Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2011年12月05日

都合のいい「自主性を重んじる」という言葉

[つれづれなるままに]
最近、とりあえずやらせてみたら最初はイヤイヤな感じでも途中から面白がってやりはじめるという光景を何度か目にした。それまでは「自主性を重んじる」みたいな、言葉はいいが結局誰もやらないという風潮だったのに、である。

自主性を重んじるという言葉の裏には「やらせて責任なんて取りたくない」という意識が隠れている。だから誰も強制力を働かせないのである。

こんな硬直化した状況を打開するには、誰かが覚悟を決めて号令をかけ自分の力で最初の動き出しを作ってやらなければならない。もっと簡単にいえば、とりあえず最初は動くまで一緒にいて見ていてあげるだけで見違えるような動きをしだす場合が多い。

もっとも、それはそれなりの立場と権限を持った人間である必要があり、なおかつ人望があればなおよい。

自主性という言葉に隠されているのは、事なかれ主義や責任の放棄なのかもしれんな、と思った。

ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2011年12月05日 23:00:00



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする