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2007年08月17日

判っていないクセに判ったフリをするな

[これでいいのか]
とある会社での話。その会社では部門の業績を経理から報告していたのだが、中身をよく吟味してもらいたいという観点から部門の長に報告をしてもらう事にしたらしい。すると、それまで業績報告について何も質問がなかったのに、急に数字の中身についての質問が殺到、経理はその質問に答えるので大変になったようだ。

資料は今までと全く変わっていないし決算方法も変わっていない。部門の長はこれまで、渡される資料を眺めただけだったのだろう。中身も吟味せず資料を渡されて説明を受け「ふーん」でおしまいだったのが、自分で自分の出した数字を説明しなければならなくなった。その時初めて、数字の中身について何も理解していなかった事を痛感したのだ。

業績を改善しなければならない責任を負っているものでさえこのざまである。なにごとも自分の身に火の粉がかかってこない限り、所詮他人事なのだ。

かなり前にPL/BSも読めない馬鹿というエントリを書いたのだが、PLもBSも会社の状態を「金」という単位で計測したものだ。金という単位で計測するため、PL・BSだけではその数字がどんな構成要素で成り立っているのかまではわからない。PL・BSからわかるのは、どのような用途に金を使ったか、どのような用途から金が入ったかだけだ。だから、本気で業績を改善しようとしたらもっともっと細かく、最小要素の段階まで分解して調べないとダメなのである。

そしてその分析は、現場に近い人間ほど詳細に行う必要がある。それが自分の実績を上げ、経営者からの無理難題から身を守ることにつながるのだ。また、細かい分析を行う人間は、その分析によって問題点をいち早く発見する勘も一緒に養っており、その勘はさらに上の立場になったときに非常に役に立つものになるはずである。

しかし、要職についている人の中には「数字なんて」などと言って数字を軽んじる者がいる。計測出来ない人間に限って「数字なんて」という言葉を口にする輩が多い。これは分析できない自分を正当化しているだけである。偶然全てが右肩あがりで、「数字なんて」気にしなくとも業績が良かった時期を経験した事があるだけだ。誰がやっても業績はよくて当り前で、それはアンタの業績ではない。そんな人間は偶然を成功体験と勘違いしていると言わざるを得ない。経営は数字が全てでありそれ以上もそれ以下もないのだ。その手腕は、特に守りに入ったとき、つまり業績が芳しくないときに大きく差が出る。数字を軽んじる人間は、数字によって滅ぼされるだろう。

たいした分析も出来ないのに大きな口を叩くな、と言いたい。判ったふりをしていると、いつまで経っても理解なんて出来ないのだよ。



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posted by oyajiman at 2007年08月17日 01:14:09



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