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2011年12月03日

二日酔いから致死量について考える

[これでいいのか]
さぁ忘年会の季節がやってきた。俺にはほとんど関係のない話なのだが、それでも12月は酒を飲む機会が増える。

酒を飲むとたまにしか飲まないせいか、ついつい飲みすぎてしまう。だってうまいんだもの。で、頭のてっぺんまでとっぷりとアルコールに浸かってしまい次の日が大変になる。朝起きると息は酒臭く頭は割れるように痛い。吐き気が止まらず食欲も全くない。体が完全にアセトアルデヒドに負けてしまっている。

しかし、それも昼を過ぎてPM2:00辺りを回ると霧がはれるように一気に回復してしまうことがほとんどだ。これは俺の体のアセトアルデヒド処理能力が一定であり、その時間になると体内のアセトアルデヒド濃度がしきい値を下回るからなんだろうと勝手に解釈している。それにしても本当に一気に良くなるのは実に不思議だ。

この様に、人体は何事にもある程度の耐性を持っていて、その耐性は徐々に弱まるのではなく一定のしきい値を越えると一気に崩壊することが多いのだろうと推測する。致死量などはその最たる例で、その量を越えると生命活動が停止してしまう。想像するに、大体何でも突然パタンと行くではないかと思う。

放射線量も同じなのではなかろうか。ある一定量までは放射線を浴びてもそれを修復する能力の方が強い。その線量まではほとんど大丈夫なのではないだろうか。原発事故以来騒がれているのは「その線量がどのくらいなのか」とか「低線量でも長期間浴びたらどうなるのか、またその低線量とはどのくらいを指すのか」とかいう話ではなく、とにかく放射線は危険だからみたいな感情的な話で少々困ってしまう。今の放射線の話はDHMOの話に近いレベルにまで到達しているようにさえ感じるのだが、どうだろう。

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posted by oyajiman at 2011年12月03日 23:00:00



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