Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
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2013年12月03日

公共交通機関って安いよね 

[うんちくん]
バイクに乗れなくなって既に1ヶ月が経った。つまんねー毎日だなーっ、とか思いながら、バイクに乗らないと出費も少ないのに気がつく。以前バイクのランニングコストを計算したことがあった。こんな感じ。
タイヤのコスト 60000円÷6000Km=10円
ガソリン 160円/L÷20Km=8円
オイル 10,000円÷5000Km=2円
チェーン 20,000円÷20000Km=1円
ブレーキパッド 10,000円÷10,000Km=1円
合計 22円
チェーンやタイヤなどはそれなりに持つので、直接的な出費はガソリン代だけかもしれん。だが、長い目で見るとこんなにかかるのだ。実際はこれに車両代もかかる。マシンの価格が100万円とした場合、車検代等を含めると10年で150万円ほどになるだろう。一年15万だ。年間走行距離を10000Kmとした場合、1Kmあたりは15円である。先の価格にこれを含めると、1Kmあたりのコストは37円となる。実際は10年で10万Kmも走れば各種パーツにもっと金が飛んで行くと思われるので、1Kmあたり40円くらいが妥当かもしれん。

で、比較的高いと言われている航空運賃だが、これは千歳-羽田で2万円くらいだ。千歳-羽田は距離にして800Km以上あるが、簡単に800Kmとした場合、1Kmあたりにすると25円である。かかる時間と労力を考えたらかなり安い。

車の場合は上記の消耗品コストでガソリン代が上がってタイヤの料金が下がるだろうから差引は左程変わらないだろう。車両代はピンきりだけど、車両価格200万としたら10年で車検・税金などで最低300万はかかる。こちらも年間走行距離を10000Kmとすれば1Kmあたり30円である。合計すると52円だ。タクシーは札幌の場合、初乗り650円/1.6Km、それ以降は260円/Km(実際は80円/309m)程度で少し高いが、それ以外の場合は車と比べてそんなに高いわけではない。車の場合、複数名で乗車すれば一人あたりにするとそこそこ安くなるが、現実的には3名以上の乗車でない場合はさほどお得なものでもないといえるだろう。高速バスなどはブッチ切りに安くて、例えば千歳空港-札幌の高速バスは45Kmで1000円なので22円/Km、仙台-東京は360Kmで3500円からあるのでこちらは10円/Kmくらいだ。なんという安さだ。

なんだかんだ言って運転は楽しいが、結構疲れるのも事実。公共交通機関には自分で運転しなくて良いという大きなメリットもある。老夫婦2人とかだったら車を持たずに公共交通機関を使ったほうが安全で快適かもしれんね。

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2013年09月10日

北海道はタイヤも高いぜ の 巻 

[うんちくん]
新しいタイヤを予約してきたのだが、その価格の高さに驚いた。前後で工賃含めて6万円ナリ。知人も「だいたいそのくらい」と言っていたので、北海道相場はこんなものなのかもしれん。これを仙台で入れたら、多分5万円程度で済むはずだ。需要量の差なのだろう。この差に勝手に屁理屈を付けて解明するとこんな感じ。

仙台でバイクに乗れる日 4月~11月(8ヶ月 35週 週末69日 243日)
北海道で乗れる日 5月~10月 (6ヶ月 26週 週末52日 182日)

このように、まずバイクに乗れる期間が大きく違う。しかしバイク屋も仕事なので、稼げる時期に稼ごうとすれば自ずと単価を上げるしかない。バイクに乗れる期間中の期待される一日あたりの来客数を仙台と北海道を同じと仮定した場合、単純比較しても243日÷182日=1.33と、3割くらい客単価をあげないと同じ売上は確保できないわけだ。

と言っても、北海道のバイク屋は冬の間、顧客のマシンを預かったり除雪機などの販売メンテもしているようなので、冬になったからといって開店休業状態ではない。その収入とかを考慮すると、仙台と北海道でのタイヤ価格が20%違うのもなんとなく納得できる。

ついでに俺の場合のバイク消耗品の1Km走行コストを計算してみるとこんな感じ。ライフが6000Kmのタイヤの場合ね。燃費は20Km、オイル交換は5000Kmに一回くらいにしておくか。

