニとかでの少額の買い物だ。

少し前に「頑張りで数字はかわらない」みたいなことを書いたが、簡単に「頑張ります」とか言う奴はかなりの確率で何を頑張るのかわかっていない。何をすれば効果が上がるのかわかっていれば、「いついつまでに○○します」という答えになる。それがわからないから「ガンバリマス」になるのだ。

こういう奴の次に来る言葉は「忙しい」、「時間がない」である。それは当然だ。無駄な労力に時間を割かれているのだからな。


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2012年04月04日

逆不気味の谷現象

[これでいいのか]
先日、ちょっと不思議な写真を見た。それはこれだ。

【画像あり】韓国の完璧すぎる美人双子・・・?目大きすぎわろたwwwwww

とにかく違和感ありすぎ。どこがどう変だとかという話ではなく、なんというか、マリンちゃんのかぶりものをしているような感じ。

以前不気味の谷現象という言葉を耳にしたことがある。
ロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した。森政弘は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。
なぜこのようなことが起こるのか。俺は人間の脳の想像力と補正能力がポイントなのではないかと思っている。ロボットなどの動きを見た人間の脳は、その動作などを多少補正し想像力で補って見ているはずだ。そしてポイントポイントで「ああ、人間っぽいね」とか「やっぱりロボットだね」とか思いながら見ている。それが次第に本当の人間の動作・容姿に近づくにつれ、脳はその補正をしなくなる。その結果、似ているのだが何か根本的に違うという感覚が強く残るのではないか。

その逆パターンを、この姉妹の写真から感じた。あの写真たちからは、人間ではない作り物のイメージしかもてないのである。

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2012年04月03日

権利権利と騒ぐ奴ってどうなんだろう

[これでいいのか]
異議あり! 有給休暇 - 守井 嘉朗(河北新報 オピのおび ふらっと弁論部) - BLOGOS(ブロゴス)を火種にして、ネットがちょっと盛り上がりを見せている感じ。で、この記事へのカウンターパンチ有給休暇は当然の権利です | 100% Pure NEETについたブコメを読みながら、ふと、みんな権利に関しては敏感なんだなーと思った。

かなり昔になるが、俺がとあるファーストフードで働いていた頃の話。その日はとても忙しくて、アルバイトに休憩を与えることさえままならない状態だった。それでも短かい時間ながら順番に一服や食事を取らせ、どうにかその場をしのいでいた。ほとんどの人は文句も言わずに働いてくれていた。だが、一人のアルバイトが、勝手に「休憩いただきます」とか言って持ち場を離れやがったのである。「おいおいなんだそりゃ」と思ったが、周りの連中も特に何も言わない。それどころかダチョウ倶楽部よろしく「どうぞどうぞ」って感じだった。

それでもあまりに理不尽なので、俺はそいつに「こんなに忙しくてみんなまとまった休憩も取らずに働いているのに自分だけ休憩するのか?」と言ったら、あっさり「休憩は労働者の権利です」と言われた。

確かにその通りである。

だが、このアルバイトは入ったときから権利ばかりを主張する奴だった。このときも周囲のメンバは「またかよ」という感じだったし、腹を立てるのもばからしいという雰囲気が感じられた。だからこれ以上は追求はしないことにした。このバイトも、みんなからそう思われているのは重々承知のはずだ。それでも自分の信念を貫き通すのだから大したものだ。

あのバイトは今どうしているのだろうか。あの信念を曲げずに今でも生きているのだろうか。

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2012年03月13日

手書きを重んじるのもほどほどに

[これでいいのか]
橋下市長バッサリ「無駄な労力」学校文書手書き : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

手書きを重んじるというのを全て否定するつもりはないが、作業効率とかそういうものも量りにかけてみないとよろしくない。この話は教育現場のことだからとか言うなかれ。教育は既にれっきとしたビジネスだ。

そもそも「手書き=心がこもっている」というのは、俺のような理系頭ではほとんど理解できない。超悪筆の人は機械を使った方が読みやすい。相手のことを思えばPCで作成する方が良い場合もあるわけだ。

以前マクロを組んで作業するのは実力ではないですか?で思い出した事というエントリに書いたことがあるが、なぜか手書きにこだわる人がいるのも確かだ。年賀状も「手書きじゃないと・・・」なんて言われた時代もあった。そんなもんだ。実際今でも大事な郵便の宛名は毛筆で・・・なんて言う人もいる。しかし、それにありがた味を感じる人は確実に少なくなっている。だから橋下市長が「無駄な労力」と切り捨てるのは当たり前の話だろう。

