Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
«Prev | Next»

2010年07月19日

手伝いとか応援とかを出せる配置にしておく事こそ問題だ

[これでいいのか]あとで読む
サービス業とかでは「全社体制で」なんて言葉をよく聞くんじゃないかと思う。これは忙しいときは全員が応対に回れとか、接客が忙しい時は裏にいる奴を呼べとか、まぁそういった類の話だ。多数の敵が攻めてきたらこちらも弾薬をたくさん使わなければ撃退できないわけで、それはある意味当たり前の事だ。

しかし、そういう号令の元、ちょっと忙しくなれば「助けてー」と叫ぶ奴が増えるとこれまた大変なのである。なぜヘルプミーコールが出されるのか、そのことをまったく考えずに「忙しくなったら呼べばいい」という甘ったれた根性は本当に許せない。

なぜこの「ヘルプミーコール」が乱発されるのか。その理由は2つあって、1つはコールする方のスキルの低さである。高いスキルを持つメンバーであれば、多少の繁忙は吸収してしまう。それが出来ないため、すぐ「呼んじゃえ」になるのである。しかしこのスキルというものは、ある程度のストレスをかけないと高まらないものだ。安易なヘルプミーコールは己れのスキルアップの道を自ら断ってしまっていることに気がついていない輩は多い。当然、スキルが低いので仕事に対するプライドも低く、この程度だったら我々だけでこなすのが当たり前という意識もない。こういったことで、出来ない奴に限って助けを呼びたがる構図が出来上がる。

もう一つの理由はもっと根本的な「人員配置のミス」によるものである。上位職者が閑繁を予測できないため、毎日同じ人員配置になっているのをよく見かける。だから、暇な時は人手が余り忙しい時には人手不足という状況がどうしても発生してしまう。呼ばれる方はこっちの状況も考慮しないで一方的に呼ばれるから困るのであって、予めスケジュールに組み込まれていればそれなりに対処するものだ。そもそも自分の本来の業務を止めてまで手伝いにいくのだから、それなりの配慮はするべきだろう。だからこそ予測をしっかり立て、その予測に基づいて事前に十分準備してくことこそが重要なのだ。

オシム前監督は選手に「ポリバレント」性を求めたが、その結果は本来のポジションの選手が本来のポジションでより活躍する結果となった。全体がスキルアップすれば、本来の持っているポジションの性格がより強く出てくるのだ。そういう意味では、ここに書いたスキルアップがない安易な「ポリバレント」を望むことは百害あって一利なしだと言える。

というかだな、要請されてほいほい手伝いにいける配置にしていることの方がよっぽど問題で、要はその部署は人が多いってことなんだよ。「全社一丸となって」とか「全社体制で」とか言葉はカッコいいかもしれないが、付け焼き刃的なその場しのぎは逆効果でしかないことにそろそろ気がつけこの阿呆。

と、うちの猫が鳴いていたんだよ本当に。

ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2917

2010年07月15日

画像付きメールなんて大嫌いだ

[これでいいのか]あとで読む
ブログサービスとかYahooオークションとか楽天市場とか、そんなサービスに会員登録しているとメールがよく送られて来るようになる。それはそれでかまわはいのだが、ひとつだけどうしても我慢できないことがある。それは画像を組み込ませたメールだ。

流石にメール自体に画像をつけて送ってくる阿呆はいないが、外部にある画像を読み込みに行くということは、画像を置いてあるサーバにはしっかりとこちらのログが残るということだ。なにかデータでも欲しいのだろうか。

それよりなにより、携帯とかだと表示が遅くてイライラするし、上記のようなセキュリティ上の理由から画像を表示させないようにしていると何がなんだかイミフなメールでしかない。これはMicrosoftの腐れOEがhtmlメールを標準仕様にしていたことに端を発していることだろう。あのあたりは「htmlメールお断り」みたいな強い論調もよく見かけたものだが、最近はどうでもよくなりつつあるようだ。だが俺は断る。

この画像満載メールは、ほぼ楽天からだけ送られて来る。そのほかにはyahooからすこし来るくらいなので、なぜ楽天がここまで画像付きメールにこだわるのかよくわからない。楽天の傘下に入ってしまった旧イーバンク銀行も、現在の楽天銀行になってからは画像付きまくりのメールになった。ホント、真面目に勘弁してほしい。読む気どころか「楽天」の文字を見ただけで削除してしまいたくなるのである。

あんなメール、貰って喜んでいる奴などいるのだろうか。いるんだろうなぁ。

ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2913

2010年06月07日

国民国民って言うけど、誰のこと?