タイヤのコスト 60000円÷6000Km=10円
ガソリン 160円/L÷20Km=8円
オイル 10,000円÷5000Km=2円
チェーン 20,000円÷20000Km=1円
ブレーキパッド 10,000円÷10,000Km=1円
合計 22円

ななんと、1Kmあたり22円にもなってしまう。車の場合はタイヤのコストが下がってガソリンコストが上がるので、まぁ大体同じくらいだろう。一日300Km走ると6600円掛かってる計算になる。普通はガソリン代だけしかかからないから気が付きにくいが、実際はこんな感じなんだよね。

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2013年08月16日

エンジンの出力について 

[うんちくん]
なんだかエンジンの出力について書いてるサイトがあったので俺も書いてみる。

そのサイトでは「多気筒化が高出力のポイントで、多気筒化すれば部品の重量が減るから高回転に持っていける」みたいなことが書かれてあった。

エントリの主もわかりやすくするためにそういう書き方をしているとは思うのだが、それは現象面としては半分アタリだけど理論的には半分ハズレ。エンジンからより高い出力を得るためためには何をすればいいかというと、それは多気筒化でも高回転でもなくて、燃料を沢山燃やして出力に変えるってこと。要は一定時間あたりの相対的な排気量を増やすってことね。多気筒化とか高回転化ってのはそのためのソリューションでしかない。ターボとかスーパーチャージャーも理屈は同じで、同じ時間内に余計に燃料を突っ込んで(つまり充填効率をあげて)相対的な排気量を増やすのが目的なわけ。先の主張はこういう前提を全く認識していないように思えちゃうのが残念。

で、NAでそれを簡単に実現する方法は高回転型にしていっぱい燃料を燃やすことになる。2ストにするっていう手もあるけど、それはここでは割愛。じゃあどうやって高回転型にするかだけど、ピストンとシリンダーで動く内燃機関、所謂レシプロエンジンは、そのピストンスピードに上限があってそれより早くピストンを上下させると油膜が切れてエンジンが焼き付いてしまう。相対的な排気量を上げるにはその制限、つまり、ピストンスピードの上限を保ちつつエンジン回転数を上げなきゃならない。絶対的な排気量はピストンの面積×ストローク×気筒数で算出されるけれど、ピストンスピードという制限の中でどうやって相対的な排気量を増やすかという解はこの式の中にあるんだよね。ピストンスピードはストローク量に比例するので、ストロークを小さくすれば同じ排気量でもピストンスピードの上限に到達しないエンジンになるって寸法。だから高回転型エンジンはショートストロークなんだよね。

多気筒について言えば、これもショートストロークを実現するための方法でしか無い。いや、他にも理由はあるけど、まあいいだろ。簡単な例で言うと、最近ホンダから発売され400ccツインのCBR400Rはボアストロークが67.5x56.6の2気筒だけど、これを4気筒にして67.5x28.3にしたら同じ回転数でのピストンスピードは半分になるわけ。そのぶんピストンスピードに余裕が出るから、より高回転に作れて高出力にもしやすいんだな。といっても余りにショートストロークにすると今度はトルクが落ちてしまう。パワーはトルクx回転数なので、トルクが落ち込むとパワーも落ちてしまう。メーカーはそのバランスを見極めながらエンジンを作っているわけだよ。

ついでにいうと、多気筒化するとパーツの軽量化が出来るってのも解釈としてはイマイチ怪しい。ピストンだけ考えても、例えばボアxストロークが100x100の単気筒エンジンと100x25の4気筒エンジンを比べた場合、4気筒のピストン1個を1気筒のピストンの1/4の重さで仕上げられるとは到底思えない。実際パーツ総量ではそんなに軽くならないんだよね。これはエンジンの重さを考えれば分かることで、同じ排気量なら気筒数が少ないほうがエンジンが軽い場合が多い。そりゃそうだ。部品数が少なくなるからね。実は多気筒化するメリットってのはパーツ合計の重量が減ることじゃなくて、1気筒あたりの重量が減ることなんだよね。重量が減ると慣性モーメントも減るので、より高回転にしやすいって寸法。重い重りを持ったら動きにくいでしょ?アレと同じね。あと、1気筒あたりの吸排気速度を低下させないための手段が多気筒化って理由もある。ちなみに軽量化すればいいってもんじゃないらしく、クランクマスを極端に落とすととっても扱いづらいエンジンになって、レースとかでは逆にタイムが落ちるらしい。まぁこれは絶対的なエンジン出力よりも出力特性に係る話だけどね。

理系のうんちくとして笑納頂ければこれ幸い。

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2013年01月23日

俺のフレンチの原価率は? 

