このご時世では、仕事場で「ムダを省こう」という掛け声が掛かるところも多いだろう。節約だとか省エネだとかエコだとか言葉は様々だろうが、大きな目的の一つは支出の抑制だ。
先日ある会社で、仕事上の手続きに一手順増えることが決まったらしい。今まで曖昧だった点を改善し、書面で履歴を残すようにしたもののようだ。一手間増えると言っても、実際は後工程にあった手順が前に回されただけの話なのだが、その手順を行う部署が変わったので仕事が増えた箇所は当然ブーブー文句を言う。その文句の一つに出てくるのが「これって紙のムダだよね」である。
その手順を増やしたのは、その手順を増やすことでもっと大きな損失を未然に防ぐのが目的のようだ。年間10,000枚の紙を使っても、その手続きが無いために起こるかもしれないロスは10,000枚の紙の価格よりはるかに大きい。まぁ、その手続きにかける時間を計算したら少々疑問が残る効果額にはなるが、紙の価格だけで論じれば「ムダ」ではない。
こういうことを言う人は、ムダにかこつけて「やりたくない」とか「やる意味なんてない」ということをアピールしているだけだ。なぜ単刀直入に「これってやる意味ありますか?」と言わないのか。それは多分、本当にやる意味があるかどうかまで考えきれないからだろう。リスクを考慮し、そのリスクと見合う労力・コストであるかまで計算できない(したくない)から、目先の誰でもわかる話に置き換え自分の正当性を訴えるのだ。そんなこといっている奴に「オマエが一番ムダだ」と言ったらどんな顔をするのか見てみたい。
と、心の友が言っていた。それこそオマエがムダなのかもよ、と思ったが言葉にはしなかった。