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2012年03月04日

不意打ちされる銀行団がおかしい

[これでいいのか]
不意打ち申請に猛反発 銀行団との軋轢、エルピーダ再建の障害に : SIerブログ

これを読んだ友人いわく、「他行に資金を回せるなんてすげーな。」なんだそうだ。

友人の努めていた前の会社は私的整理で営業を譲渡した。会社更生法とか民事再生法とかいずれの手段をとっても、営業を継続する場合の最大の懸案事項は資金繰りである。

社会的信用とかそういうものをすっ飛ばして会社が一番有利に物事を進めるとしたら、とにかく運転資金を現金で確保してある日突然裁判所に会社更生法とか民事再生法を申請すれば良い。そうすれば当面の間借金は払わなくて済むし、現金はあるので商売は続けられる。この手法を取られると銀行の被害はとんでもなくでかくなる。通常の場合、最大の債権者は銀行だ。だから銀行は危ないところには社員を出向させ金の動きを注視する。逆に言えば、借金の踏み倒し額が大きくなる場合が多いので、その後の再生はしやすい。これをやられるとたまらんので、銀行は金の動きをつぶさにチェックしているのだ。

大企業ならいざ知らず、中小企業はまず金を貯められない。エルピーダは結構な額を他行に移したようだが、こんな額を他行によく移せたなーと思う。結局銀行間でも足並みが揃っていなかったわけだ。

友人の会社は私的整理の話がまとまりかけた頃に某都銀が債権を何とかショックを起こしたファンドに売却し破談したらしい。そのせいでもともと青色吐息だった会社は息も絶え絶えになり、不渡りを出す寸前まで行ったという。銀行は経済合理性の名の元にそんなことを平気でする。

金を扱うプロなのに見抜けなかった方がマヌケだろ。

と友人はちょっとうれしそうに語った。

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2012年02月03日

最近の若い奴らは・・・と思ったこと

[これでいいのか]
友人の会社で、ここ数年ほとんどして来なかったスタッフの募集採用を再開したらしい。あまりに久々なので面接の仕方も忘れたとか笑っていたが、最近の若い奴らって良くわからんと言って黙ってしまった。

「最近の若い奴らって」フレーズは年代が違えば必ず出てくる言葉ではある。だから「オマエモナー」とか話していたのだが、友人の顔があまりにショボーンとしている。なんだか様子がおかしいので探りをいれてみた。

友人の話はだいたい次のような内容だった。

今回の募集ではそこそこの応募があった。まぁ採用してもいいかなと思える人もそこそこいたので採用の連絡をした。すると「友人と一緒じゃないと働きたくない」とか、「いろいろ考えたのだが辞退します」とか、揚句の果てには電話に出ない奴さえいる始末だったという。それだけで無く、面接をすっぽかす奴など、まともな奴のほうが少なくてかなり幻滅したという。自分で働きたいと応募してきておきながらなんたるちあだ。お前から言われなくてもこっちがお断りだバカヤロ、と。

この話には俺も少々驚いた。余りに程度が低すぎる。バブルの頃も結構失礼な奴はいたが、数はそんなに多くなかった。こんなご時世なのに、働く側にだけ選択権があるとでも思っているのだろうか。働いて金をもらうということがどういう事なのか判っていないのかもしれん。

やりたいことだけしかやりたくないのなら自分で起業とかしてみればいい。そしてそれがどんなに甘い考えか身を持って知るべきである。というか、今のままでは誰も雇ってくれないし、たとえ雇ってもらっても長続きしないだろうな。


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2012年01月13日

なんだかとっても腹が立った話

[これでいいのか]
知り合いから聞いた話。先日仕事中に意味不明の電話が入る。何やら知人の会社に務めているパートAさんの親戚らしい。その親戚は知人の会社で働いているAさんと連絡が取りたいので携帯の電話番号を教えろと言った。知人は、口頭だけでの「親戚」は100%信用するべきではないし、Aさんの自宅の電話番号は控えてあるが携帯番号までは控えていなかったので、とりあえずやんわり断ったらしい。

するってーとこの自称親戚は、働いている最中に倒れたとき誰に連絡するんだとか訳のわからんことを言い始めた。会社には履歴書もあるしその他いろんな情報は控えてある。それでも訳のわからん奴においそれと従業員の情報を伝える訳にはいかない。そこで知人は、その自称親戚に「携帯番号が判りましたらこちらから貴方様に連絡差し上げたいのですが・・・」と言ったところ、この自称親戚は決して自分の連絡先は言わなかったらしい。そのくせあーでもないこうでもないとうるさい。自称親戚の話によると、自称親戚とAさんは色々あって連絡が途絶えているのだが、ここに来てどうしても連絡を取らなければならない事が起きたとのこと。Aさんの自宅の電話番号は知っていて、そこにかけるのだが出てくれないらしい。

この自称親戚、いつまで経っても「もし会社で何かあったらどうするんだ」とかしましい。本来の携帯番号を聞き出すという目的は明後日の方向に飛んでいき、教えてくれない知人に怒りの矛先が向いたようなのである。おいおい、そんな身内の喧嘩みたいなことこっちに投げてくんなよ。