[これでいいのか]あとで読む
総理退陣などの政治的イベントがあると、よく「国民」という言葉を耳にする。「国民のみなさまの期待に沿えなかった」とか「国民のみなさまにご迷惑をおかけした」とか「国民のみなさまに不信感を植え付けた」とか、とにかくよく聞く言葉だ。

では、この国民とは日本国民の誰を指すのか。このことについては誰もはっきりと述べることはない。それは曖昧のままの方がなにかと都合がよいからだ。この言葉を使って、総理などの「個」から多数に呼びかけるのは正しい使い方だろう。俺が気になるのは、街角インタビューなどで一般市民が使う「国民」という言葉だ。

情報を発信する側は、例えばペルソナモデルなどで標準的な「国民」を想定しているはずだ。政治の政策もマーケティングと同様に大まかに網をかけ、その網にかかる対称をできるだけ(多く|少なく)することが重要なポイントとなるのは言うまでもなく、だからこそ対称を「国民」として総括するのは理にかなっている。しかし、その対象となった一国民が自分の事を「国民」と総括していうのはおかしい。というか、「アナタに総括してもらわなくても結構なんだが」と思う。

こういう使い方は、何かを問いかけられたときに「みんなそう言ってます」と付け加えて答えるのと根本的に同じだ。なぜこういう使い方をするのか。その理由は簡単で、自分の意見であることをはぐらかすためだ。なにか否定的な意見を言いつつ、その言動の責任をはぐらかすために「みんなそう言っている」とか「国民は怒っていますよ」と言うのだ。本当は自分が気にくわないとか怒っているだけなのである。

こういう現象を見ていると、多くの人がはっきりと「俺は怒っている」とか言えるようにならない限り、なにも解決しないような気がしないでもない。しかし、特に大きな不満がないから誰でも持っているであろう小さな不満を「国民」というオブラートに包んで話しているだけなのかもしれん。結局日本って良い国なんだよ、きっと。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2875

2010年04月20日

火山噴火の影響は経済ばかりじゃないだろ

[これでいいのか]あとで読む
今回のアイスランドの火山噴火の影響は飛行機は飛ばなくなったことばかりが騒がれている。大陸を結ぶ交通網が遮断された影響は確かに大きいだろう。また、これが長く続けば経済に与える影響も計り知れない。

しかしだ、なにか忘れていないか?そう、気象に与える影響だ。

以前も火山噴火で空気中に大量の火山灰が放出され、その火山灰が太陽光をさえぎることで太陽の照射量が減り異常気象が起こったことがあったはずだ。覚えている人も多いかもしれないが、1991年のフィリピン ピナトゥボ山の大噴火である。(ピナトゥボ山 - Wikipedia) あの大噴火で地表に達する太陽光が最大で5%減少し、北半球の平均気温が0.5℃から0.6℃、地球全体で約0.4℃下がったと言われている。

聞くところによると、今回の噴火が引き金になって、更なる噴火を誘発する危険性もあるという。さぁ温暖化どころじゃないぞ。どうするどうする?

しかし、この気象に与える影響についてはほとんど触れられない。それは確証がもてないということもあるだろうが、たったこれだけのことで気温が下がると言ったら、「エコ」とか「環境」とか「二酸化炭素」なんて話の信憑性が著しく下がるからではないかと思っている。信憑性が下がると「エコブーム」に乗っかっていたいマスコミとそのスポンサーは大打撃だからな。

ということで、半年後あたりに「オゾンホールがでかくなりましたぁ!」とマスコミが騒ぐのに一票。

posted by oyajiman at 23:00:00 - 2 コメント - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2826

2010年04月16日

これは責任回避の手法の一つだ

[これでいいのか]あとで読む
俺は食料を確保しただけだ。俺だって生きていかなければならない。それなのになぜDNA検査をしてまで犯人扱いされなければならないのだ。

今までどおりに食べたものを捕まえ今までどおりに食べただけだ。ちょっと興奮したけどな。あの場所が誰かの持ちものだなんて知らなかったし、ましてやあの食べ物が俺の知らない世界でどんな意味を持つのかなど分かるはずもない。俺たちは普通に生きているだけなのに、何を騒いでいるのだ。俺たちに「食うな」というのか?と貂は思った。

今回のトキの件はこんな風に見える。侵入されたことに対しての説明はあまりされず、テンがやったことに話題をすり替え、犯人(貂)はコイツだ!ということでお茶を濁そうとでもしているようだ。

何も知らない奴とか何も反論できない奴に責任をおっかぶせておけば楽でいい。これらは「何とか畑がイクナイせいで凍らせた何とか畑を食べさせたら喉につまって死んだJARO。」とか「ライターが火がつくせいで子供が火遊びするジャマイカ。」みたいな話と根っこは同じなのではなかろうか。

posted by oyajiman at 23:00:00 - 4 コメント - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2821

2010年04月14日

反省だけなら猿でもできるらしいが

[これでいいのか]あとで読む
なんだかものすごく疲れた。まぁいろいろ言いたい事はあるのだろうし、こっちも説明不足だった。聞かれたことに即座に答えられないのは勉強不足と言われても仕方が無い。それも十分理解できる。ただ、同じ内容でも気分を盛り上げる言い方と意気消沈させるだけの言い方では、言われたほうも疲れ方が全く違うものだ。

なんでも否定して叩くのも一つの方法だ。相手によっては「なにくそ」と力が沸くやつもいるだろう。しかし、全く逆効果の奴だっている。俺みたいに、何言われたって自分の基準でしか動かないから全然効果の無いやつだっているのだ。

言われている事はもっともだし改善しなければならないことだってある。それはそれで対処するが、なにより相手の出方を読み間違えたのが残念だ。何事も心に余裕を持って、一生懸命がんばることなくサラっとこなせなかったのは反省せねばなるまい。要は準備が足らなかったってことだよ。

それにしても、成績が悪くなるとみんな不思議と紙に書いた数字や文字に傾注するようになる。これははなぜなんだろう。たぶん心のよりどころというか、言い訳が欲しいんだろうな。カッコつけたって結果は同じなのになぁ。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2819

2010年04月10日

高速道路の新料金

[これでいいのか]あとで読む
高速道路の新料金が決まったようだ。基本は普通車2000円、軽自動車1000円、中・大型車5000円を上限とした料金で、土日祝の割引やETCの優遇もないらしい。土日祝1000円を狙ってETCをつけた人には、ちょっと残念な結果になった。

ETCの普及率は全体の4割程度らしい。しかし、高速を利用する車両の80%以上がETCをつけているという報告もある。つまり、よく高速を利用する人ほどETCをつけているということなのだろう。確かにETCは便利だ。

ただ、ETC搭載車両だけが大きな恩恵を受けられる現在の制度はどこかおかしい。ガソリン税や自動車税などは同じ負担をしているにもかかわらず、かたや土日祝日は上限1000円、かたや通常料金などというのはあまりにもおかしな話だ。そんな不公平感は今回の料金改訂で一掃されるが、今度はETCをつけている人のメリットが非常に少なくなってしまった感がある。

さて、この高速道路料金の改訂に、JRが文句を言っているらしい。確かにJRは打撃を受けるだろう。しかし、よーく考えてほしい。現在の移動に伴う費用はすべてJR料金がベースとなっている。高速道路はガソリン代も入れるとほぼJRと同じだし、高速バスの料金はJRの半分というのが基本だ。JRが高いからすべてが高いのだ。自分たちで高い料金に導いておきながら、値下げされると困るんだけど・・・は無いだろう。在来線をぶつ切りに寸断して長距離移動の選択肢を割高な新幹線だけにしておきながら、そんなことを平気で述べる神経がよく分らない。つか、新型車両とかの投入もいいけど、儲かっているから新型を開発投入できるんだよな。いいよなぁ殿様商売出来るところは。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2815

