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2008年04月13日

「勇気が無いから匿名」ではない

[だめだこりゃ]
痛いニュース(ノ∀`):ビビリな若者たちよ! 匿名は止めて実名で意見発信する勇気を!…日経BP

元記事はこちら
ビビリな若者たちよ!! 実名ブログで自分を「見える化」する勇気を!!:久米信行の「企業経営に活かすブログ道」:ITpro

少し前にも「匿名実名」について考えさせられることがあった(過去エントリ12345)のだが、実名を出してもさほど影響はないのは事実だと思う。家の嫁などちょっとした外出でも一生懸命顔に塗料を塗りたくって化けるのだが、そんな努力などほとんどの人は気がついていないし気にしてもいない。実名をさらすのも多分それと同じようなものだ。実名をさらしたってハンドルネームと何ら変わらない、マクロ的には。ただ、非常に奇抜な化粧をしたり、素顔がかなりインパクトがあった場合などは話が別だ。多数の人は、その一風変わった人を見てざわめく。なんらかの刺激を受けるのは間違いない。そんなときは、双方とも住所氏名年齢連絡先などはわからない方が都合が良い。

実名匿名話で「これは止めた方がいいなぁ」と思うのが「米国では・・・云々」とかいう話。ネットのインフラはほぼ世界共通なので、インフラに関する日本だけの規制とかは非常にナンセンスだとは思うが、コンテンツに関しては一概に当てはまらない。簡単に言えば洋風の建物といえど、「お前は日本の洋風の家に靴を履いたままあがるのか?」みたいな話で、「日本も洋風の家が多いから日本も靴を履いたまま家にあがる方が良いのだ」と言われているような感じが付きまとうのである。

日本ではまだまだ土足のまま家にあがるのには抵抗があるし、外見は洋風建築でも家の構造自体が靴を脱いであがるようになっている。自分の回りの人の多くが、靴を履いたまま家にあがることが普通の人であればそれもいい。どうぞ御勝手にってところだ。だからといってそれを推奨するのはどんなものかと思う。だって、それはお前さんの周りだけの話だからな。そういった「リアルな距離感」をネットに持ち込んでいるのが実名推進派の痛いところのような気がする。

日本ではほとんどの人が実名の必要性を感じていないし、感じさせるような風潮もない。悪者扱いされているような匿名だが、日本の社会では匿名の方が本音を引き出しやすいようにさえ思う。俺はたまに人の会議資料を作ってやることがあるのだが、そいつが「資料作成者は俺だ」と言わないで資料提出すると辛辣な意見が結構出てくる。突っ込まれて困り果てた発表者が、「この資料はおやじまんが作ったものでして・・・」というと話は一気に盛り下がってしまうのだが、このときに出される意見は資料の内容をじっくり見た痛いところをついた意見が多く、後に非常に役に立つことが多いのである。またこのときは、人は内容以外の部分で判断することが非常に多いことを実感するときでもあるのだ。

そもそも「米国では・・・」みたいな環境に置かれている人は、その方がメリットが大きいだろうから黙っていても実名で活動するだろうし、先の例のように自分の肩書などを除外して「匿名」で自分の力量を測ってみたい著名人もいるだろう。ましてや実名で活動してもそんなに影響はないとなれば、別に実名にする必要だってないとも言える。匿名実名なんて、自分のスタンスで決めればいいだけの話だ。

そういう多様性を飲み込んでいくのが日本の国民性じゃないのかなぁ?

ただ、メールアドレスや自分のサイト名も入れずにコメントを残すのは、人の家でどんちゃん騒ぎはするけど自分の家には絶対に呼ばないといったセコさを感じてしまうけどね。そう感じるのもお前がセコいからだろって?いやー、一本とられましたな。



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posted by oyajiman at 2008年04月13日 23:07:41



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