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2016年12月31日

「当事者の自覚ないよねー」の罠

[つれづれなるままに]
友人の会社で、よく「あいつら当事者の自覚ないよなぁ」という奴がいるという。とある業務を主管している部署の人間が、その業務の内容も実際の業務も慣習として請け負っていた人たちに任せっきりらしい。その為、何を聞かれても「わからない」とか「○○に聞いて」という対応に終始しているのだという。

しかし、その言葉は毎年聞かれる言葉だ。毎年同じ部署が主管なのに、毎年慣習として請け負っていた人に任せっきりである。これで当事者意識など生まれるわけもない。その状態をそのままにしておいたほうが責任重大である。

聞くところによると、この状態を放置していたのは、他でもない「あいつら当事者の自覚ないよなぁ」という奴らしい。こういう人は不思議なくらい自主性を重んじるふりをする。これは、業務をしっかりやらせることが出来ないことの裏返しだ。自主性に任せたくせに、なぜか「あいつら出来ないよな」という。やらせないほうが悪いのに、なぜこんなセリフを口にできるのか理解できない。

こういうタイプの人は、頑張る、一生懸命やる、モチベーションを高く・・・そんな言葉をよく口にする。聞こえはいいが、具体的な指示がないため、部下は何をしていいのかわからない。ただ、ごく稀に自分から進んで業務に当たる人間がいるため、自分の曖昧な指示が正しかったと思ってしまう。

具体的な指示を出せないのは、仕事に自信がないからである。具体的な支持の場合、間違った指示を出してしまったときに結果がはっきりと「間違い」と出る。自分に自信がなく、業務にも精通しておらず、先を見る力もない。だから責任を回避すべく曖昧な指示に終止し、できなかった結果だけを指摘し自分を優位な立場に持っていくのである。

具体的な指示を出せない人は、上に上げてはいけないとつくづく思う。

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posted by oyajiman at 2016年12月31日 22:00:00



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