Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
2011年06月13日
返す刀で反論できる人
[つれづれなるままに]
最近、会議とかでさんざん追求される場面に出くわすことが多くなった。幸いな事にその矛先はあまり俺には向かってこないのだが、やはり火の粉が飛んでくる時もある。そういうとき、なぜか俺は言葉に窮してしまう。
実は俺、頭に血が登るとガンガン言葉が出てくるのだが、感情的になって物事がこじれるのは本意ではないし平たく言うと面倒くさい。年を取ってそういう思いが強くなったし、何よりあまり熱くなったり腹がたったりしなくなってしまった。それは全てを適当に流しているからなのだが、肩に力を入れて視野を狭くしても何もよいことはなかったという経験則がそうさせている。だから全て70%くらいで抑えるようにクセがついてしまっているのだ。そんな調子なので意外に深く考えていなかったりするし、逆に細部までそれなりに考えてはいるのだが細かすぎて思い出せないとか説明しにくいとか、まぁそんな事が非常に多い。
だから、予期せぬ質問とかを投げかけられるとアウアウしてしまう。もともとそんなに記憶力が良い方では無いので、思い出すまでに時間がかかったり資料をあさらないと全く思い出せないことも度々だ。というか、覚えられないからPCとかの補助記憶装置を多様しているのだけれども。
そんな俺を尻目に、返す刀で適当な言葉を発せられる人もいるわけで、そういう人を見ていると「スゲー(棒読み)」とは思うが「羨ましいなぁ」とはあまり感じない。
こういうことは経験とか訓練とかである程度解消するんだろうとは思う。その場を取り繕う能力は無いよりあった方がいいだろうが、俺の意識の中には「適当な事は答えたくない」という思いが強い。また、答えに窮してもそんなに恥ずかしいとか思っていない。だからいつまで経っても答えに窮する場面に遭遇してしまうんだろう、と自己分析している。
posted by oyajiman at 2011年06月13日 23:00:00
コメント
自分も同じです。
不意の質問などに、答えられず、後になって、耕答えればよかったと、後悔することが多いです。
相手の質問に即座に切り返せる人って、うらやましいと思う毎日です。
自分の場合、人と話すことが少ないので、答えが出てこないだけだろうけど。
そうなんですよねー。後々考えると「こういうふうに答えればよかったのかなー。」とか、「なんで思いつかなかったんだろう。」とか、ホント多いです。
訓練すればどうにかなるんだろうなぁと思うのですが、やっぱり「真剣勝負」でないとなかなかダメっぽいです。
切り返しがうまい人は言葉尻を捕えてくることが多いので、変に切り替えすと相手の術中にはまることもよくあります。だから、答えないというのも非常に有効な対抗策であるのは確かなんですけど・・・
切り返されて答えに窮する人って何のために口を持っているんでしょうかねぇ。
こんな風に言ってしまえば「言葉尻を捕らえ」たことになっちまう。
それで話すことを拒否して、押し黙っちゃう。答えりゃ、相手の術中にはまるってな。
反論って事で、言葉尻を捕らえたと相手が思う。それで黙ってりゃぁ、結局話すなってことだな。
なるほど。こういう考えだと最後は「話さない」に収束するってことですな。
ちなみに「切り返されて答えに窮する人って何のために口を持っているんでしょうかねぇ。」については、食べるため、かな?
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不意の質問などに、答えられず、後になって、耕答えればよかったと、後悔することが多いです。
相手の質問に即座に切り返せる人って、うらやましいと思う毎日です。
自分の場合、人と話すことが少ないので、答えが出てこないだけだろうけど。