[うんちくん]
先日TVで今話題の「俺のフレンチ」の番組があった。この店、一度は行ってみたいと思っている店なのだが、その収益構造がちょっと気になっていた。その収益構造を類推できるデータが先日の番組で出ていたので、ザクッと想定してみた。

まず一番気になるのは料理原価だ。一部の商品は一流レストランの1/10とか言っていたが、かなり限定された商品だろう。ネットとかで見ると大体相場の1/3程度らしい。ということは、60~70%程度だろう。で、番組では客回転が4回転で損益分岐点を上回ると言っていた。メニューとかをネットで調べると一品1,000円前後のようだ。ひとり3品+ドリンクとすれば、想定される客単価は4,000円くらい。TVで見た感じでは満席で30名程度だろう。ということは、損益分岐点売上高は概算で次のようになる。

満席での客数×回転数×客単価×日数
=30人×4回転×4,000円×30日
=1440万円

あの物件から想定する家賃は坪2万として40万円。人件費は料理長の年収を1,000万円弱とすれば月収は80万円程度、その他従業員はひとり30万円で6名くらいだろうから、総額では260万円。居抜きなので初期投資はそんなにかからないだろうが、とりあえず1,000万円弱と仮定すれば3年償却での月々の償却額は約30万円。まあ、他にもあるだろうけど、ここまでで固定費は330万円となる。

これらから俺のフレンチの限界利益率を算出すると次の通りとなる。

限界利益率=固定費/損益分岐点売上高
=330万円/1,440万円=22.9%

限界利益率=1-変動比率 なので、変動比率は77.1%となる。食材・飲料以外の変動費は10~15%で収まるだろうから想定される材料費率は62~67%となり、一般的な商品の相場価格から想定される原価率とほぼ同じになった。まーこんもんだろう。

つまり、この「俺のフレンチ」は特段不思議なことをしているわけではなく、誤解を承知で言えば「100円マック」と同じ販売手法だと言っていいかもしれん。ただ、値下げするならここまでやらないと爆発しないという顕著な例であることはたしかだ。

「俺のフレンチ」は、全商品がこのコンセプトで作られているから成り立っているのであって、普通の店は目玉商品で客引きするだけなので真似をしたくてもまずムリ。こういうコンセプトは意外とみんな思いついているのだけれど、恐ろしくて実行には移せない。それをある程度客単価が稼げる高級路線と、回転率と坪効率を高めるための立ち食いの組み合わせで実現したわけだ。やっぱりすごい経営者っているんだなぁと思う。

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2012年02月21日

過冷却現象を利用した冷凍技術 

[うんちくん]
とある雑誌をみていたら、面白い技術が載っていた。それは過冷却現象を利用した冷凍技術で、急速冷凍とかでも実現出来なかった細胞膜を破壊させないまま冷凍する技術らしい。

「CAS凍結」って何?

急速冷凍機の一種にアルコールを使った冷凍技術がある。通常の急速冷凍機は空気を使って温度を下げるが、これはマイナス30℃とかのアルコールを使って冷凍するもので、空気より比熱が高いためより速く冷凍できるらしい。これはかなり使えるかもと思っていたが、CAS冷凍はそのさらに上を行く感じだ。

このCAS冷凍、過冷却の状態を人工的に作り出して全ての水分を一気に結晶化させるというものだと理解したが、なるほどその方法だととても良い状態で凍るに違いない。この技術を使えば、たとえばレストラン等での料理の作りおき、それもかなり完成された状態での作りおきが可能になるかもしれん。調理人の作業量の平準化を図りながら、かつ仕入れ価格を睨んで生産することができるようになるかも・・・

ちょっと真面目に検討してみようかな。

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2012年01月29日

悪人の勝利はほんの一時しかない? 

