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2010年06月01日

信じることで馬鹿を見ても損はない

[つれづれなるままに]
先日、不祥事らしきことを始末する羽目になった。俺が狩り出されたのはその役職だからというのもあるが、俺よりも上の立場の者があたってしまうと情状酌量もへったくれもなくなってしまうからだろう。俺のボスが当たれば杓子定規に対応せざるを得なくなり、事は必要以上に大きくなってしまう。俺を緩衝材にすれば、俺のボスは「あいつが甘くて…」と上に報告出来るし、上も「まぁしょうがないな」と言って済ませられる、というわけだ。

その不祥事が事実であれば、情状酌量の余地はない。そいつは家庭もあり子供もいるが、そういうことを考えてもしょうがない。本気で家族のことを考えていたら不祥事など起こさないので、考える必要もない。とはいうものの、あまり楽しい仕事ではないことは事実だ。

決め手となる証拠は非常に乏しくなかなか口を割らなかったが、最後の最後で心が折れてしまったのか一部事実と認めた。そいつは「家族も子供もいるのに、みんなを路頭に迷わすことなどするわけない」と言っていた。俺はそいつを問い詰めながらも、家族や子供のことを口に出すなら最後まで突っ張ぱるんだろと思っていたのだが、そこまでタフではなかったようだ。

ただ、その認め方も誰かに入れ知恵されたような感じで、とりあえずそれなりの落としどころかも、みたいに思えてしまうのが少々怪しい。それでも入れ知恵してくれる味方がいるのであれば少しは救い様があるかもしれん。信じるものは馬鹿を見るのが世の常だから、あいつを信じてもまず無理だろうけどな。それでも信じなければ馬鹿も見れないんだよ。まぁ信じてみても損は無いよな。ダメだったら諦めればいいだけだしwww。



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posted by oyajiman at 2010年06月01日 23:00:00



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