ちょっとつかれたので、「Aさんに自称親戚さまから電話があって携帯番号を教えてほしいと言われたのだが・・・」と聞いてみてもいいか?と尋ねてみた。すると、それはやめてくれと言う。なんだそりゃと思いつつ「ですが、Aさんから携帯の番号を聞いて、その番号に自称親戚さんから電話が行き、Aさんから「なんで番号を教えたんだ」と言われたらどうすれば?」と聞くと、すぐに論点を会社の体制にすり替え答えない。ちょっと面白くなったので「当社でAさんの緊急連絡先として、自称親戚さまの連絡先を記録しておきたいのですが・・・」と聞いてみた。

この問いの答えは少々驚くべきものだった。自称親戚は「何かあっても決して私の所には連絡しないでください。こちらがやらなくならなければなるので。」と言ったのだ。自分は連絡を取りたくて会社にまで電話をかけているくせに、自分の情報は開示しないばかりでなく、Aさんに何かあっても一切面倒は見ないとはっきりと言ったのである。

ちなみにこの自称親戚はAさんの長女らしい。

どんなに複雑な関係になっているとしても、実の娘があったこともない他人に向かって「面倒なことは投げてよこすな」とはっきりと言ったのである。なんだか気持ちが毛羽立つような話だった。

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2012年01月08日

役人天国の終りは来るか

[これでいいのか]
少し前の話になるが、知人の会社になんとか基準協会なるところから現地査察&アドバイスをさせてくれみたいな電話が入ったらしい。「協会」の文字を「ほげほげ所」に変えるだけで法的拘束力のある役所になってしまうのだが、こちらはなんら法的拘束力を持たない団体らしい。この団体、名前がそっくりなお役所から厳しいご指導を受ける前に、事前に悪いところを発見してアドバイスするという、なんとも有り難いことを行っている団体らしい。

こういう団体は、多分天下り役人とかで構成されているのだと思う。その活動資金には、税金とかが迂回されて充てられているにちがいない。役所と同じような機能をもちつつもなんら責任も権限もない、なんともお気楽極楽な仕事だ。

このような団体はどのくらいあるのだろうか。ここに回る金をぐっと絞っただけで、かなりの金が浮きそうな感じだ。なにせ知人の会社には、その団体から4人も来たそうなのである。大の大人が4人も揃ってたいしたアドバイスも無くアリバイ作りのような仕事をしている。そしてその賃金は一般人よりかなり高いのだろう。そんなことを考えていると虚しくなると共に、やりきれない怒りがふつふつと沸いて来る。

こんな役人天国を打破するには、強烈な切込隊長が必要だ。みんな不満は持っているのだが、やり切る度胸がないのだ。早く橋下市長に一定の成果を上げてほしいと思う。大阪で成果が上がり、かつ一般市民からの支持も高いままであれば、橋下路線に右ならえする政治家が必ず出てくる。そしてその動きは大きなうねりとなって役人を襲うだろう。大きなうねりが生まれる素地は出来ているのである。いまここで消費税増税に走るのは、そのうねりが生ずる前に手を打っておきたいからだと思うのだが、どうか。


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自転車の歩道走行は危険

[これでいいのか]
銀輪の死角:都「自転車は歩道」崩さず 沿道の停車需要多く - 毎日jp(毎日新聞)

ご存知のとおり、自転車は道路交通法では軽車両に分類される。つまり「歩行者」ではないので、本来歩道を走るべきものではない。こういう建前論だけで話すことではなのだろうが、これが日本の法律であることは頭に入れておきたい。

事故が起こる原因の一つに「速度差」があると言われている。同じ場所を違うスピードのものが走っていると事故が起こりやすいらしい。道路で一番遅いのは「歩行者」だろう。だから車道と歩道を分ける。次にくるのが自転車で、これは車から見ればかなり遅いし挙動が怪しいので、出来れば車道を走ってほしくない車両であるのは確かだ。自転車より少し早い原チャリも似たようなものだが、こちらはさすがに歩道を走行する人はいない。

車から見れば自転車は邪魔だが、自転車から見れば歩行者も邪魔である。しかし、 日本の道路交通法は弱者保護が大前提なので、一番保護されてしかるべきなのは「歩行者」で、自転車はその次である。では自転車走行可の歩道はどうかといえば、これは明らかに歩行者保護に反していると言える。我が物顔でベルを鳴らして歩道を走り抜ける自転車をなぜ保護する必要があるのか。

自転車走行可の歩道は意味もなく広い場合が多い。首都圏では歩道がどんなに広くとも人で埋まるかもしれんが、田舎ではまさに無用の長物である。歩道の幅を2/3くらいにして段差をつけ、軽車両用道路(車道)にしても全く問題ないように思うのだがどうか。

