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2008年07月06日

違う意味でも怖いんだが

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一人にならない。一人にさせない。(2005年)
TVCMを見ていると、結構不気味なものがあったりする。中でも公共広告機構(AC)は、いわゆる「怖いCM」が多いといえる。

YouTubeで公共広告機構に関する動画を検索

中でもストップ温暖化の2つは素敵な音楽でグッとくるものがあるよなぁ。

もうひとつ有名なものに「一人にならない。一人にさせない。」というCMがある。このCM自体もじわっとくるものがあるが、何よりこわいのは、「連れ去り事件の18%は誰かと一緒にいるときにおきている」ということだ。子供が一人でいるときに連れ去られる事が多いのはわかるが、連れ去り事件の約1/5は子供が一人ではないときに起きているとはどういうことなのだ。中には目と鼻の先で忽然といなくなったりしているケースもあるに違いない。

CMもさることながら、俺はこっちのほうがゾクゾクするぞ。



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2008年06月15日

宮城県沖地震ももうすぐかなぁ

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先日起こった平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震、いやー、揺れましたね。といいつつ、仙台市内はほぼ震度5強との観測ですが、俺はそれほど強いとは思わなかったのです。それは多分揺れがマイルドだったからでしょう。実際、仙台では物が落ちたり何かが倒れたりすることはあまりなかったようですね。だけど震源地付近はものすごい状況になっていますね。



揺れにマイルドもワイルドもあるかなんて言われそうですが、あるんですよ実際。下から突き上げられるような衝撃の時は発表される震度以上にいろんな被害が出ることが多いように思います。震源地に近いと突き上げるような揺れが来やすいですし、あの恐さは横揺れの比じゃないです。涙目確実。今回の地震は揺れ幅は大きかったのでしょうがほぼ横揺れで、倒れやすそうなものでさえ倒れませんでした。

それにしても今の震度ってピンとこないことが多いですね。今回の仙台市内の揺れは、改定前だったら4程度でしょう。震度5の十勝沖地震の方がものすごかったです。そのあたりは避けようのない恐怖というエントリにも書いていますが、俺だけでなく東北の人間は多くの大地震に遭遇しています。その分対応は比較的落ち着いていることが多いように感じます。関西方面の出身者はあまり地震の経験がないのでしょうか、ヤケに大騒ぎしたりする人が多いように感じます。出来ることなら慣れたくはないことですが、パニックになるよりはマシかもしれません。

今回の地震の震源は宮城県沖ではありませんでした。地震のメカニズムから考えるに、思ってもみなかった場所に比較的大きな応力がかかっており、そしてその応力に耐え切れずに断層が動いたということでしょう。この活動が宮城県沖地震の震源地とされる場所のパワーを逃す方向に働いたのか、力を分散させていた一部が壊れたのか、それともまったく影響はないのか、それは俺にはわかりません。ただ、経験上からいえば地震は比較的近い範囲で続いて起きるように思います。

ああ、またでかいの来るんだろうなぁ。恐い恐い。

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2008年06月07日

個人保証はやばいよなぁ

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nikaidou.com: 船場吉兆の話

有り得るなぁ。民事再生でも個人保証をうまくチャラに出来たりするみたいだけど、個人保証は追っかけるという債権者も多いだろうね。経営者に対する恨みつらみが大きいと過半数以上の債権者の同意が得られなくなったりするから、個人保証は触れないでおいて民事再生に持込み、現経営者には個人保証とともに消えてもらうってシナリオだったのかな?

まぁ、金額の大きい債権者は銀行で数が多いのは取引業者というのが一般的だろうから、銀行と取引業者に債権放棄を承認してもらえば民事再生は通ったんだろうけどね。廃業と同時に個人破産もするんだろうから、廃業とともにオーナーの借金はチャラなのかもね。だけどそうであれば民事再生とともに経営権を他に移し、同時に旧経営者は個人破産でもよかったようにも思う。企業の社会的責任を考えると廃業は一番最悪の選択といえるだろうに、取引先や社員のことをブン投げてまで廃業ってのはちょっと頂けないね。

(自分が)儲けるために食べ残しを使いまわさせたりする経営者だから、お客よりも取引先よりも社員よりも自分の金が大事なんだろうなぁ。

そう考えると、消えるべくして消える企業なんだろうね。

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2008年05月17日

時は金なり

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先日ある奴の仕事ぶりをぼんやりと眺めていた。そいつは俺の直属でははないし作業が早い方でもなく、どちらかといえば平均以下だ。回りからは比較的まじめな部類と思われているのだが、まじめな癖になぜか仕事は早くはない。