[うんちくん]
タイトルは日めくりカレンダーにあった言葉だ。これは逆に言えば「正義は勝つ」みたいな話なんだろうが、それと少々違うのは、こちらは「悪人も勝つ」ということを明記している点だ。つまり、悪人も勝つんだが長続きしないと言っているわけだ。

さて、ここに様々な疑問が生じる。1つめは「世の中の善人と悪人の割合はどっちが多いのか」、2つめは「善人と悪人の勝率はそれぞれどのくらいか」、3つめは「一時」は時間的にはどのくらいの長さか」ということだ。このパラメータが揃わなければこの悪人が不利なのか有利なのかは全く判断できない。

まず1つめだが、笑い話に「世の中は悪の力が強すぎて、神様は教会などの限られた場所にしか出てこれない」というものがある。これを真に受けると世の中は圧倒的に悪人の方が多いと言えるだろう。その割合については、例えば教会や寺院の敷地面積から割り出すとかで算出可能だ。仙台市のデータだと法人業種別敷地面積の中で宗教法人が占める割合は12%程度のようだ。「宗教法人=神の現れる場所=善人の存在場所」というとんでもない仮定をした場合、善人の占める割合は12%程度と仮定できる。ここでは12%としておこう。

2つめの「善人と悪人の勝率」はちょっとよく判らない。ただ、水戸黄門とか、いわゆる勧善懲悪な物語は最初に悪人が勝って最後に善人にひっくり返されるのがほとんどだ。ということは、1勝1敗で完全に50%である。

ここまでくれば、3つめの「一時」の長さによってどちらが有利かは自ずと導き出される。悪人の勝利している時間が12%以上であれば悪人が有利、それ以下であれば善人が有利となるわけだ。

さて、この前提で考えた場合、何となくだが悪人の方が有利なような気がする。世の中は8:2とか7:3の法則が合致する場合が多い。善人悪人も同じようなものなのかもしれん。そう、世の中は2割か3割の悪人が牛耳っている、とかね。

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2011年10月10日

湯沸かしのお湯を使う方が効率的? 

[うんちくん]
先日の事。会社にある電気ポットのお湯がなくなっていたので水を足そうとしたら、とある女子社員が「お湯を沸かすときは湯沸かしのお湯を使った方が節約になりますよ」なんて言ってきた。まぁよく聞く話だ。

だけど、本当にそうなのか?

そもそもお湯を沸かすために必要な熱量は、ガスを使おうが電気で沸かそうが同じである。無論、気圧が違えばお湯を沸かすための熱量は変化するが、それは「沸点が変化する」からである。決して必要な熱量が変わるわけではない。まずこれが大前提。この辺で既に誤った認識をしている奴が多いような気がする。

では、なんで「お湯を沸かすときは湯沸かしのお湯を使った方が節約になります」みたいな話が出るかというと、お湯を沸かすときの熱効率が違うからという理由が一つだ。ガスコンロでお湯を沸かす場合、ガスコンロの熱が全て水に伝わる訳ではない。というか、その大部分は利用されず放出される。それに比べれば瞬間湯沸かし機の方が少ないガスの量で同じ温度まで温めることが出来る・・・という話なのである。

で、もう一つ話がぐちゃぐちゃになるのが、その熱源、簡単に言えばガスで沸かすのか、電気なのか、はたまた灯油や重油なのか・・・によってコストが大きく変わるということだ。大きなビルなどで重油が使われているのは同じ熱を作るのに重油が安いから。つまり、比較単位が熱量だけの場合は変数は「熱効率」だけになるが、比較単位を「金」に変えた場合は「熱効率」と「燃料単価」という二つの変数が絡んでくるのだ。もっと言うと、「燃料単価」についても一次エネルギーとそれを現在のエネルギーに加工するためコストに分けて話をするべきなのだが、そこまで突っ込んだ話はあまり聞かない。

この辺りを明確にせず「効率がいい」だの「節約になる」なんて話をしたり顔でするのはどうなんだろうと思う。それどころか「効率がいい」だの「節約になる」なんて言う奴の情報ソースがガス会社や電力会社だったりするんじゃなかろうか。そんな「我田引水」的な話を鵜呑みにしていいのかなぁ、と、つくづく思う。

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2011年06月25日

飲み物を頼むのはマナーですか? 

[うんちくん]
飲み物を頼むのはマナーですか?

