映画字幕で業界が四苦八苦 若者の知的レベル低下が背景か? - MSN産経ニュース
字幕が読めないとか字幕に書かれている意味がわからないとか、多かれ少なかれ誰でも経験していることだろう。特に字幕のスピードについていけないのは最初はよくある話だと思う。しかし、字幕を読む回数が増えればいつの間にか読めるようになる。
言葉の意味についても同じことで、わからない言葉をいちいち気にしていたら本など読めたものではない。字幕とて本を読むときと同じで、まずは最後まで通して読むのが普通だろう。その後で自分で意味を調べるのが当たり前と思っていた。
しかし、こんな認識は改めたほうがよさそうだ。
見回せば読めない漢字にはふりがなが振られ難しい単語は敬遠され誰でもわかるようにしなければならない症候群で満ちあふれている。売春は援助交際に名を変え浮気は不倫や婚外恋愛となり「はたらくおじさん」は「はたらくひとびと」に変えられる。耳障りのよい言葉だけが生き残っていくのはどういうことなのか。特に差別用語と言われるものの変更はあまりに醜く、漢字数文字で表現されたことが「○○の不自由なかた」などの表現に変えられそんな書き方をするくらいなら漢字の熟語など不要だろうと暴言さえ吐きたくなるのである。
今の日本では誰でもわかるようにするということは簡単な言葉だけで表現することと同義である。簡単な言葉だけ使っていればどうなるのか良く考えた方がいい。人間はわからないことがあるから調べるのであって、わかることばかりでは何も考えなくなってしまう。もっと平たく言えば、
阿呆に合わせるには阿呆になるしかないのである。歩み寄りだけが選択肢ではないはずなのだが、商売優先であれば阿呆に歩み寄るしかないとしか考えられないのは考える方もまた阿呆だからかもしれんね。
このままでは売られている本は幼児向けの絵本にあるような簡単な文章だけがならび少々難しい言葉で書かれた本は読めないため売れず、そして誰も何も考えなくなってしまうのではないかと危惧してしまう。