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2009年05月08日

非喫煙者は空気が読めなくて当然

[うんちくん]
なんで非喫煙者は空気が読めないんだろうねぇ:訃報のはてブで思った

空気を読むというのは比較的高度な思考で、いろいろな角度で、かつ相手の身になって場面を想定する必要があるのはいうまでもない。簡単に言えば想像力と先を読む力が必要になる。

ここで一番大きな問題になるのは「相手の身になって考える」ということである。

この「相手の身になって考える」という言葉は誤解を招く可能性が高いもので、本来は「自分の身に置き換えてみる」思考である。だから「相手の身になって考える」という思考は相手の事を主体にして考えているのではなく、自分の身に置き換えて「自分がされたら嫌だ(うれしい)から」という考えが最初にくる思考なのだ。つまり、「相手の身になって考える」という言葉では相手の事を考えているような雰囲気を漂わせているが、現実には自己主張の発展形なのだというからくりを覚えておかなくてはならない。

もう少し掘り下げると、自分が何とも思わない事由については、いくら考えても考えさえ浮かばない。これも当然で、何とも思わないことは自分には興味のないことだからである。興味のないことを自分がやっている姿など具体的に想像するのは難しい。これは自分の経験と密接な関連があるらしく、経験していない事については興味も薄く想像も働きにくいらしい。

そういう事を知っていれば、非喫煙者が空気が読めない理由も説明がつく。今まで一度も煙草を吸ったことがない非喫煙者であればなおさらで、非喫煙者は喫煙者としての自分を想像できないのである。悪い言葉で言えば、「馬鹿」に「馬鹿」と言っても無駄みたいな話なのだ。さらに恐ろしいのは「禁煙」は既に擬似宗教化しており、この教えを盲信する人がいるということだろう。盲信ほど恐ろしい物はないのは昨日も書いた

もし喫煙者が外部に煙を一切漏らさない喫煙具を使った場合、禁煙を叫ぶ人はどのような反応をみせるのか非常に興味がある。煙が全く外にでない器具を使ったとしても、禁煙を叫ぶ人は煙草の害を声高らかに叫ぶような気がしてならない。なぜならその人たちは「煙草が嫌いな自分」しか知らず、そんな自分自身しか他人に投影できないからだ。

だから、喫煙経験のない禁煙推進派と喫煙者とは決して相交わる部分はないと思う。それでも中を取り持つ人たちがいれば、もうすこしギスギスしないで済むような気がしないでもない。禁煙・喫煙派ともに被害者ぶっているが、実は「禁煙・喫煙なんてどうでもいい」派が一番迷惑を被っているんじゃなかろうか。といってもこの人たちはこの人たちで「なんでそんなことで騒いでいるの?」って感じかもしれんけどね。

[2009年10月22日追記]
このエントリは本来煙草の話ではなく、「自分の考えは自分の経験の範囲内からはみ出すことはない」ということを書いたのだが、タイトルや一部のたとえから煙草の話と混同されがちのようだ。かといって、このサイト全部嫁とか一部分で脊髄反射はどうなのよなどといっても始まらない。よって、このエントリの意図を汲んでみたい人のために、ついでに読んでもらえるとうれしいエントリをあげておく。

禁煙したい人へ
文章の意味は読んだ人の捕らえ方で決まる
不幸思考回路の排除 その1その2


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posted by oyajiman at 2009年05月08日 23:00:00



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