一応飲食店関係に勤めているけど、そんなマナー聞いたことが無い。それもパスタ800円クラスの店で・・・

ホテルの高級レストランなどでは、その食事にあった飲み物を頼めるか否かでその客のレベルが判断できたりするのだけれど、そこでも飲み物を頼むのがマナーというわけではない。そんなもんだ。マナーだったら、全部「ドリンクセットでほげほげ」みたいな商品にしちゃえばいいだけじゃん。

それより俺は、パスタ800円~ソフトドリンク400円~アルコール500円~という値付けのほうが驚いた。高級店ではワインなどを頼む場合、その値段の目安は大体料理の半分くらいと言われている。それからいうとパスタが安いか飲み物が高い感じで、値付けのバランスが良くない印象を持ったのだ。ついでに薀蓄たれると、その店の商品価格は、一番数量が多く出る商品を基準に組み立てるのがベスト。コーヒーが一番出ている店なら、そのコーヒーの価格に対してその他の商品の価格を考えないとバランスがおかしくなる。これは以前に安売りはだめだっていっただろというエントリでも少し触れたが、たとえばコーヒーが400円でランチが680円なんて価格を見たら、多分「このコーヒー高っ!」か「ランチ安いね」とか思うだろう。もうここで商品価格のバランスがおかしくなっているわけ。意図してバランスを崩すのならいいが、グランドメニューがおかしなバランスになっている店も良く見かける。そういう店は大体流行っていないけどね。

話が大きくそれてきたのでこの辺でE.O.F.

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2011年05月17日

御しきい値 

[うんちくん]
先日TVを見ていたら、イタリアンのなんとかというシェフが出ていた。笑顔が素敵とか言われるこのシェフだが、見ていてどうしても気になる事があった。

それは「うどん」という言葉だ。

俺はこの「なにがし」という言い方がとても気になるのだ。俺自身がほとんどこの「御」という接頭語をつけないせいもあるのだろうが、そもそもこの接頭語、尊敬語や謙譲語・美化語を形成するためにつけるのであって、そういう使い方をしなければならない会話などそうそうあるものではない。また、これをつけたからといって言葉が柔らかくなったと感じることがないのである。逆に「おうどん」などという言い回しは聞いていて違和感ありすぎで、全く耳に馴染むことがない。

そうはいうものの、「御」がついても違和感がない言葉もあることは確かだ。「おそば」とか「おもち」と「おゆ」とかはさほどでもないのである。だが、「おうどん」とか「おなす」とか「お酢」とかには黒板を爪でひっかいた音を聞いたような感覚を受ける。

「お」を多用する人でも、「おブロッコリー」とか「おガソリン」とか言う人はまずいない。「お御飯」のような頭痛が痛くなる使い方をしている人もたまにはいるが、「お」を多用する人でも、その使用には何かかしらの「しきい値」が存在するのだろう。

俺が感じている違和感は、その「しきい値」の個人差が原因となって現れているのである。(ドヤ顔)

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2010年11月03日

見ず知らずの「何言ってんだコイツ」でもそれなりの礼節って大事じゃないかと思うんだ 

[うんちくん]
タイトルで全て。

ネット上とかで話がこじれる一つに「礼節を欠く」というのがあると思う。内容は「何だコイツ」でも、それについて言及する場合にはそれなりの礼節を持ってあたるほうが何かと有意義な話ができるのではなかろうか。感情的にこじれ「おまいのかーちゃんべべそ」的な不毛な話になっても時間と労力の無駄だ。

そもそも、どこの誰だか分からん人に「バカかお前」とか言われて気分のいい人はいない。リアルで面と向かって言えない事はネットでも慎むべきではないか。子供は面と向かって思ったことをすぐ口に出す。それは子供の特権でもあるし子供だから許されるということでもある。ネットでは年齢もわからないしその人の素性もわからない事の方が多い。そんな誰だかわからん人に対しては、特に気をつける必要があるのではなかろうか。

リアルで礼節をわきまえない人はそれなりの人でしかない。ネットでも礼節をわきまえないネット人格はそれなりの人格でしかないと思うしか無いのだろう。自分を取り繕えとまでは言わないが、話を聞いてほしくて何かを残すのであれば聞いてもらえるような姿勢というのは重要なことだと思うのだが、どうか。

と、何を言っても自分の持っているもの以上のことは出来ないのだけれどね。だから最終的にはネット人格とリアルの人格って同じレベルになっちゃうように思う。つまり、ネットで礼節を欠く人はリアルでもそういう人の可能性が高いんじゃないだろうか。

