俺は「癒される」という言葉が嫌いだ。バカじゃないのとさえ思ってしまう。外的影響によって、人間が癒されるということはあり得ないからだ。
人間の感情は「脳」が司っている。脳が「Good」と感じる信号を生成すれば心地よくなり、「Bad」な信号を生成すれば不快となるのであって、外的要因が直接脳の中に入り込んでくるわけではない。
すこし話をわかりやすくするため、ペットを例にとって考えてみよう。
うちにも猫が2匹いるが、家族はみんなその猫たちから好かれていると思っている。それは多分当たっているのではないかと思いたいが、本当のところは誰にも判らない。「猫に好かれている」と思うのは、猫の行動やしぐさで「自分は猫に好かれている」と勝手に判断しているだけなのだ。その判断にしても、今までの自分の経験を元に「猫に好かれている」と判断しているだけで、その前提が正しいのかどうかさえ判らない。本当のところは猫にしか判らず、結局は自分が「猫に好かれている」と信じているだけに過ぎないのだ。
対人関係については、人間は言葉を使うので少々複雑になるが、根本的にはペットの場合と変わらない。ただ、人間の場合本心とは別の言葉を使うことも出来る。また、行動や表情、しぐさなども本心とは別の装いも出来る。その情報を受け取った人が判断することだけがその人にとっての真実で、情報を発信している側の意図は全く関係が無い。
つまり、「癒される」なんてことは実際は有り得ず、自分が自分を癒しているだけなのだ。ある情報が心地よくなれる情報であると自分で決め、その情報を受け取っているだけに過ぎない。脳が心地よくなれる信号を発することが出来る情報はどんなものなのか、自分が決めているのだ。
不幸思考回路の排除 その2へ続く