そいつの仕事ぶりを見ていると、ひとつのことを集中して行っていないように見える。何かの作業をしていても電話で呼び出されたり違う用事を言いつけられたりと割り込みが入ることも多いようである。これは致し方の無い面もあるが、このような外的要因以外にも作業中に突然メールを開いたり違う作業に取り掛かったりと、ひとつのことを集中してハイスピードで仕上げることが出来ないようなのである。

こういう奴に共通していることは、自分の能力の見極めと作業工程の割り振り、それにスケジュールのマージンの取り方がへたくそであるということだ。

考えないまじめな奴はある仕事を言いつけられたとき、自分が100%でこなして出来るであろう最短の納期を言ってしまう。たぶんそれは今まで出来たことがあるという成功体験が言わせるのだろうが、それはあくまでひとつの仕事にだけ集中できたペーペーのころの話だ。サッカーでもサイドが定位置の選手が突然中央にいくと、注意しなければならない視野の広さに戸惑ってしまう。同じように、一般的には職位が上がればあがるほど守備範囲は広くなる。守備範囲が広くなってもそれまでと同じように守備をするためには守備力を上げるしかない。具体的には作業のスピードアップと作業切替えのタイムラグの短縮だ。要は早くなるしかないのだ。

作業のスピードアップは、考えながら仕事をしていけば仕事量に比例して上がっていくものだ。「出来が悪ければ早くやっても意味が無い」などと言う馬鹿野郎もいるが、そもそも仕事なんて出来の悪い仕事をしたらやりなおしになるのは当り前だ。出来の悪い仕事は一番ひどいスピードダウンを招くことを知らないはずはない。つまり、一定の品質を保っていることは当然のことなので、「出来が悪ければ早くやっても意味が無い」などというセリフは仕事の遅い奴の言い訳にしか過ぎないのである。また、作業切替というのは実際は作業をしていない時間であるので、これは可能な限り削減しなくてはならない。

作業スピードを上げていくことは、コストダウンに全て繋がる。企業も、いままでの「金」という判断軸から「時間」という判断軸で経営判断するのも面白いのではと思う。工場なんかじゃ当り前だけどね。

もっと下世話な話にすれば、月収100万の人は月間200時間働いたとしても一時間当たり5000円の金を貰っている。この人は一時間に5000円以上の金を持ってこないと賃金を支払う方を赤字にしてしまう。実際にものを売ってみればわかるけど、一時間に5000円、一日に4万円のものを売るのは容易じゃない。普通の人が一日1万円なら売れると仮定した場合、この人は普通の人の4倍で動けばいいってことになる。

スピードアップは高い人件費を薄めるためだけのものではない。サイボーグ009の加速装置ではないけれど、回りより早く動くようになれるということはある意味タイムマシンを持ったのと同じようなことなのだ。だから重宝されるし金も生む。スピードアップというのはこういうことだ。時間以上に貴重なものなどないのだから。

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2008年05月16日

匿名実名再燃焼

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なにやら某弁護士がまたまた匿名実名で話題を作り出しているようですね。議論している人たちには非常に申し訳ないですが、斜め読みする俺にはまたもや重箱の隅を突っつきあうような議論の展開になり次第に面白味が失せていくという進みかたにしか見えません。もっとしっかり読めばいいのかも知れないけど、言葉の言い回しがくどすぎてじっくり読みたくなくなるんだよね。

しかし、その一方でさすが弁護士と思わせる一文も拝見致しました。それはダビング10 メーカーの頑固さ、なぜ?(5月10日付・読売社説)に対する「アナログ放送の方が録画は便利」ではないという印象が強まりかねない社説というエントリで、読売の社説を読んだ後に感じたもやもやを的確に正確にわかりやすく表現してくれています。このような表現を見てしまうと、なぜ匿名実名談義ではくどくてよくわからないものになってしまうのか疑問です。きっと、小倉弁護士の考えているレベルと俺の考えのレベルに相当な隔たりがあるからだと善意に解釈しておきます。

また、匿名実名談義では間違いなく名前があがるであろうネットイナゴの名付け親であるあの池田信夫氏が、コメントなどに対し一時期ドクターストップがかかるほどのストレスを感じていたと知ったことは少々驚きでした。傍目には「池田氏の反応は過敏過ぎる」と思っていたのですが、さまざまなコメントにまできちんと反応していた結果なのかもしれません。自分でもさらっと流してもらえるだろうと思っていたエントリにネガコメが付いたりして、池田氏が味わったかもしれないストレスの数%は味わえたような気はします。