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2010年09月12日

プラス思考は洗脳に繋がるのではないか 

[うんちくん]
今日はクロヒバさんのコメントを読みながら、ふと思ったことを書いてみる。

世の中ではプラス思考だとかポジティブシンキングだとかがもてはやされていることが多い。確かになんでも悲観的に捕らえる人と話していると欝陶しいし、こっちまで気分が落ち込む場合もある。だが、このプラス思考とかポジティブシンキングとか(以下、プラス思考等 という)は、ある事象に対して自分が得するであろう一面を主に見ようという思考にほかならない。これの極端な例は「宗教やマルチ等の勧誘」ではないか。

目を輝かせ開いた瞳孔で熱く語るその姿は、客観的に見れば不気味でしかない。どんなに否定的な言葉を投げ掛けようとも、そのなかからほんの少しの輝きを見つけだし話を誘導する。そのある一面しか見ようとしない意識はプラス思考等(もちろんマイナス思考等も含む)の究極の姿にも見える。

ここでよく勘違いされるのが「明るい性格の人=プラス思考等の人」というステレオタイプである。明るい性格の人はプラス思考等に支配されているのではない。そのほとんどの人はたいてい「クヨクヨ思い悩まない」だけなのだ。そこにはプラスとかマイナスとかの価値基準はなく、さっさとNullデバイスに投げ込み無に帰しているだけなのである。

「マイナス思考だからクヨクヨ考えてしまう。だからプラス思考で行こう」なんてのもおかしい。そもそもプラス、マイナスという価値基準は誰が決めたものなのか。すこし考えれば、その価値基準は自分が決めたものであることに気がつくはずだ。いろいろ考えるのはかまわないが、そこに「やりたくない」とか「嫌だ」とか「きらいだ」という感情が入ればマイナス思考、「楽しい」とか「得する」とかの感情が入ればプラス思考になると極論してもいい。そんなプラスマイナスなんて、何の意味があるのか。

感情に左右されながら物事をみると判断を間違えやすい。詐欺に引っ掛かる人間がいなくならないのがいい例である。人間は感情の生き物であるから全ての感情を殺してしまうことはできない。しかし、感情を波立たせないようにしながら物事をみるように癖をつけると、今まで見えていなかった一面が見えたりする。そうすればより具体的に思考を広げることができるようになる。

話がどんどん逸れていったけれど、プラスとかマイナスとかポジティブとかネガティブとかにスタンスを振らず、あくまでも心を無にして広い視野で物事を見るほうがずっと大切だと思う。簡単に言っちゃうとNull&Wide思考だな。

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2010年08月15日

人と接するときに気をつけないと損をする7つのこと 

[うんちくん]
人と接していて、「こういう態度って損だよなー」と思うことがある。ほんの些細なことなのだが、その些細なことに気をつけるだけで印象ががらりと違ったものになる。そんなことをまとめてみた。

1、返事をしない
呼んでも返事が無いと、「無視された」と感じてしまいがち。本当に気がついていない場合もあるだろうが、そういう場合は相手も判るものだ。呼ばれたら返事くらいしようや。

2、挨拶をしない
返事と同じようなものだが、挨拶出来ない奴でまともな奴を見たことが無い。コミュニケーションの基本の基本なんだから、挨拶くらいしようや。それから、相手にわからないような挨拶はしないのと同じ。はっきりとした声で相手に向かって挨拶するべし。声が届かない場合は会釈が伝わりやすい。これも相手をきちんと見て行うべし。

3、物を奪うように取る
まるで取られた物を奪い返すように物を取っていく人がいる。そのような仕草は相手を拒否していたり不快に思っているときの表現のひとつなので、人から物を取るときはそのような感情を持たれないようにするべし。

4、人を押しのける
人混みで人を押しのけて行く人がいるが、人を手や腕で押しのけられる図々しさが理解できない。声もなにもかけずにグイグイ来る奴は、どんな育てられ方をしたのか親の顔が見てみたい気分になる。お前は自分が邪魔だと思ったら人を押しのけてよいと教わってきたのか?

