Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2004年07月29日

祖母

[つれづれなるままに]
私の祖母に関する不思議な体験です。私の父方の祖母は、すでにこの世にいません。小さい頃、祖母には本当にかわいがってもらいました。私も祖母が大好きでした。

私が小学4年生の頃、私たちの家族は祖母と一緒に住むことになりました。私は祖母が大好きでしたので、一緒に暮らすことはとてもうれしいことでした。しかし、私の母と祖母は折り合いが悪く、一緒に暮らすことに抵抗があったようです。実際一緒に住むようになって、何度か母と祖母のいさかいがありました。祖母の件で、父と母の関係も悪くなっていきました。

あるとき、祖母は勤めの帰りに交通事故にあってしまいました。病院に駆けつけた時、祖母は意識はありましたが危険な状態でした。強く頭を打ったとのことで、頭にネットをつけベッドに横たわっていました。

幸いなことに一命は取り留めましたが、その後、しばらくの間、私は祖母に会うことはありませんでした。父も、事故の後は、一切祖母の話をしなくなりました。私は祖母のことがとても気になっていたのですが、祖母のことを口に出すことで父と母の間に不穏な空気が流れることを恐れ、祖母のことを聞くことは出来なかったのです。私は、もう祖母には会えないだろうと感じていました。

私が大学4年の頃です。その頃私はすでに実家を離れ一人暮らしをしていたのですが、祖母のことは心に引っかかったままでした。その年は例年になく寒い年で、いつも2~3時になると寒さで目がさめていました。布団の中に入っているのですが、体中が冷たくなっているのです。目がさめると、いつも誰かが玄関から入ってきたような感じがしていて、不思議に玄関のほうに目が行きました。

その年の暮れ、突然母から祖母が危篤だという連絡が入りました。慌てて帰省し、祖母のいる病院に行きました。祖母の頭には相変わらずネットがかけられおり、すでに意識不明となっていました。祖母の手を取ると、生きている人間とは思えないくらい冷たくなっていました。夜に味わった冷たさはこれだったのかと思いました。私は、しばらく祖母の手や腕を暖めてあげました。数日後、祖母は他界しました。

年が明けて、私は風邪をこじらせて寝込んでいました。熱も40度近く上がり、全く下がる気配もありません。正月なので病院もやっていません。市販の風邪薬を飲んで、寝ているしかありませんでした。

その日、私は夢をみました。私は、昔の上野駅のような大きな建物の中に、一人横になっていました。回りにはたくさんの人が歩いています。しかし、誰も話をしていませんでした。私はとても苦しかったので、「助けて」と何度も叫びましたが、誰も私の方を見ようともしません。それどころか私の存在さえ気がついていないようです。

夢の中の私は、どんどん意識が遠のいていきました。「ああ、もうだめだ・・・」そう思ったときです。私の額に冷たいものが当てられました。

「ああ、助かった…」そう思い目を開けると、そこには頭にネットをつけた祖母がいました。病院でみたそのままの姿です。祖母は私の額に濡れタオルをかけてくれていました。

「おばあちゃん!」私は声をかけましたが、祖母は何も答えてくれませんでした。黙ったままうつろな目で私をみて、そのまま人の流れの中に入っていきました。私は起きて追いかけようとしましたが、起き上がることができず、祖母の姿を見失ってしまいました。

そこで私は目を覚ましました。前の晩までの高熱は嘘のようにさがり、風邪はすっかり直っていました。

私はいまでも祖母が助けてくれたと信じていますし、たぶん私のそばには祖母がいると思っています。



ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2004年07月29日 20:12:04



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする