俺はバブルの頃、某ファーストフードで店長をしていた。その当事は地方都市でもバブルのあぶく銭で潤っていた奴らが多かったとみえ、時給が安いわりには仕事がきつい俺の店なんかは慢性的かつ深刻な人手不足だった。俺がお世話になった大学の学生寮も学生から敬遠され、入寮者は激減していた。
その頃俺の店で働いている奴は苦学生が多く、あいつらにはその人手不足の割を思い切り食わせてしまった。それでも奴らはあまり文句も言わず働いてくれた。いまでも本当に感謝している。
その頃、俺はアルバイトにこう言っていた。
こんな労働力不足が長く続くと、少ない人員でもできるよう企業がどんどん省力化を進めるのは当り前だろ?今の状態のまま進むんだったらそれもいいが、多分そのうち働きたくても働く場所がなくなっていくぞ。その時になって泣きついてきたってその時はもう遅い。今あれこれ選り好みしている連中はいつまでたってもいいとこ取りしか狙わないだろう。潰しのきかない人間の出来上がりだな。
お前らはうちみたいなきつい店でも十分働いているから、どういう状況になっても大丈夫だと思うよ。
自分に言い聞かせている面も多分にあったが、奇しくもバブル崩壊後はそれに近い状況になってしまったのはご承知のとおり。企業ではリストラが進み、学生寮もかなりの入寮者にまで戻り、ファーストフードのような専門知識の要らない職業は時給を下げても募集すればそこそこ応募が来るようにまでなった。ざまあみろって感じだ。まぁ、俺もいつ何が起こるかわからないけどな。
俺はあの苦しい時期をどうにか乗り切ってこれたことがひとつの自信にもなっているし、どんな困難がきてもどうにか乗り切っていけるのではないかと思うようになった。考えているだけでは何も起こらないのも身にしみた。苦労は買ってでもしろとはよく言ったものだと思う。望んでなった状況ではないが、いい経験になった。
誤解しないでいただきたいのだが、俺は別にニートが悪いとは思っていない。人手不足で苦しめられたので働かなくとも食っていける奴に対し嫉妬心は非常に強いが、そんな奴ダメだとは思ってはいない。ただ、ニートでも生きていける環境を感謝しなくちゃならないだろう。頼る者が自分ひとりであれば働かなくては食っていけない。もしニートでずっと生きていけるのであれば、それはそれでひとつの選択だろうと思う。
それでも、何か行動して自分自身の可能性を広げる必要はあると思うのだ、俺は。「と、日記には書いておこう」だけではもったいない。思っているだけならなおもったない。人間は一生で六畳一間分のうんこをするらしいが、俺はうんこ製造マシンにだけはならないよう気をつけているつもりだ。うんこ製造マシンの日も多いけどな。