5、口を尖らせる
カワイイ娘のアヒル口じゃないんだから、そう口を尖らせるな。というか、不満を簡単に顔に出す奴ってどうなの?我慢しまくるのもアレだが、子供じゃ無いんだからすぐに顔に出すなよな。顔に出したって誰も汲み取っちゃくれんよ。

6、舌打ちをする
口を尖らせるのと同じようなことだが、舌打ちはクセになってしまっていると無意識に出るので要注意。現代は優しい人ばかりで舌打ちごときで怒られることは少なくなったが、俺が小さい頃は鉄拳制裁のきっかけにもなったもんだ。気にする人はかなり気にするので要注意。

7、にらむ
目は口ほどにものをいうし、視線はなんとなく感じるもの。相手が見ていないと思っていても、他の誰かが見ていたりする。睨んだって不快感や憎しみが伝わるだけでなにも解決しないことを知っていれば、バカらしいから睨んだりしないのが賢者の選択ってもんだ。。

もっとあるだろうが、とりあえず思い付いたものだけ書いてみた。人の感情や本質は言葉の端端やちょっとした動作に現れてしまう。いくら気をつけていても「地」は隠せないもの。ただ、ずっと気をつけていればそれは次第に身についていくのもまた事実。ちょっとしたことで「なんだアイツ」と思われないようにしたほうがなにかとお得じゃないかと思うんだ。

と、死にかけた蝉が鳴いているような気がしたよ。



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2010年07月06日

物にも感情があるように思ってしまうのはなぜか 

[うんちくん]
先日メインマシン昇天かというエントリに、Isettaさんがこんなコメントをくれた。コメントを否定するような内容なんで申し訳ないが、どうしても薀蓄たれたくなった。Isettaさんが気分を害されませぬようお願い申し申し。そのコメントはこれ。
>今まで熱中していたものをほったらかしにして違うものに熱中すると、大体前のやつが機嫌を損ねたみたいな状態になる。

そうですよね、分かります。
私もそういうの、良くあります。
モノにも感情がある、ということなんですねぇ…。
こういうことってよくあるように感じるし、その時不思議と「物にも感情があるのかも」なんて思ってしまう。しかし、物には感情などないのである。

超理系の俺には「物に感情がある」なんてことは受け入れ難く、これはまさに水からの伝言と同じレベルの話にしか聞こえない。というか、そもそも「感情」は脳のような組織・機能を持たないものには存在しない。道端に転がっている石ころに感情があるかと聞いたら、かなりの人は「ない」と答えるだろう。それがなぜか多少複雑な構造を持った物などになると、その物に「感情」のような物を感じる人は少なくない。これはなぜか。

物に感情があるように思える時にはパターンがある。一つ目はその物が「使い込んでいる」か「大事なもの」であること。二つ目は可動部分があるか消耗される部分があることである。で、その「感情」であるが、それは「物の調子」を感情に置き換えて考えてしまう。物の調子が悪くなってくると、なぜか人は物が「怒・哀」のいずれかの感情を持ったように感じ、逆に調子がよければ「喜・楽」を感じてしまう。これは「老い」と「劣化」を同系列として感じているからに他ならない。自分で書いておいてアレだが、人が今まで熱中していたものをほったらかしにして違うものに熱中すると、大体前のやつが機嫌を損ねたみたいな状態になるのには、上記の事柄が見事に融合しあって印象に残っているだけなのである。

大切な物は大体こんなサイクルで壊れないようになっている。
物を大事にしている → その物は使い込まれていて少々古い → 大事なのでメンテナンスは十分に行っているし、よく使うので大きな不調はない → 不調になったらすぐ直す → 最初にもどる
で、熱中するものがこのサイクルの中に割り込んでくると
大事にしているがいじらなくなる → 使わなくなると軸受けなどのグリスが固まったり気にならなかった消耗部分の劣化が気になりだして一気に不調になる → 大事にしていたのに壊れるとは不届き千万 → かわいさ余って憎さ百倍キーッ
となってしまう。ムカつくせいかヤケに印象に残るのである。それだけでなく、その物から少し離れることによって「痘痕もえくぼ」だったものが痘痕にしか見えなくなるのだ。かくして、新しい彼女にお熱を上げている野郎に昔の彼女が擦り寄ってきてもウザいだけ、というような状況に陥るのである。例えが全然的確ではないがそんなものだ。もうそろそろダメだなと感じているから違うものに走るという深層心理も忘れちゃいけないかもしれん。