2010年03月24日

郵貯は資金回収機構だよね

[これでいいのか]あとで読む
郵政が昔のような状態に戻りつつある流れの中で、今後は郵貯の貯金残高を昔のように増やそうという動きが出ている模様。

郵貯限度額3000万円に引き上げ 大手銀猛反対しない裏事情 (1/2) : J-CASTニュース

これって単に「タンス預金」を差し出させて国債に使うという流れを加速させるってことだよな。貯蓄に回っている金を集め、国債に運用して国策で使える事業に金を流す。そういうことだろ? 資金集めという意味では、文句の出やすい税金アップより金を持っている人に金を出させるこの方法の方がいいかもしれん。まぁ、見た目上の国債額は増えていくだろうけど、国内で金が動いている分には大きな問題にはならないだろ。

ただ、ものすごく気になるのは、官が金を使っても景気はよくなるとは思えないことだな。官の景気対策なんて、道路をほじくり返すかダムを作るか箱物を作るくらいなんで、今までだってずっと同じことをしているのにこんな状況なんだからね。

もう一つ恐ろしいのは、金の使い道がブラックボックス化しちゃいそうなこと。ある人たちにとっては、自由に使える金が増えてウハウハだろうけれど、まだ税金の方がチェックの目が入りやすいような気がする。

といった枝葉末節な話もあるが、動かないで留まっている金をうまく動かせたら、それはそれで良い事のように思う。だけど、国外に金をだすのだけは止めてほしいけどね。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2798

2010年03月23日

光ケーブルって一般家庭には無駄なんじゃない?

[これでいいのか]あとで読む
先日、いい気分で眠っているところを突然息子に起こされた。プロバイダだかなんだかの勧誘が来ていてなにがなんだか分かんないから対応しろと言うことらしい。

眠い目をこすりながら玄関に行くと、ねーちゃんが立っていた。開っ放しにしたら猫が逃げるだろこのドアホとか思いながら話を聞く。通りいっぺんとうなお話で面白くもなんとも無い。俺は、俺の家では光にすると割高になること、光が優位とする通信スピードはそこまで必要ないし今でもADSLで十分すぎるスピードが出ていること、光は停電すると電話さえかけられなくなること、という理由から光にするつもりは無いことをはっきりと伝えた。この勧誘員はそんなにしつこくなかったので「ゆくゆくはあらゆるものが光ケーブルで接続されていくようになりますので、それまでには云々」とかなんとか言って帰っていった。

ちょっとまて。

固定電話ってこれからも存続できるのだろうか。それこそ中継基地のようなポイントがあって、それ以降は無線に取って代わられるんじゃなかろうか。そう思うと、今やっているNTTの戦略は、ただ単に他の通信業者を締め出すためだけに行っているとしか思えない。それは料金体系を見れば明らかで、他と競争するように見せかけながら、きちんと固定費だけは上げているのだ。この料金戦略、ファミレスのすかいらーくがガストに変わったときに使った方法とそっくりで、単品は安く見えるが合わせると今までとなんら変わらないかそれ以上の値段になる。

おっと話があさってに飛んでいってしまった。とにかく俺は家庭に一本の光ケーブルなんて意味が無いと思う。そのくせ、マンションなどの集合住宅ではケーブルを効率的に使おうとしていたりするのが笑える。つか、契約させる主目的はインフラ整備なんだろうから、一戸建てとマンションタイプの価格に差をつけるのはどうかと思う。工事費は差があっても仕方ないが、使用料金に差があるのは絶対におかしい。あ、またそれた。

NTTは、とにかく現在の銅線から光ケーブルに変えたいのだろうな。基幹はすでに変わっているんだろうし、後は俗に言うLast 1 mileなんだろう。だけど、そのメリットは利用者にはほとんど感じられないように思えるのは俺だけだろうか。

posted by oyajiman at 23:00:00 - 2 コメント - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2797

2010年03月20日

ムダという台詞の意味

[これでいいのか]あとで読む
このご時世では、仕事場で「ムダを省こう」という掛け声が掛かるところも多いだろう。節約だとか省エネだとかエコだとか言葉は様々だろうが、大きな目的の一つは支出の抑制だ。

先日ある会社で、仕事上の手続きに一手順増えることが決まったらしい。今まで曖昧だった点を改善し、書面で履歴を残すようにしたもののようだ。一手間増えると言っても、実際は後工程にあった手順が前に回されただけの話なのだが、その手順を行う部署が変わったので仕事が増えた箇所は当然ブーブー文句を言う。その文句の一つに出てくるのが「これって紙のムダだよね」である。

その手順を増やしたのは、その手順を増やすことでもっと大きな損失を未然に防ぐのが目的のようだ。年間10,000枚の紙を使っても、その手続きが無いために起こるかもしれないロスは10,000枚の紙の価格よりはるかに大きい。まぁ、その手続きにかける時間を計算したら少々疑問が残る効果額にはなるが、紙の価格だけで論じれば「ムダ」ではない。

こういうことを言う人は、ムダにかこつけて「やりたくない」とか「やる意味なんてない」ということをアピールしているだけだ。なぜ単刀直入に「これってやる意味ありますか?」と言わないのか。それは多分、本当にやる意味があるかどうかまで考えきれないからだろう。リスクを考慮し、そのリスクと見合う労力・コストであるかまで計算できない(したくない)から、目先の誰でもわかる話に置き換え自分の正当性を訴えるのだ。そんなこといっている奴に「オマエが一番ムダだ」と言ったらどんな顔をするのか見てみたい。

と、心の友が言っていた。それこそオマエがムダなのかもよ、と思ったが言葉にはしなかった。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2794

2010年03月11日

樹液に集まる虫に善悪はあるのか

[これでいいのか]あとで読む
NHKで、過払い金にまつわるトラブルの番組を見た。過払い金の回収が出来る事が知れ渡ってからこういったトラブルはよく聞こえてきたので、何をいまさらの感が強い。冷めた目で見ると、今までおいしい思いをしてきた消費者金融などがルール改正で不利になり、変わりに弁護士がおいしい蜜を舐められるようになったというだけにしか見えない。

そのおいしい蜜とて今までのように無尽蔵にあるわけではなく、高金利での債務がなくなるまでの話だ。せっせせっせと借主に蜜を運ばせていた元締めが、突然その蜜を置いたまま雷に打たれて死んだようなものだ。その余った蜜に集まる虫にはカブトムシもいればスズメバチやガの類もいる。カブトムシやクワガタはカッコいいのでもてはやされるが、蜜が吸いたくて集まっただけだ。そんな風にしか見えない。

弁護士を使うと金がかかるものだ。債務免除などの成功報酬は大体債務の3~5%は当たり前。100億の債務をうまく話をつけた場合、その報酬は3億以上だ。消費者金融の場合、そもそも債務がチャラになって過払いが戻ってきたとしても債務合計として400万程度だろう。その金額から言えば5%の20万が成功報酬、その他相談費用とかなんとかで50万円はガチンコの相場だろう。ただ、この金額が明示されていないことが多いのも事実で、今の弁護士は昔のすし屋みたいな状況だ。

それにしても、もともとは「借金をした」ことが始まりであり、その点を忘れてその後の不具合ばかりを話題にするのも如何なものかとは思う。甘い蜜に虫が群がるのは当たり前のことで、その虫の良し悪しはぱっと見た目には分からない。以前とある年配の弁護士から聞いた話では、地方の弁護士は未だに「倫理観」を重んじる人が多いらしいが、首都圏などではその「倫理観」を軽視する弁護士も増えているとのことである。ビジネスと割り切って損得勘定だけで動く弁護士だって多数いるはずで、そういう意味では、大々的に宣伝している弁護士事務所は債権処理を大きなビジネスチャンスとして捕らえていると見てもいいのかもしれない。ということは・・・

posted by oyajiman at 23:00:00 - 4 コメント - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2785

2010年02月26日

それでいいんですか黄門様

[これでいいのか]あとで読む
昨日、なんとなくTVを見ていたら水戸黄門の再放送が流れていた。黄門役は西村晃だったのだが、実を言うと西村晃での水戸黄門を見るのは初めてだった。弥七は今は亡き中谷一郎だったがお銀が出ていなかったのは残念だ。