さらに「世間」の空気を恐れる古い脳 - 池田信夫 blogは、この匿名実名談義の結論と言っても過言では無いように感じます。人のサイトに来て反論先も明確にせずにどうしようもないことを書いていくことは、まさに人の家の塀に立小便したり壁に落書きしたりすることと同義と言ってもいいでしょう。そんな行為は本当は恥ずべきことであり、恥の文化を持つはずの日本人は後ろめたさを感じる人も多いはずなのです。しかし、出る杭を打ち人の足を引っ張ることのほうが一般的になってしまったのは、日本人が持つ元来の悲しい性なのかもしれません。

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2008年05月14日

裏サイトを書く側書かれる側

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学校裏サイトについては、つい先日も学校裏サイトが荒れるもうひとつの原因なんてエントリを上げていますが、なんだかまた気になる記事があったので記録。

どうする,“学校裏サイト”:増岡直二郎の「企業とシステムを救う ユーザーからの提言」:ITpro

そもそもこういう評論や新聞記事では、なぜか学校裏サイトを作ろうという動機についてはほとんどかかれていません。なぜこのようなサイトが増殖したのか、根本的な理由についても調べる必要があるでしょう。

この記事によると、学校裏サイト38000件超とのこと。Wikipediaによると日本の学校数は小学校23123校、中学校11035校、高等学校5418校の39579校となっており、上記38000件を信用するならばほぼ全ての学校の裏サイトがあってもおかしくないと推測されます。

また、生徒数は小学校約720万人、中学校約363万人、高等学校361万人の述べ1444万人となっています。となれば年齢別・地域別インターネット利用率のデータを参考にした場合、小学生の70%程度の500万人、中・高学生の90%の660万人、合計1160万人程度が直接これら学校裏サイトを目にする可能性があると推測されます。潜在ユーザが1160万人もいるのにあまり表面に出てきていないような気がしますが、どうなんでしょうね。

さらに気になる部分は、有害広告が張られているというところ。

最初は生徒や卒業生などが作ったものなのかもしれませんが、そのうち広告収入や少々アブナイサイトへの誘導を目的とした輩が作り始めた可能性は否めません。怪しげな商材を販売しているサイトの文面やデザインなどが似通っているように、学校裏サイトも広告収入や怪しげなサイトへの誘導を織り込んだ作成用ツール・手引が闇で販売されているような気がします。つまり裏サイト設立自体が商売になっている可能性がありそうです。また、サイト設立の目的が広告などからの収入であるとすれば運営者はアクセスが増えれば良いだけですから、できるだけ過激で注目を浴びるような内容が好ましいのは当然です。

学校裏サイトは、既に裏ビジネスの一部に組み込まれている可能性は高いように思います。学校裏サイトがどのような理由で発生してきたのかは根本的な原因として把握しておく必要はありますが、既に誰が悪いとか何が原因だとか言っても無駄な状態に入っているような感じがしますけれども、どうでしょう。

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2008年05月08日

R2-D2 DVDプロジェクターすごすぎ

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R2-D2 DVDプロジェクター

以前もどこかで目にした記憶があるこのプロジェクター。いや、ここまで素敵とは思いもしませんでした。



ほ、ほしい。これでStarWars見たら笑えるかも。


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2008年05月07日

「ブログ」はもうオワタのか

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J-CASTニュース : 読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか 井上トシユキさんに聞く(上)

J-CASTニュース :ブログは基本スキルが学べる だからチャレンジしてほしい 井上トシユキさんに聞く(下)

「一億総ブロガー」などと言われ、誰もが日記感覚で書く空前のブームが起きている中
という出だしでまずびっくりした。ブログは今後どうなるのかとかブログブームの終わり?(その1その2)なんて話題は、俺でさえ3年ほど前にエントリをアップしているくらいの古い話題だと感じる。

ブログがつまらないのは今に始まったことじゃない。ブログが注目されだしたのは2003年ころからだったと記憶しているが、そもそもそのころブログは今みたいにお手軽なものじゃなかった。ある程度技術に明るくないとツールのインストールとサーバの設定さえ出来なかったはずだ。だから最初に手を出したのもそれなりに技術に明るい人だったはず。ただ、MovableTypeが流行ったのと、無料ブログサイトが出来たおかげで一気に広まっただけだ。

