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2008年07月26日

捨てることと考えないことは違う

[うんちくん]
いずれもネタっぽいが、ふーんだけで終われなかったのでちょっと書いておこう。

「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。 - GoTheDistance

元ネタはこちら
発言を額面どおりに受け取る - タケルンバ卿日記
* 「空気を読むのはやめましょう」
* 「行間を読むのはやめましょう」
* 「言外のことを読むのはやめましょう」

これを「3つの読まない」と申します。「非読宣言」です。私たち「社交辞令が効かない会」は読みません。そのままです。シンプルでストレートな関係の構築を目指しておりますので、言葉とか表情などの表に出てくる要素以外のものは、一切読みません。逆な言い方をすれば、表に出てこないものは無視します。ないモノとして扱います。シンプルでストレートな関係に、存在するかしないかすらわからないものを持ち込まれても困ります。
発言を額面どおりに受け取る - タケルンバ卿日記
言わんとしていることは理解できなくはない。確かに書かれてもいない行間を読んで騒ぐ奴とか、意味不明の思い込みをぶつけてくる奴とかを見ると辟易する。だが、タイトルにも書いたとおり、捨てることと考えないこととは根本的に違う。

物事に動じない人は、得てして上記3つのポイントを抑えているように見える。ただしそれはあくまで表面上の話である。なぜ物事に動じないのか、それは経験値とそれに順ずる仮想経験値が高いからである。要は、あらゆることが「想定内」だから動じないのである。それはあらゆる事態を想定し、また、想定したにもかかわらず起こった「想定外」を乗り越えてきたことによって培われてきた経験値だ。上記3項目を額面どおり受け取って実践すれば、その貴重な経験値、特に仮想経験が失われていくのは自明の理だ。

しかし、知らないほうがよかったと思うときもあるのも事実だ。しかしそれは単に精神的なダメージやストレスを感じるからなのである。そもそも言葉を額面どおりに受け取るためには、その言葉のバックグラウンドをいろいろ想定することが必要不可欠で、また、よく理解して解釈しないと今後の対策は立てられない。もっと具体的に言えば、なにも考えないで額面どおりの言葉を理解できるはずなどないのだ。何も考えずに額面どおりに受け取るだけでは、将来受けるかもしれないストレスのショックアブソーバをもてずに結局はより強いストレスを感じてしまうことになるだろう。

この話は、たとえば「明日地球が爆発する」ということを知らずにいたほうが幸せなのか?という類の話である。知らずにそのときになって大きなショックを受けるのと、知っていてその最後のときまで恐怖におびえながら過ごすのと、どちらが幸せだろう。知らない方がいいというのであれば何も言うことはない。空気を読み、行間を読み、言外のことを読んであらゆる事態を想定しつつ、額面どおりの受け答えをするのが賢者の選択ではないのか。


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posted by oyajiman at 2008年07月26日 22:30:00



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