上の記事で
自転車レーンの整備は「沿道の停車や荷降ろしができないとの声は無視できない。そもそも都内は停車需要が高い」
なんて事が書かれてあるが、どんなに狭い道路でも沿道の停車や荷降ろしをするくせになにを言うという感じだ。

というか、そろそろ自動車を締め出すことも考えたほうがいいのかもしれんね。

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2011年12月21日

俺の感覚がおかしいのだろうか

[これでいいのか]
とある人から聞いた話。その人の会社にある会社から社長交代の挨拶状が届いたという。その挨拶状はその人の会社の社長宛てだったらしいが、社長の名前が前社長になっていた。その人の会社の社長も少し前に交代していたためだと思うが、それにしても失礼な話だと言っていたらしい。

俺にはこういう感覚が良くわからない。そういう挨拶状の一番の目的は交代の情報を伝えるためであり、それは宛名が間違っていようがいまいが関係ない。そんなことでいちいち目くじらを立てていたら疲れてしょうがないだろう。頻繁に人事異動をやっている会社であれば肩書が違う郵便物が届くのは良くある話だし、そのときに間違いをひとつひとつ指摘していたら時間のムダというものだ。社長と社員では違うだろうという意見もあろうが、肩書や名前なんて所詮はポインタでしかないという見方もある。

こういう所にこだわるのは情報量が少なくて細かいところまでチェックできるからであり、つまりはヒマさと不必要なプライドの成せる技なのかもしれんなぁと思った次第。ま、間違えないのが一番いいのだけどね。

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2011年12月15日

ミタもオワタか

[これでいいのか]
先日、話題の「家政婦のミタ」なるドラマを見た。このドラマを見るのは数回目だが、最初から通して一時間見たことは今回が初めてだ。

このドラマ、かなり視聴率が良いらしい。確かにドラマの設定としては特色があり、それなりに面白そうだなと思った、最初のほうは。しかし、家族の絆が戻ったあたりから「もうダメポ」臭がプンプンしていた。多分最後はお涙頂戴のどうしようもないドラマになるんだろうなぁと・・・

今回見た限りでは、紆余曲折はあるにせよミタが笑うとか笑わんとか、そんなどうでもいいようなところにポイントが置かれ、あまりにクサイ演出で彩られた家族の絆とあいまって腐臭が漂い始めているようにしか見えない。なぜ日本のドラマはあんなにも薄っぺらいのだろう。

というか、全ての演出が判りやすすぎる上にダサい。特に子供を使った演出は寒気がするほど気持ちが悪い。あんな口達者で演技ぶった子供が現実にいたら不気味なだけだ。大体日常ではもっともっと簡素化された言葉が飛び交うはずで、第三者に説明するための台詞などはそのドラマや映画の質を落とすだけだ。

製作側は、そういう馬鹿でも分かる演出をしないと視聴者が理解できないと思っているのだろうなぁ。もう少し骨のあるドラマが見てみたいね。

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2011年12月03日

二日酔いから致死量について考える

[これでいいのか]
さぁ忘年会の季節がやってきた。俺にはほとんど関係のない話なのだが、それでも12月は酒を飲む機会が増える。

酒を飲むとたまにしか飲まないせいか、ついつい飲みすぎてしまう。だってうまいんだもの。で、頭のてっぺんまでとっぷりとアルコールに浸かってしまい次の日が大変になる。朝起きると息は酒臭く頭は割れるように痛い。吐き気が止まらず食欲も全くない。体が完全にアセトアルデヒドに負けてしまっている。

しかし、それも昼を過ぎてPM2:00辺りを回ると霧がはれるように一気に回復してしまうことがほとんどだ。これは俺の体のアセトアルデヒド処理能力が一定であり、その時間になると体内のアセトアルデヒド濃度がしきい値を下回るからなんだろうと勝手に解釈している。それにしても本当に一気に良くなるのは実に不思議だ。

この様に、人体は何事にもある程度の耐性を持っていて、その耐性は徐々に弱まるのではなく一定のしきい値を越えると一気に崩壊することが多いのだろうと推測する。致死量などはその最たる例で、その量を越えると生命活動が停止してしまう。想像するに、大体何でも突然パタンと行くではないかと思う。

放射線量も同じなのではなかろうか。ある一定量までは放射線を浴びてもそれを修復する能力の方が強い。その線量まではほとんど大丈夫なのではないだろうか。原発事故以来騒がれているのは「その線量がどのくらいなのか」とか「低線量でも長期間浴びたらどうなるのか、またその低線量とはどのくらいを指すのか」とかいう話ではなく、とにかく放射線は危険だからみたいな感情的な話で少々困ってしまう。今の放射線の話はDHMOの話に近いレベルにまで到達しているようにさえ感じるのだが、どうだろう。

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