俺がどうしても受け入れられない恰好がある。それはこれだ。
腰パンはダメだ。アレがカッコいいとはどうしても思えないし、だらしねー恰好としか見えない。まぁ、これは流行りということで我慢しよう。もう廃れぎみだしね。だが、つま先を90°以上に開き膝を外に投げ出すガニ股歩行はどうしても受け付けない。見ただけで気分が悪くなるくらいなんだが、なんでここまで嫌いになるのか自分でもよく判っていない。その嫌いになる理由を考えてみた。
まず思うのは、あんな歩き方ではエネルギーが分散してしまい非効率的だということ。速く走るにはできる限り長い時間足を地面に付けて、前に進む力を地面に伝える必要がある。かかとから接地しつま先で蹴り出すまでの時間を長くすれば効率的に力を伝えられるのだ。この時つま先を開くとどうなるかというと、単位時間あたりの足の接地面積は増えるかもしれないが、進行方向に向かっての足の長さは足の長さに開いた角度のコサインを掛けた値になる。つまり、27cmの足も45°開けば進行方向に向かっては19cmの長さしかなくなるのである。ということは、つま先を開くと地面に接地させている時間も短くなるのだ。
逆につま先を開くと安定性は格段に上がる。歩き始めたばかりの子供の足をよく見てほしい。思い切りつま先を開いているはずだ。力士も同じで、安定性を確保するためにはつま先を開きガニ股にしてあらゆる方向からの力を受け止められるようにしておく方が良い。
つまり、ガニ股は「走る(歩く)能力が進化していない」ということなのではないのか。そうか、それだ。速く効率的に移動するという目的に対して、機能的に美しくないのだ。
同じように、実はバイクのアメリカンもちょっと理解できていない。つか、アレも生理的に受け付けない分野だ。俺の単純な思考回路は「乗り物=速い」で、技術的にも最先端がよりGoodと刷り込まれている。要はエンジンを積んだ乗り物は「レーサー」が究極の姿で、それに近いほど良い乗り物と刷り込まれているのである。そんな俺にとって風の抵抗は、スピードを妨げる最大の敵にしか見えない。それなのに、張り付け獄門のようなフォームで全身で風を受けているライダーを見る度「キミはなぜ帆になっているんだ?」と思うのである。それも、転倒などの非常事態には大変なことになるであろう装備で「風になりたい」ならぬ「帆になりたい」という神経は全く理解できないのである。
これもまた、究極の機能美であるレーサーからは対極にある姿だから美しく見えないに違いない。
ということでダメなんだなきっと。と屁理屈をこねてみた。反省はしていない。
体が大きくて、足の長い外人が、だぶだぶのズボンをラフにはいている姿だけ見て、自分の姿を見ずにまねしているんでしょう。日本人は、まだまだ比較的小さいですし、短足です。せめて、長く見せる工夫は怠りたくありません。
レーシングカーや軍艦、戦闘機などは、きっと早いとか強いとか、男心をくすぐる美しさがあるのでしょう。そういう意味からすると、「堂々さ」という機能を求めるとアメリカンなバイクになるのかもしれません。
ただし、がに股や肩を揺らして、必要以上の面積を専有して歩くのは、「堂々さ」というよりも、「霊長類的本能」なのでしょう。知能のある人間として洗練されているとは思えません。
おやじまんのこういう手のネタ、結構大好きです。次の選挙は出馬してください。
レーシングカーや軍艦、戦闘機などは、きっと早いとか強いとか、男心をくすぐる美しさがあるのでしょう。そういう意味からすると、「堂々さ」という機能を求めるとアメリカンなバイクになるのかもしれません。
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