多少なりとも技術的に明るい人の割合が高かったせいか、創成期のころはブログノウハウとかもたくさんあった。また注目ブログは雑誌などのオールドメディアにも取り上げられたりしていた。ブログ総数が少なかったため面白いと思えるブログの割合は高かったようには感じる。だが、面白いブログの絶対数は今のほうが多いように思う。

さらにはブログはサイト単位からエントリ単位へ分割されつつある。以前はBlogPeopleのようなブログ単位でのリンクサービスが流行っていたが、今ではご承知のとおりエントリ単位のブックマークのほうが盛んだ。ブログはエントリというパーツに分解され再構築されていると言ってもいいかもしれない。このまま行けば、日本という巨大なブログができあがるかも知れん。

野球とベースボールが似て非なるものであるように、日本のブログとアメリカのブログを比較しても意味が無いように思う。独自に変化してきた日本のブログとアメリカのブログを同軸で比較すること自体がナンセンスと言える。さらに言えばブログの総数では日本が世界最大であり、そうであれば中身がダメダメでも日本が世界標準と言えなくもない。多数がダメダメ仕様であれば悪貨が良貨を駆逐してしまう可能性は否定できない。しかし悪貨と思われているものが本当に悪貨なのか、それはまだ誰にもわからないだろうな。

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2008年05月05日

風神雷神2で死亡事故(昨年の今日)

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5日午後0時50分ごろ、大阪府吹田市千里万博公園の遊園地「エキスポランド」で、ジェットコースター「風神雷神(ふうじんらいじん)2」(6両編成)が脱線し、2両目にいた女性客が車両とレール左側の手すりに挟まれて死亡、他の乗客19人が重軽傷を負った。大阪府警は、車軸の一部が折れて車輪が脱落し、車両が左側に傾いたとみて、業務上過失致死傷の疑いで吹田署に捜査本部を設置し、6日にもエキスポランド社(山田三郎社長)など数カ所を家宅捜索する方針。

 国土交通省によると、運行中のジェットコースターの乗客死亡事故は国内初とみられるという。エキスポランドは、6日の全面営業停止を決めた。

 捜査本部の調べでは、亡くなったのは滋賀県東近江市の会社員小河原良乃(こがわら・よしの)さん(19)。2両目の左前列に乗車し、傾いた車両と点検用通路の手すり(高さ1.1メートル)の間に頭部を挟まれ、即死状態だったという。


今年は大丈夫だといいね...
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2008年05月03日

文章の意味は読んだ人の捕らえ方で決まる

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先日の続かないブログを見分ける方法には興味をそそるコメント・はてブコメントが付きました。軽く受け流すような話のつもりが想定外の反響に少々驚いています。

アクセスログを見る限り、ネガティブなコメントをされた方はそれ以降アクセスされていないようです。旅の恥はかき捨て気分で便所の壁に落書きしていったのかもしれません。ただ、ほとんどの方は「ふーん・・・」みたいに素通りしてくれていますからたった数件のことを気にすることはないのでしょうが、気の弱い人は夜も眠れなくなるかも知れません。たった2000/日アクセスくらいでこれですから、数万アクセス/日のところなどは大変でしょうね(ex.池田センセなど)。

今回の件では文章を書く難しさを改めて認識させられました。ある程度想定内の反応はまだしも、まったく予想外の読まれかたをされたりすると一瞬どきっとします。パソ通のころからネットワークを使いはじめて20年以上経っていますから頭では文章でのコミュニケーションの難しさを理解しているつもりですが、当事者になると当事者経験の少なさが露呈してしまいます。

文章の捕らえ方は読んだ人によって違います。濃い味が好みの人に薄味のとてもおいしい料理を出しても好まれないのと同じです。もっと言えば、文章を読んだときの感想は自分を映し出す鏡といってもいいでしょう。何故自分がそんな感想を持ったのか、紐解いてみるのも面白いものです。自分でも気がついていない自分自身の深層心理に出会えるかもしれません。

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2008年05月01日

ブログ更新はmustじゃない

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どっちかといったら少々ネタ無し状況でかなりテキトーに書いたつもりの続かないブログを見分ける方法というエントリだが、不思議にはてブも憑いた付いたしGIGAZINEのヘッドラインニュースや他のニュースサイトにも取り上げられてサーバと回線がとんでもないことになってしまい涙目の俺。ついでだからもう少し書いておこう。

