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2014年12月31日

見返りを期待して自分に投資するべきという愚

[つれづれなるままに]
自己啓発とかそういう類のものには、必ず「自分に投資しろ」みたいなことが書かれている。これを信じているやつは馬鹿じゃないのか?と思う。

損をするために投資する奴はいない。つまり、何かを得たくて投資する。ここでよく考えて欲しい。取得しておくと今後得になる絶対的なものってあるのか?

よく出てくるのが「英語」だろう。ただ、自動翻訳の時代はもうそこまで来ている。専門的なことならいざしらず、日常会話なら端末さえあれば問題なく出来るようになる日は近い。できるに越したことはないが、英語が喋れても常識が無いとか人間として癖があるやつは全く使えない。特に日本語がダメな奴は英語を喋らせてもおかしい奴が多い。そもそも英語を使って働く人間が何人いるのか。

個人的にはPCに金を掛けたお陰で仕事上の役に立ったことは多かった。ただ、これは好きだからこそ習得できたし投資も出来た。見返りを求めていないといったら嘘になるが、見返り<<<<<<楽しみだ。英語はもしかしたら俺の役に立つかもしれない。しかし嫌いなものを「投資だ」といってやり始めるには必要も興味も不足している。

自己投資が自己研鑚と同じ意味で扱われているのがそもそもおかしいのである。やるべきことは自己研鑚であり、それには明確な見返りなどない。それは好奇心と向上心が主体であるべきことだ。自分に投資して見返りを求めても、行き着く所は「億万長者」というアメリカンジョークでしかないような気がする。かなり昔に笠地蔵というエントリを上げたことがあるが、見返りを求めるばかりの人生に何か意味があるのか、と声を大にしていいたい。


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posted by oyajiman at 2014年12月31日 01:00:00



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