先日とある大手新聞の投稿欄に、「孫にゲーム機を買い与えるのってどうなの?」みたいな投稿が載っていた。『ゲーム機を買い与えるとゲームにばかり熱中してしまう。昔はカルタやすごろくなのでみんなが一緒に遊んだのに、ゲーム機はたった一人でゲーム機だけを相手にしている。』みたいなことが書かれていたが、この意見は思考が偏っているようで気になった。
この投稿で出てきた昔のあぞびだって、つまるところはゲームである。それがひとりでやるものか数人揃わなければ出来ないものなのかの違いでしかない。また、そのゲームによって「健全なのも」と「不健全なもの」に勝手に仕分けしていないか、自分の思考パターンをよく見直して欲しいと思う。たとえば、数人で行うゲームで、すごろく的なものはあまり悪いイメージはもたれない。トランプも七並べ、ババ抜き、ダウトなどは和気藹々としたイメージをもたれるだろうが、多少「賭け」というイメージがあるポーカーやブラックジャックは先のゲームに比べれば眉をしかめる人も出てくるだろう。一方、同じカードゲームでも「花札」になると一気にイメージは悪くなり、カードが牌に変わった「麻雀」も悪いイメージをもたれやすい。トランプは良くて麻雀がダメな理由をきちんと説明できる人はいるのだろうか。
TVゲームにしても同じことが言える。家族で和気藹々と遊べることが売りになっているゲーム機でみんなで遊んでいる場合と、すごろくなどのゲームで遊んでいる場合、これらの違いはなんなのか。もっと突っ込めば、たった一人で黙々と数独やクロスワードを解いているのと、本を読んでいるのとの違いはなんだろう。突き詰めれば、勉強が好きで黙々と勉強しているのと、たった一人でゲームをしているのとさえ同列に考えることもあっても良いのではないだろうかと思う。
そもそも「たった一人でゲームをしている」で思い描いたゲームがアナタの考える「ゲーム」であって、その思い描いた「ゲーム」は人それぞれでかなり違うものだ。TVゲームにしても同じで、自分のイメージしたソフトが他人の思い描いたソフトと同じだとは考えないほうがいい。全ては先入観のなせる業であり、その先入観がどこから来ているのか、自分自身に問うことも必要だろう。その上で、本当にゲームは悪いものなのか考えるべきだと、ゲームが大好きな俺は常々思っている。
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