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2008年11月17日

経営指針は本当に必要なのか

[つれづれなるままに]
先日とある会合に出る機会があった。その会合は中小企業の経営者が多く出席する会合らしく、その内容自体も経営者向けといった所だ。先日は「経営指針」についての話だった。

経営指針とは「経営理念」「経営方針」「事業計画」の3つをひとセットとしたものを指すらしい。経営理念だけでは概念だけになり、経営方針だけでは言葉だけ、事業計画だけでは数字だけになりやすいのも事実であろうから、その3つを切り離せないものとしてとらえるのは非常に有益だろうと思う。

しかし、果してこの「経営指針」は、中小企業に本当に必要なのであろうか。

事業の生い立ちから考えた場合、まずは何か商売になるネタや技術などを持った創業者がいて事業を始めるのがそもそもだろう。その事業がうまく行き始めると、今までのように一人では手が回らなくなるので人を雇うというサイクルが生まれる。このサイクルがうまく回れば事業は大きくなっていく。つまり、ある程度の規模までは「創業者=企業」なのだ。雇用者は創業者の代役なのだから、全ては創業者の代りとなって創業者の思う通りに動くことが大前提である。逆に言えば、自分のやりかたをきちんと伝えて人を動かす事が創業者の最大の務めであり、それが事業を守ることにつながる。

人が多くなってくると、今まで考えもしなかったような事をやる奴が出てくるものだ。しかし創業者はそのような人のケアまで手が回らず、指示命令などは遠足のバスの中で行う伝言ゲームのようにうまく伝わらなくなってくる。音声によるデータ(言葉)だけではうまく伝わらないため、ペーパーなどのデータに置き換え伝達しようとするが、これでも読み間違いや思い込みや書いてもいない行間を読む奴が出てきてしまう。創業者の意志が伝わらないのである。創業者は「なんで伝わらないんだ」と嘆き悲しみ、悩む。

意志が伝わらない原因はしごく単純で、個人個人のバックグラウンドが全く違うからである。衣食住を共にする時間が長い家族のように行くはずはないのだ。創業当初がうまくいったのは創業メンバーと共にかなりの時間をいっしょに過ごした結果であり、黙っていても阿吽の呼吸が取れるようになったからだ。「創業当初はうまくいったのに」という成功体験は、伝わらない原因の解明を邪魔し社員に対する不満を膨らませていく。社員も同じ不満を抱えているのに、である。

計画を作成するプロセスで、問題が明確になったり問題の共有化が出来たりするという副産物は確かにあるだろう。しかし、社員が求めているのは「信頼できる経営者」と「よい待遇」と「ステータス」であって、決してカッコいい計画ではない。ものすごくカッコいい計画があっても潰れそうな企業と、そんな計画なんて見たことも聞いたこともないけれどみんな楽しそうで賃金もいい企業、どっちが選ばれるだろう。

経営指針を作るのには時間がかかるものである。計画策定に必要以上のコストをかけてしまっては本末転倒であろう。夏休みの勉強のスケジュールを作成したら宿題が終わってしまったような気になってしまったなんて事も良く聞く話だ。簡単にいってしまえば、形になった経営指標などなくても経営者が経営指標になってしまえばいい。それをどう伝えるかだけである。金融機関などから金を引き出すことと株主への報告以外で、形式張った計画書など必要ない。そういう意味では、10〜20人程度の従業員数であれば、昔の日本の家族的経営を実践した方が良いように思える。中小企業は家族的な経営にもう一度戻るべきなのかもしれない。

経営指針が必要と思うのは、経営者に指針がないからである。ないから欲しがるのだ。その事自体が非常に大きな問題であることを、先の会合の参加者は良く理解していないように感じた。「不勉強で自分の事業にこだわりのない経営者が暇つぶしをする会合」とまで言ったら言い過ぎだろうが、それが率直な俺の意見だったのである。



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posted by oyajiman at 2008年11月17日 22:30:00



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