俺の書きたいことはタイトルが全てなんだが、ブログなんてものは気分が乗ったときに書けばいいもので書かなきゃならないものじゃない。ブログを始めたころは書くネタがたくさんあって当たり前だ。そもそも書いて誰かに読んでもらいたいものがあるから自発的にブログをやってみようかという気になる。だけど実際に書いてみると、自分の書きたかったことは思ったより少ないことに気がつく人も多いはずだ。このあたりはかなり前に実体験から見た放置ブログに関する雑感なんてエントリにも同じようなことを書いているが、今でもブログ開設から死亡までは大体そんな流れじゃないかと思う。ブログ死亡に至る主な要因はほぼ例外なく「意欲減退」だろう。俗に言う「燃え尽き症候群」が表現とすれば近いかもしれない。

リアル社会でもそうだが、楽しく感じるうちはハードワークもハードワークに感じない。ハードワークからストレスを感じるようになってくると次第に楽しさが消えうせるのだが、楽しくないくせに楽しくハードワークをしていたころを思い出し「まだまだ出来る」などと自分を追い込んでいってしまう。だけど、個人のブログの更新は義務じゃないし、かなり人気のあるところじゃないと更新の催促なんてまずこない。

そもそも、金をもらって請け負った仕事以外でしなければならない(must)ことなんてほとんどないはずだ。学校に行って死にたくなるくらいなら休めばいいし、更には仕事だって「絶対にしなければならない」というのは思ったより少なく、途中でほっぽり投げたってほかの誰かがやってしまうだろう。

目標を持つのはいいけれど、自分が決めた目標で自分をどんどん追い詰めていく人が多いのは摩訶不思議だ。目標を達成できないことで嘆き悲しみ自分を卑下するより、自分のポテンシャルを越えた目標を立ててしまった判断の甘さを再認識して再度目標の立てなおしや対応策を考えればいいだけではないのか。まじめな「書けない宣言」からは自分で自分の首を絞めていく様が読み取れて結構イタい。「書けない宣言」をする人には自分を追い詰め折れてしまう傾向が強いように思う。たかがブログなんかで自分を追い詰める必要なんて全くないのに、なぜそこまで気合いを入れるのだろう。もっと気楽に行こうよ。

つか、ブログ更新に行き詰ったけどどうしても更新したいのなら@nifty:デイリーポータルZ:ブログ更新ジェネレーターでも使ってとりあえず更新しとけばいいんじゃないかと思うのだが、どうかな?

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2008年04月29日

本当は恐い「テキトーにやっとけ」

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「適当」というと、なんだかあまりよろしくないイメージが強いような気がする。「あんなのテキトーにやっとけ」とか、「あれ、テキトーなんだよね」とか、手を抜いていい加減にやってるように聞こえるのはそのせいだろう。だが、適当にはもうひとつ「ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。」という意味がある。もうひとつの意味は、当然「その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。」である。

さて、ここで適当という言葉の意味はさておき、仕事などで「適当にやっとけ」と言われることがあるが、このときの適当という言葉の意味は非常に難しい。なぜ難しいのかというと、上に書いた2つの意味をどちらも含んでいるからだ。つまり、「完全でなくても良いから早くやれ。」という意味と「それなりにまともな結果を出せよ」という意味を含んでいるといって良い。

逆に言えば「適当=いい加減」と解釈してしまえば「テキトーにやってんじゃねぇよ」と怒られ、ちょっと丁寧にやっていると「そんなにきちんとじゃなくて良いからさっさとやれこのスカタン」といわれてしまうのである。ああ、なんたるちあ。

つまり、「適当にやっとけ」という指示を適切にこなすためには、非のうちどころのない完全な状態を理解しつつ、かつそこからどこまで省力化簡素化できるのかを見極めた上でこなさければならないのである。つまり、さまざまなことを相対的に判断して、一番コストが低い状態を判断できる人でないと「適正な適当状態」に落とし込めないのだ。だから「適当にやっとけ」なんて指示は、ものすごく仕事ができる人以外に出してはならない指示なのである。

「適当」の結果はその人の力量が出てしまう。テキトーテキトーと言いつつ、本当は「テキトーにやっとけ」がいちばん恐い指示だと理解するべきだと思う。

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2008年04月24日

人間の身体は水で出来ている

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最近体調が非常に悪い。病院にも何度か行って検査もしたが、特段悪い所はない。だけど肩こりがとんでもなくひどくて頭痛まで誘発し、さらには視力まで落ちてくる始末。肩こり解消のための内服薬を処方してもらい服用しているが、全く回復の気配さえなかった。

