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2013年12月15日
「子供に教えてやる」という愚
[これでいいのか]
ものの本とかサイトの書き込みで、たまに「子供に教えてあげたい」とかいうのを見かけることがある。父として母として、何かを(というか自分の生きてきた証を)子供に伝えたいという気持ちはよく分かる。しかし、大人のほうが経験もあって知識も豊富というような、いわゆる「上から目線」で「子供に教えたい」というのが見え隠れするものにはどうしても賛同できない。
子供は大人にいろいろなことを気づかせてくれる。こっちが教えられることのほうが多いくらいだ。だから、そもそもの話として「教えてあげる」という事自体がおこがましい。また、自分の後ろ姿を見せるのはかまわないが、それを良しと思うかどうかは子供の勝手だ。
「教えてあげる」という意識には本人が気がついていないかもしれない裏がある。それは教えた後の結果に、なにかしら勝手な期待をしていることだ。「こうあってほしい」という押し付けが出てしまいやすいのである。過度な期待や自分の好みの強要、さらには自分が出来なかったことに対する後悔が「教えてあげる」という形になっていないか、よく考えた方がいいだろう。「教えてあげる」という内容が本当に子供のためなのか、それとも自分の満足のためなのか、胸に手を当てて考えるべきだと思う。
posted by oyajiman at 2013年12月15日 01:00:00
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