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2016年08月21日

「お布施は施し、人に自分のものを与えるということ」なんだって

[つれづれなるままに]
アマゾン「お坊さん便」、反発する仏教会に想定外の批判:朝日新聞デジタル

俺には既得権益を守ろうとするようにしか見えないのだが。

「お布施を僧侶の宗教行為への対価ととらえているからです。布施とは仏教の実践、修行の一つで、施し、人に自分のものを与えるということ。物質的なものでも、精神的なものでもいい。そのとき大事なのは、心のあり方。人に何かをしてあげている、といったこだわりがあってはならず、なににもとらわれない、清らかな気持ちでするものです。額を決めて商品として販売することは、お布施本来の考えからは到底ありえない」

建前としてはこの話は理解しても構わない。ただ、実際にはお布施の額というのは最低額がなんとなく慣習として決められている。葬儀屋などはしっかりとその金額を匂わせてくる。俺の親父の寺は葬儀で最低10万円とかなりリーズナブルだったが、こちらでは普通は20万円ほどが最低価格らしい。年間の死亡者数は110万人程度らしいので、単純に掛け算するとお布施の総額は2200億円となる。僧侶の資格を持っている人は全国で約35万人らしいので、一人あたりのお布施額は62.8万円となる。まぁ多くはないよね。お寺の数は7万7千程度らしいので、お寺一つ当たりにすれば285.7万円だ。お寺を維持するにはお布施だけでは難しいだろう。だけど数回のお経を上げてもらうだけで20万円ってどうなの?とも思う。(参考 数字で見る日本仏教 | 日日是好日 | 彼岸寺

問題はこういう金額を、建前で「いくらでもいいんです」としていることではなかろうか。寿司屋の「時価」じゃないんだから、しっかり決めてほしいと思うのが当然。特に葬式は急にやって来るので、葬儀屋とかのいうがままになってしまう。お寺は葬儀屋を隠れ蓑にして自分たちはいい人というスタンスを取っていると見えてしまうのは俺だけだろうか。

檀家が減っている今、お寺の中には経営が苦しいお寺も多いだろう。であればこそ、きちんとしたビジネス手法を用いるのが解決策なのではないのか。

というか、ここまで情報が溢れている時代は、既得権益(のようなもの)を維持し続けるのは難しいだろう。資格を金に変えたいのであれば、医療制度のような透明化が必要だろうね。精神論じゃ食っていけないのだから。

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posted by oyajiman at 2016年08月21日 22:00:00



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