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2009年09月30日

爺様の思い出 - ダム建設で思うこと

[つれづれなるままに]
俺の爺様は狩猟を生業にしていた。手っ取り早く言うと「マタギ」である。山に入ってはいろいろな獲物を獲ってきた。兎やキジなどは食用にし、タヌキやキツネは革をはぎ鞣して毛皮を売ったりしていた。

小さい頃だったので季節は忘れてしまったが、鮎もたくさん獲っていた。その時期は爺様の家にいくと炭火のまわりに串刺しされた鮎がたくさん刺さっていた。俺はメスの鮎だけ、それも卵の部分だけ食べて捨てていた。母は俺の食べ残しを「もったいない」と言いながら食べていた記憶がある。

爺様の鮎とりに何度か連れて行ってもらったことがある。川をせき止めて仕掛けた罠にはそれはもう沢山の鮎が入っていた。爺様は船も自分で作っていた。時代劇に出てくる渡し舟のようなその船に乗り、それはもう見事に網を投げるのである。俺はそのさまを船に乗せられ間近で見ていた。子供のころは良く分からなかったのだが、年を重ねてからTVで投網をしている人の映像を見てもそんなにうまく見えなかった。爺様の方が見事に網が広がっていたからだ。

しかし、いつの間にか爺様の家に行っても鮎の串焼きにお目にかかることはなくなった。川の上流に砕石所が作られたことで川がにごり、鮎がいなくなってしまったのだ。俺が小学校に入るか入らないかのころ、何度か昔鮎が沢山取れた場所に爺様と一緒に行った。爺様はそのころも罠を仕掛けていたのだが、中には一匹も入っていない。子供の目には川の違いは分からなかったが、切り立った崖のそばの水が深い青緑色で怖かったのだけは覚えている。

その後、その川で鮎が獲れたという話は聞かない。だから、爺様が小屋で船を作ることも無くなったし、爺様の見事な投網も俺が小さいときに見ただけとなってしまった。それどころか、今では川の上流にダムが作られ、昔の川の面影はまるで無い。

ダム建設と高速道路建設で、爺様の部落の小学校は立て替えられ道路は立派になり、渡る人もほとんどいないのに信号がついた。だけど、昔の川は二度と戻ってはこない。爺様も数年前この世を去った。鮎がずっと獲れていれば、俺はもっともっとはっきりと爺様の網を投げる姿を記憶に留めていられたに違いない。

もう二度と爺様の船には乗ることはできないし、爺様の網を投げる姿を見ることはないのである。

  




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posted by oyajiman at 2009年09月30日 23:00:00



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