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2017年01月18日

善意による正義の代弁が一番厄介だ

[つれづれなるままに]
誰も何も言わないのだけれど、今までアメリカ大統領は4人暗殺されている。縁起でもない話かもしれんが、今のところトランプがアメリカを二分する大統領なのは間違いのないところ。報道とかを見ていると、どちらかと言えば支持しないとかでなく、拒否とか拒絶に近いように見える。つまり半分以上は敵なわけで、その中には危険な思想の持ち主がいないとは限らない。

確かにトランプ氏は言葉は乱暴だし品性も欠けるように見えなくもない。だが、俺はトランプを異常に嫌っている人たちこそイケスカナイ。金持ちや地位のある人間は多少締め付けがきつくなっても問題ないだろ?と言いたい。こういうイケスカナイ感じの人が、日本でもどんどん増えているように思う。自分の考えが正しいと信じ込み、押し付けてくる人たちだ。

もっと人間は距離を置くべきだと思うし、多様性も認めるべきだと思う。多少気分が悪いような事があっても、昔は情報が伝わりにくかったため知らないで済んだ。それが逆にある意味安定につながっていた部分もあるはずだ。「いいことだからみんなやるべき」という、善意の押しつけは極めて気持ち悪く、軋轢を生む原因になっている。その善意や正義感は反論しにくく、反論したら最後、魔女狩りのようなことをされかねない。そもそも「トランプハンターイ」としているアメリカ人は、直接的になにか不利益を被るのだろうか。俺にはそうは見えない。

以前、とあることでクレーム対応窓口になった事がある。厳しいクレームを付けてくる人は殆ど当事者ではなく、正義の味方気取りの人が多かった。当事者はじつはそんなに気にしていなかったりするのである。世の中そんなもんだと思う。善意による正義の代弁、それが一番厄介だ。このあたりは一部の熱心な新興宗教信者にも言えるのではなかろうか。疑問も感じずに信じきれるのは単なる脳天気なような気がするのだが・・・

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posted by oyajiman at 2017年01月18日 22:00:00



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