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2012年09月19日

英語力は本当に必要なのか

[つれづれなるままに]
とある雑誌に「ヘッドハンティングされるには英語力は必須」みたいなことが書かれてあった。まーそうなんだろう。そうなんだろうけどちょっとまて。

日本人は顔色を伺って相手に合わせるのが大好きなので、日本国内にいながら外人が英語で話しかけて来たら英語で返そうとする。ちょっとまて。やってみればわかるが、無理して出来ない英語で話さなくても、日常のコミュニケーションくらいであれば身振り手振りでどうにかなったりする。

日本人は海外に行くと現地の簡単な言葉くらいは覚えておこうとするのに、なぜか外人は日本に来てもそれはそれは堂々と英語で話しかける。話しかけられた日本人は慌ててしまって「やっぱり英語が必要だ」なんて思い込んだりする。そして、なぜ日本にいながら英語で答えてやらなければならないのか、なんてことは考えない。日本に来たら日本語で話せこんちきしょーとは絶対に思わないのである。

というか、なぜ日本語をスタンダードな言葉の1つにしてしまおうと思わないのか不思議だ。少し前まで日本語を覚えようとする外国人は多かったはずだ。もっともっと経済力が上がれば、日本語は世界でもスタンダードな言葉になっていくだろう。そういう意志も持たず、英語がスタンダードだというのはハナから負けを認めているのと同じだ。

言語が変わればその言語によって行われる「思考」も変わってくる。今の日本があるのは日本語が大きな役割を果たしたのは間違いないだろう。だったら英語英語と騒ぐよりも、まずは日本語をもっともっと教育すべきではないのか。

今スマホとかで音声認識ができるようになってきている。このまま行くと、日常会話程度ならスマホサイズの何かで翻訳できるようになる日もそう遠くないだろう。自分の言葉として使えないというもどかしさは残るが、専属通訳を個人で持てるようになるのである。そんな時代にみんながさわぐほど英語力って本当に必要なんだろうか、と思う。


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posted by oyajiman at 2012年09月19日 01:00:00



コメント

kozy

こんばんは。
立場によって考え方や取り組み方も違いますので管理人の意見に反対するものではないですが、海外の文学やゲームなどがとても好きな私のような人間にとってはやはり英語を勉強するだけの価値はありますよね。

英語の文脈で理解出来るようになってくると、巷で言われているような「日本語=表現力豊、英語=シンプルだが表現力では劣る」というようなことはまるで幻想であることに気付きます。

ただ日本語は同音異義語が以上に多く、英語は類義語が多いくらいが違いでしょうか。

技術の進歩で他言語を気軽に受け入れられる素晴らしさが、他言語を勉強して自分の脳で深く理解出来る快感を打ち消すものでは決してないと思っています。

まぁ最近の変な英語強制偏重は確かに違和感ありますが(笑)楽天のような、楽天のような。
2012年09月19日 01:39:31

oyajiman

英語が苦手なのでついカッとなって書いた。反省はしていない。

みたいなエントリにコメントいただきありがとうございます。実は英語ペラペラだったら楽しいだろうなーと思っていたりするのはナイショです。
2012年09月21日 23:31:46

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