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2013年04月16日

面白いなーikedahayatoって

[だめだこりゃ]
先日、以前から気になっていた、やまもといちろう氏とイケダハヤト師の対談書き起こし「やまもといちろう ×イケダハヤトの #ブログ論争 書き起こし」を読んだ。結構面白かったが、文章から伝わってくるのは「役者の違い」で、はっきり言うと勝負になっていないなーということ。まぁ、あんなもんだろうね。

で、その対談のあとで、やまもといちろう氏が「【御礼】イケダハヤト師とのイベントにご来場くださいまして、ありがとうございました」というエントリを上げている。これは単に「ご来場ありがとうございました」という挨拶なのだが、そのエントリは
 ご協力いただきました徳力さん、講談社の皆さまがたや、イベントのお手伝いをボランティアしていただいた方々には改めて深く御礼申し上げますとともに、イケダ師には「いろんなことを言うのは構わないけど、挨拶ぐらいはしっかりしろ」という願いを伝えて参りたいと存じます。
という一文で結ばれている。

「そうなのかー、イケダハヤト師って挨拶できないんだー。やっぱりね。」と思った人は俺だけじゃないと思う。期待を裏切らないのがとても素敵だ。なんでそう思ったかって?それは顔写真をみた第一印象なんだよね。シャイで挨拶すると目をそらすタイプかなーと、直感的に思ったわけよ。で、普通は喋れないけどハマると突然一気に自己主張してきて、「あれ?こいつって実はこんなヤツだったのね・・・」と思わせるタイプじゃないかと。もしかしたら当たっていたのかもしれん。話したこともないからわからんけど。

その「やまもといちろう氏」の挨拶に、来場の挨拶もなかったイケダハヤト師がかみついた。
たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?
ま、挨拶なんて個人の自由ということにしておこうか。

昔、俺のいた会社で、「なんでオマエは挨拶を返さないんだ」と尋ねたら、「もうすでに一回挨拶しているから」と答えた奴がいたんだけど、そういう価値観の人もいる。価値観を押し付けられたように感じたときに反発するのはわからなくもない。だけど、その価値観を認める人を否定する必要はないし、否定する人を否定するのも意味が無い。どっちも価値観の押し付けだからね。イケダハヤト師の文章って、大体が価値観の押し付けだから反感をもたれてしまう。サンドバックWelcomeだから反感最高!なんだろうけど。


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posted by oyajiman at 2013年04月16日 23:00:00



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