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2007年08月28日

引用の多用は無用で不毛な議論を招くだけ

[うんちくん]
パソコン通信のころからの話だが、ネットでは相手を論破する手法として、相手の文章の一部を引用して反論するという手法が用いられる事が多い。第三者へ与える印象を考えると「引用して反論」というのは非常に有効的な手法だといえる。なぜなら、明らかに間違っていると思われる文章や違う意味に取れるような書き方のところなど、自分に都合にいいところだけを抜き出して叩けるからである。

以前どこかのTV番組で
オートバイのフロントフォークを固定する部品は、その部品を金鎚で叩いただけで割れてしまう。前輪を支える重要な部品にこのような壊れやすい素材を使っている機械がオートバイなのだ。そんな機械が安全といえるのか。
と言うような主張をしていたことがあった。

このフロントフォークを固定する部品は、構造的にも衝撃のほとんどをフロントフォークが吸収するため、金鎚で叩くような瞬間的に大きな衝撃が加わる部品ではない。加わる力の方向も逆だ。

フロントフォークを固定している部品の強度は、車体の剛性を左右する大事な部分である。あの部品が強度不足だと、オートバイはまっすぐ走らなくなる。この剛性の差は、ハイスピード巡行やコーナリング、さらにはコーナリング中にギャップを乗り越えるときなど、車体に強い力が加わるときに安定感の差となって顕著に表れる。硬い鉄を用いているのにはそれなりの理由があるのだ。しかし、硬い鉄は硬さを得る代わりに粘りを失う。硬い鉄は、通常加わらないような力を瞬間的に与えたら割れて当り前なのである。そんな事もわからないくせにバカも休み休み言えというような信じられない理論なのだが、TVを見た人は単純に「あんな壊れやすいもので前輪を支えているんだ」としか思わないだろう。

そもそも、金鎚で叩いたら車のフロントガラスだって割れてしまう。それなのに、車のフロントガラスについては「こんなヤワな部品では危ない」とは決して言わない。誠に不思議である。まっすぐ走らないオートバイとまっすぐ走るオートバイ、あなたならどちらを選ぶだろうか。

引用という手法は、これと似たような事をしている場合が多い。全体像を明らかにせずネガティブな一部分だけを抜き出してクローズアップする。そんな危うさが引用には必ずつきまとうのである。

引用を多用する人はその危うさを逆に利用し、自分に有利なように書いている人が多い。それが故意か無意識かはわからない。前にも注意することと怒ることの違いというエントリで似たようなことを書いたが、引用を多用する人はただ単に相手に自分の意見を押しつけたいだけなのだろうと思う。別にそれが悪いとは言わない。だけどそれは単に相手をやっつけ、優越感を味わいたいという自己満足のためだけではないのか。そんなことに何か意味があるのか、はなはだ疑問だ。


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posted by oyajiman at 2007年08月28日 01:17:43



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