Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2008年11月06日

新たな気付きもあるのだが

[つれづれなるままに]
先日のエントリについたブ米を読みながら、こちらの意図が伝わらないのは書き手の責任なのかもしれんなと思う。あまり長いエントリも読みにくいだろうから短めにエントリを仕上げるようにしているが、そうするともっと詳しく説明するべき所が省かれてしまうこともあるようだ。そんなに大事じゃないし文脈からわかるだろうと思ってしまうのだが、それは書き手の勝手な思い込みなのだろう。

例えば、
サービサーからブログというシステムを借りて自分の思ったことを書くのと、はてなからはてブというシステムを借りて思ったことを書くことに違いはあるのか?コメントが後出しというならブログも同じでしょうに。
なんてブ米について言えば、ブログではコメントの修正はブログ主以外に出来ないのが一般的で、普通はコメント投稿者が勝手にコメントの変更をすることは出来ない。自分のコメントをコメント主が後から修正できてしまう点を「後出し」と表現したのだが、これがどうやら伝わってはいない。

サービサーからブログというシステムを借りて自分の思ったことを書くのと、はてなからはてブというシステムを借りて思ったことを書くことに違いはあるのか?という部分には少々驚かされた。個人のはてブがまずありきであればこの意見はまだ納得もいくが、そのコメントが主エントリ毎に分解されたイメージが強い現状ではブ米を一般的な個人のブログと同列には扱えないように感じているからだ。俺自身は自宅サーバなんでシステムを借りているという意識自体が薄く、このような意見は思いもよらなかったというのが本音だ。まぁ、自前サーバなんて読んでいる人には知る由もないことなのを忘れているのは俺だけど。まだまだ甘いな俺も。

さらに、
はいはいインターネットはからっぽの洞窟。/permalinkの貴賎 。
というブ米は、「permalinkの貴賎」と言われてみて自分の奥底にある意識に改めて気がつかされ、その鋭さにびっくりだ。

ただ、言葉じりだけで言わせてもらえば、良識ある人はさほど面識のない人に直接「はいはい」とか「同じでしょう」というような言い回しはあまり使わないだろうと感じる。いや、親しき人にも滅多に使わないだろう。自分の不快感を表現しつつ相手の感情を逆撫でするのが目的であればそういう書き方もアリかもしれないが、もしそれが主たる目的であれば、それこそこういうブ米は「怒号ワンストップ」でしかない。こういう言葉は、例えるなら嫌な上司とかに文句言われたときにつぶやく「チェッ、またかよこのクソジジイ」とか、高慢チキな奴に「あいつ何様?」とか言うのと同じものと思われてもしかたがないように感じる。このような言葉は通常相手に聞こえないようにつぶやくことのほうが多いだろうし、面と向かった相手に聞こえるように言う場合はそれなりの覚悟をもって言うべき言葉であろう。いずれにせよ、あまりいい感情は持たれない。そういう印象を与えやすい言葉での(書き方をする人が多い|ブ米が多い)ところが、ブ米を「落書き」とか「野次」レベルとか感じさせてしまう主たる原因ではないのだろうか。俺が書くまでもなく、重々承知の助だろうとは思うが。

書き手に伝えたいからこういう書き方をするのだろうと善意に解釈した場合でも、そうであればなおさら直接コメントを残すべきではないかと思う。また、書き手に伝えることよりも自分の意見を広めたいというのであれば、ことさら他人に必要以上な反感をもたれないようにしながら意志を伝えるための手法を使うべきではないのかと感じる。インパクトのある言葉で主張の大きさが決まるわけではないはずだが、インパクトのある言葉が人目を引きやすいのも事実だ。安易に人目を集める方向に走るのはたやすいが、その代償として何かを失うことになりそうでいらぬ心配をしてしまうのは大きなお世話か。


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posted by oyajiman at 2008年11月06日 22:30:00



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