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2008年05月25日

見返りを求めてたら何にも出来ない

[これでいいのか]
ブログを辞めた理由

この方の書いてあることは、「ブログを書く」という作用に対して自分以外からの反作用を求めている人の意見とみるべきで、そのような人には反論の余地がないくらいごもっともな話でしょう。もっとはっきり言えば、自分が行ったことに対して見返りが必ずあると信じ、かつその見返りは自分の行った事の大きさに比例するという、非常に打算的かつ全く根拠のない考えに基づいた意見といえるかもしれません。

俺の家には猫がいますが、この猫を飼うことで何か見返りを期待しているわけではありません。俺はPCを組み立てたりパーツを交換したりするのが好きですが、速いPCを組み立てたからといってゲームが快適になる以外ほとんどメリットはありません。俺には子供がいますが、じい様になったとき面倒をみて貰うために作ったんじゃありません。

今の世の中、なんでもかんでも見返りを求めるのが当たり前になっているような気がして恐ろしいです。笠地蔵とかもそうですが、自分に返ってくるから・・・というふうにしか教えられていない人が多いのかもしれません。

こういう打算的な考えをするのであれば、もっともっと理論的に作用と反作用について検証すべきです。以前ホリエモンが「金で買えないものはない」なんて言っていましたが、ブログを継続するか否かをさまざまな角度から数値に置き換えて検証しなければ、結局は全て「気分」で決めているといわれてもやむを得ません。

話は大きくそれますが、物事の効果を測定する場合は、その効果を通貨に換算して計測する場合が多いように感じます。通貨であらわせないものはアンケート等での支持率などのような形で表現される場合もありますが、経済活動に絡むものはアンケートの結果さえ通貨換算してしまう場合が多いです。つまり、ある意味ホリエモンの理論は正しいし非常に理にかなっているのです。

上記増田の例に限って言えば、ブログをやめる理由をもっともらしく書くのもいいですが、そのやめる理由が結果として単なるこじ付けになっているのが少々もったいないように思いますね。やはり「個人ブログを続けるのは経済的にXXXXの損失であり、また精神的にもXXXXのようなデメリットがあるためやめた」くらいまで言わんとだめじゃろ。

つか、みんないい加減に見返りばっかり求めるのは商売だけにするべきと気がつくべきじゃないかな。

[5/31追記]
なんだか書き方が悪くてうまく伝わっていない部分もありそうなので追記。
ここで言う「見返り」とは、最初のほうの文面に書いた「自分以外からの反作用」のことを指しています。つまり他人からなにかしてもらえてアタリマエー(Byアルシンド)と信じきることはどうなんだろうねって言いたいだけのでそこんとこヨロシク。自己研鑽のたぐいは見返りとはあまり言わないと思うのだけど、どうでしょ。あれ?言うかもしれんな・・・ま、気にしない気にしない。



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posted by oyajiman at 2008年05月25日 22:22:56



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