この肩こりの原因は、多分運動不足だ。動かないからダメなのだ。判ってはいるのだが、なにせ症状がひどくてやる気さえ起きない。何をするのも億劫であるから身体を動かす気さえ起きないのである。

こういう時は何をしても無駄だと観念し、とりあえず身体を休めてよく寝ることにした。仕事も適当にやめて早めに帰宅し、あったかい風呂に入って飯を食い大好きなQuake4もそこそこに床につく。そんな日を半月ほど過ごしているうちに、なんとなくだが体調がよくなってきた感じがする。すると不思議なもので、やる気も少し出てくるのだ。

そのやる気はCoD2などには向けず、とりあえず身体を動かすことにした。エンジンなども、長距離を走ればエンジン内部のカーボンが燃焼し、潤滑油がよく回ることでエンジン内部の汚れも落ちて調子がよくなることが多い。人間も同じで、血とリンパを良く循環させることで生体フィルタによって体内の汚れが落ち、調子がよくなってくるのではないかと考えた。

早速家にあるラテラル・サイ・トレーナーもどきを久々に使う。この器具、久々にやると最初の5分は結構キツイ。しかし心拍数が上がった状態で安定するといくらやってもそんなに疲れず、なんだかツマンナイので放置したままだった。その器具を使って、循環器の動きを強めてみることにしたのだ。

血液は心臓が送り出すが、リンパ液の主ポンプは「足の筋肉」らしい。ということは、足の筋肉を収縮させて心拍数も高めに保てば体液は良く循環するだろう。とりあえずは20分程度を目安に踏みまくる。ゆっくり踏んでいては足にも心臓にもさほど負荷がかからないので少々早めのリズムで踏む。すると10分を過ぎたあたりからじんわりと汗が出てくる。20分くらいやると踏んだ回数も優に1200回は超える。二歩で一回のカウントなので、歩数にすれば2400歩くらいはある。一歩60cmとしても1.5km近くは移動したのと同じくらいと思っていいのかもしれない。

数日間続けるとかなり体調がよくなってきた。やはり人間の身体は水で出来ているのだ。この体内の水を生体フィルタを透しながらたくさん循環させることが如何に重要なのか、改めて思い知らされた。

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2008年04月21日

判るけど話せない

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先日、我が家の猫が脱走した。脱走常習犯は一番でかい猫なのだが、今回は一番のチビが脱走した。普通であればすぐタイーホされるのだが、今回はなかなか捕まらない。ああだこうだしているうちに日が暮れてしまった。

あのチビがこれほどまでに帰ってこないのはまずありえない出来事だったのだが、探しても見つかるものでもないので放っておいた。嫁はよっぽど心配だったらしく、次の日の朝、ついに一番でかい脱走常習犯猫に「あのチビ連れて帰ってこーい!」と命令して外に出したのだそうだ。

そしたらホントに連れて帰ってきやがった

蛇の道は蛇じゃないけれど、猫が行きそうな所は猫がよく知っているのは有り得る話だが、本当に連れて帰ってくるとは驚くやら感心するやら。

俺は昔から「動物は人間の言葉が判っているだろう」と思っている。俺は言葉を喋れなかった頃の記憶が少しある。言葉を喋れない時は母親に言われたことはほとんど理解しているのだが、こちらの事は喋れないので伝えられない。何をいわれているのかは判っていて、答える言葉は頭に浮かぶのだがうまく発声できないのだ。

猫とかは、たまに喋るように鳴くときがある。あれはもしかしたら喋れない頃の幼児のように、俺たちに向かって何か喋っているつもりなのかもしれない。そして、多分こっちの喋っていることはかなり理解しているんじゃないかと思う。

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2008年04月17日

アメリカで銃乱射 32人死亡[昨年の今日]

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16日午前(日本時間同日夜)米バージニア州ブラックスバーグにあるバージニア工科大学2カ所で韓国出身の同大学4年チョ・スンヒが銃乱射。32人が死亡、15人が負傷し、病院に運ばれた。

長崎伊藤一長市長が指定暴力団山口組系「水心会」の会長代行 城尾哲に銃撃され、死亡する。


この事件からもう一年が経ったんだね。つか、ほとんど記憶から消されてたよ。
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