いずれにせよ、今まで熱中していたものをほったらかしにして違うものに熱中すると、大体前のやつが機嫌を損ねたみたいな状態になるのは必然であって偶然ではない。しかし、そこには感情などは一切存在せず、ただ単に物が不調になって当たり前のことを自分がしているだけなのだ。

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2010年05月15日

「の」のネストの他に注意すること 

[うんちくん]
「の」の三連発はよろしくないという記事にインスパイアされたので、俺が「の」以外に気をつけている点を書いてみる。

1、「だが」とか「であるが」などを多用しない
これらは、この言葉の前に書いた文章を否定するものなので、あまり使うとくどくなる。否定的な言い回しは文章にアクセントを与えるが、たまにあるからアクセントになるのだ。むろん、「だが」をネストする否定の否定など論外。
俺のバイクは安物だがそんなに古くはないが愛着があるが新しいバイクが欲しくない訳ではない。

2、句読点を多用しない
句読点は文章を切ってしまう。報告書などでやたらめったら句読点を打つ上司がいたが、ブツブツ文章が切られてしまうので何度か読み直さないと理解出来なかった。それだけでなく馬鹿っぽく見えるので要注意。世の中には頷きながら単語で区切って話すネーちゃんがいるが、まぁあれと同じだ。

3、むやみに改行しない
これは句読点と同じようなことだ。まとまった内容であればそのまま改行無しで書かれてあるほうが読みやすい。主旨が変わった段階で改行を入れると、読み手にも意図が伝わりやすいものだ。つか、話の噛み合わない奴って一文一文で全てが完結していて、話の前後に脈絡がない。一文一文改行しているのを見るとそれと同じような印象を受ける。要は思い付いたことをただ並べただけに見え、程度が知れそうでおそろしかー。

4、一文は短めに
短い文ばかりだと句読点多用や改行多用と同じような効果をもたらすのだが、あまりに長い文は読んでいる途中で前の意味を忘れてしまったりするし、その中でもまた「だが」とかで繋いでしまうとますます意味がわからなくなるのだが、そういう書き方をしたがる奴に限って理論派ぶっていたりするのが笑える。君の文章に誰も何も言って来ないのは君の文章がワケワカンナイからであって、決して君の理論のようなものに納得したり圧倒されたりしている訳ではないことを誰か教えてやれと声を大にして叫びたいが、教えてやっても「お前が理解できていないんだろ」と思われてキーッとなるだけなので誰も言わないだけだから注意しろ。

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2010年05月14日

目標予算と計画予算 

[うんちくん]
予算には「目標予算」と言われる、あくまで目標となる数値を取りまとめた予算と、ある程度確実性の高い数値を用いた「計画予算」がある。計画予算は資金繰りなどを考えるには絶対必要なもので、財務担当はこちらの予算を主に使う。営業方は黙っていても到達できるような数値を用いてしまっては縮小均衡スパイラルに入ってしまうので、あくまで目標となる数値を全面に押し出してくることが多い。

経営者が営業出身か管理出身かで、この予算の組み方にも自ずと違いが出てくる。営業出身はどうしても目標予算になりがちで、見る人が見ると「こんなの出来る訳ねーじゃん」と最初からやる気がなくなってしまったりする。逆に管理出身は確実な「計画予算」を好む傾向があるが、こちらはこちらで計画立案の段階で無理だ出来ないが先にたち、「このままだと潰れちまうじゃんか」みたいな計画が出来上がったりする。

すごく不思議なのは、ちょうどいい予算というか目標にもなるしきちんとやれば届きそうな予算というものにほとんどお目にかかったことがないことだ。というか、予算どおりに行った年などほんの数年しかない。これが自分たちの力の無さなのかというと、そんな事ではないような気がする。負のスパイラルに一度入ってしまうとなかなか抜け出せない。で、給料も上がんないしさーと愚痴がでる。

そのくせ、なぜか知らねどあることがヒットしクソ忙しくなると、その忙しさを継続できれば給料も上がる可能性が高いのに「クソ忙しくてやってらんね」と文句が出る。しかし、ヒマでお金を沢山もらえればいいかというとそれはそれで「もっと欲しい」となるに決まっている。

どうでもいいけど、予算とか計画とかは早く決めようよ。計画が陳腐だとしても、それは計画を作った人のレベルがそのまま反映されているだけなんだから。人を教育していかないと、いつまで経っても同じ事の繰り返し。練習しないでプロにはなれないんだよ。

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