という戯れ言はさておき、昨日のストーリーはこうである。

あるところに頑固だが腕の立つ櫛職人がいた。その職人には娘が二人いて、姉は取引先の問屋の若旦那に嫁ぐはずであったが職人の一番弟子と駆け落ちしてしまう。その後この職人はより一層頑固になって櫛の製作も滞りがちになる。そうこうしているうちに悪代官と極悪商人が結託して、利幅のでかい櫛の商売を奪い取ろうとする。それを黄門様が見事解決するという、まー、なんというか、超お決まりパターン。まぁそれはそれでよい。

問題は駆け落ちした姉と一番弟子の話だ。この夫婦を探し当てると、姉は心の病を患い一粒種の娘を残し既に他界していた。この弟子は娘を連れて親方に会いにいくのだが、親方は受け入れようとはしない。最後の切り札として出てきたのが、姉が今際の際に書いた父親に向けた手紙である。黄門様はこの手紙を妹に読ませるのだが、手紙では次々と驚くべき事実が白日の元にさらされていく。この姉は親方の実の娘ではなく、死んだ弟(弟子?だったかも)の子であること。この弟は母親が身ごもったときに他界したこと。哀れに思った職人がこの母親をめとって自分の子として育てたこと・・・などなど、そんな誰も知らないことを突然知らされた妹もビックリだ。

この手紙にはさらに驚くことが書かれてあった。それは駆け落ちの理由である。取引先の問屋の若旦那と縁談が決まったある日、姉は妹が若旦那に思いを寄せることを知る。姉は自分がいなくなれば妹の思いは遂げられると考え、一番弟子と駆け落ちしたと言うのである。なんということだ。一番弟子は当て馬だったのである。一番弟子はこのことを知っているのだろうか。もし知らなかったのであればまさに青天の霹靂だ。若旦那は姉に、妹は若旦那に、一番弟子は姉にそれぞれ思いを寄せていたということなのか?その状態で姉と一番弟子が消えても妹に幸せが来るとは限らない。事実、姉がいなくなってからも妹と若旦那の関係はまったく進んでいない。ああそれなのにそれなのに、そんなの今更暴露されても皆が困るだけだろう。全然一件落着じゃないよ黄門様。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2771

2010年02月17日

目先の利益

[これでいいのか]あとで読む
先日、家庭教師のセールスの電話がかかってきた。嫁が対応していたのだが、かなりしつこい。相手はとにかく何かを取り付けようと必死のようだ。しかし、残念ながらウチのガキンチョは今年受験である。試験まで数週間という家庭に「家庭教師いかがっスカ?」はないだろう。さらにはこの追い込みの時期に「お伺いさせて頂いて話だけでも」なんて営業トークをかけてきているようだ。バカかこいつは。

ノルマとかあるのかもしれないが、1分でも惜しいような心理状態の相手に対し「少し時間を・・・」なんて言う神経がわからない。こういう話をされた方は「ああ、こっちのことなんて全然考えていないんだ」と思うのは当たり前だ。これが普通の物販のセールスなどであればそれもアリかもしれんが、この電話は「家庭教師」である。家庭教師を雇う一番の理由は成績のアップであり、それは当然千差万別の子供の状態に合わせてカリキュラムなどを組めるのか否かのが大事なポイントとなる。この電話を聞くかぎりでは、この家庭教師の会社はこちらの都合など聞く気もないように感じてしまう。そんなところの家庭教師など信用できるわけはない。つまり、この会社はたった一本の電話で信頼感を大きく損ねてしまったのだ。

こういうのは目先の千円を拾って将来の数十万を捨てるおろかな行為だと言わざるを得ない。というかだな、実績を上げて「あそこの家庭教師はすごい」という評判を作れよな。

posted by oyajiman at 23:00:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2762

2009年11月23日

目先だけのリスクを回避するのは愚者の選択

[これでいいのか]あとで読む

古い話でアレだが、麻生総理時代に何かと話題に取り上げられたアニメの殿堂の建設が中止になった。これには利権がさほどからんでいなかったのだろう。だからさっさと中止にされたに違いない。ふとそう思った。

