なんともはやの沖縄「少女暴行事件」 2008/02/14 02:53  沖縄で起きた米兵による少女暴行事件は、なんともやりきれない。こういう事件があってはならないのはいうまでもないことで、産経の連載コラム「政論探求」13日付でも取り上げた。  この種の事件の論評はきわめて難しい。どう書いても、建前が先行してしまう。犯人の米兵が非道、悪辣で、被害者の中学3年、14歳の少女は気の毒であることこのうえもない。その貴重な人生に考えられうる最悪のキズを負ってしまったことを思えば、言葉もない。  といったことを前提として、「反米・反基地」勢力がこの事件によって、勢いづいていることを見逃せないという視点から、書いてみた。ご関心の向きは、関連記事に入れておくので、お読みいただきたい。  このコラムに対して、さまざまなコメントが寄せられた。少女が知らない米兵のバイクに乗ってしまったことは無念だ、といった趣旨の部分に対しては、同じ思いだという声がある一方で、なにやらこちらを「鬼畜」呼ばわりするコメントもあった。  ものかきである以上、反響が大きいほうがありがたいのは確かで、どう非難されようとかまわない。多様な言論があってこその民主主義だ。だから「反米」「反基地」の主張も、どうぞ、お好きなようにやってください、という以外にない。  事件が起きたのは10日夜、発表されたのは11日午前である。休刊日がはさまったので、新聞の第一報は12日夕刊になった。  当方の基本的な受け止め方はコラムをお読みいただくとして、書ききれなかったこと、その後、浮き彫りになってきたことについて、若干、触れておきたい。  一報を聞いたときにとっさに感じたのは、米兵が「強姦」で逮捕されたということへの疑問だ。なぜ「強姦致傷」ではないのか。  車の中での犯行だから、手足に打撲傷などを負っていてもなんら不思議ではない。全治何日間、あるいは何週間という発表がなかったのはなぜか。まったくケガをしていなかったのか。  それとも起訴の段階で「致傷」が加わるのか。そのあたりが素朴な疑問としてまず浮かんだ。  少女が米兵のバイクに乗った経緯も不確実である。読売は少女が「乗せて」と頼んだと報じている。米兵が3人連れの少女に声をかけ、なぜ、被害者の少女だけ家に送るとバイクに乗せることになったのか。  朝日によれば、米兵は「成人だと思った」と供述しているという。事件当時、少女はどういう服装をしていたのか。成人だと思ったというのが本当なら、化粧をしていたのか。  少女たち3人は、夜の8時半に沖縄市の繁華街で、アイスクリーム店から出てきたところを米兵から声をかけられ、5分ほど会話した、という報道もある。  米兵のやったことは言語道断で、仮に成人女性だったとしても許せないのだが、当時の状況が克明にされるにつれて、受け止め方に違うニュアンスが出てくるかもしれない。  その詳細な続報を待ちたい。