今年6月ごろに経済産業省の経済危機対策についての説明会に出たのだが、今年度予算についてはとにかく前倒しで進んでいたらしい。表面上は景気対策なのだろうが、麻生政権が倒れた場合を考えてさっさと使ってしまえということなんだろうなと感じていた。予算なんて年度で使ってしまえばいいのだから、後回しにしようが前倒しにしようが構わない。政権交代すれば突然凍結されるリスクが高くなるので、そのリスク回避にとにかく着手しておこうということだ。それも「景気対策」という隠れ蓑を作ってさっさと使う。さすが日本の官僚、目先を読む力はなかなか長けている。こういう金にはいろんなしがらみが絡み合っているんだろうなぁと思ったのは言うまでもない。

しかし、その対策は工事、箱物建設、補助金ばかりだ。企業に金を入れれば税金となって回収できる割合が増える、そういう思考回路なのかもしれん。一般人がそんな金のおこぼれに預かることはほとんどなく、喜ぶのはごく一部の人だけである。ああ無情。

SimCityでも税金を上げると市民が逃げていく。逆に税金を下げるとどんどん市民は増えていくが、あまり下げすぎると街の維持ができなくなってしまう。たかがゲームと言われればそれまでだが、意外に本質をついているのではないか。税金で景気対策も一つの手法かもしれないが、そんな対策が出来る金があるのであれば税金を下げたほうが景気がよくなるように思う。

posted by oyajiman at 23:23:00 - コメントなし - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2676

2009年11月22日

「褒めて伸ばす」は本当に有効なのか

[これでいいのか]あとで読む
先日「がんばることを賞賛する危うさ」というエントリをあげたが、元来が天邪鬼な俺は「褒めて伸ばす」というのもかねてから非常に疑問に思っている。

どんな事に対して褒められるかにもよるのだが、競争という要素を多く含んだものの場合、結果を褒められても意外にうれしくない。スポーツなどはその最たるもので、勝ったときは褒められるより一緒になって喜んでもらったほうがうれしいし、負けて悔しいのに「よくやった」と言いわれてもなんだかなーである。

成果とか結果が求められるものの場合は出来ることが最低限のハードルなので、変に褒められると「俺ってこの程度に見られていたんだ」となりかねない。結果だけを見ての言及は単なる成績発表と同じだ。成績発表などは変なコメントはつけずに結果だけの発表で十分なような気がする。

小さな子供は「みてみて」とよく言う。これは注目してほしいから言うのであって、褒めてほしいわけじゃない。認識して欲しいのだ。そのとき子供が欲しているのは表面上の褒め言葉ではなく、親の喜ぶ姿だ。一緒になって喜ぶことを「褒める」と言うのだろうか。このことは年齢を重ねても同じで、認めてもらえればうれしいと感じる人は多いだろう。

褒めるという言葉の中には、何かしらの上下関係が見え隠れしているように感じる。「(上司|先生|先輩|親)から褒められた」はすんなり耳に入るが、これが「(部下|生徒|後輩|子供)から褒められた」になると少々違和感を持つ人もいそうな気がするからだ。その違和感は上下関係を暗黙のうちに了解しているからだろう。

しかし、子供などが一番目を輝かす瞬間は「なにしてるの? お、すごいじゃん。」みたいな会話の時で、これは同じ目線で上下関係など無い対等な立場、もしくは相手を素直に認めて尊敬の念を持たないと出てこない言葉ではないかと思う。そういう意味では、言葉だけ丁寧な「褒め言葉」より、尊敬の念がにじみ出ている「けなし言葉」のほうがまだマシなのかも知れん。

いくら褒めても、言葉だけでは伝えることが出来ないことは多い。「あ、こいつ、『何か』を見つけたな」と思うとうれしくなるが、それとて相手が自分で気がつかなければどうしようもない。大きな川の向こう岸にいる人間に大声で川の渡り方を教えても、渡ってくる人間は向こう岸にいる人間なのだから。

posted by oyajiman at 23:00:00 - 2 コメント - No Trackbacks - [この記事のみ表示]
このエントリのTrackBack URL
http://www.oyajiman.net/oyaji/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2672
«Prev | Next»