Linuxからアホ話まで、何でもありでござる
2010年03月17日
べろんべろんに酔っ払っている感じ
[だめだこりゃ]
先日、久々に「別に・・・」のエリカさまを見た。相変わらず美人でカワイイね。しかし、わざわざ言葉をつまらせてみたりするようなクサい演出は興ざめだ。で、
[TV]高城剛が妻・沢尻エリカに伝えたい本当のメッセージ - なんでかフラメンコで知った旦那のブログがまたすごい。
君が仕事に復帰すると聞き、僕は誰よりもうれしく思います。 - TSUYOSHI TAKASHIRO -BLOG-|honeyee.com Web Magazine
俺は「人としてどうなの?」とか「冷たいよね」とか「機械みたい」なんて言われることがある野郎なので、こういう感覚が理解できない。特に、他人に向かって「よかったでしょでしょでしょ?」みたいな言い方をする神経は持ち合わせていない。だから、でしょでしょ言われても全く同意できないし、ましてや感動などするはずもない。
これと似たような感覚を覚えたのが、とあるニュースでやっていたハイチ地震チャリティーコンサートでの一場面だ。そのミュージシャンは生きることの素晴らしさとか愛とかなんとかかんとかを熱く語り歌い、観客も涙を流しながらその言葉に耳を傾けていた。俺にはふーんという冷めた感情と「なんでそこまで思い込めるの?」という思いしか出てこなかった。ハイチの人々が大変なのは分らなくもないし、支援のためお金を送るのも理解できる。しかし、それ以下でもそれ以上でもない。感情が揺れて涙が出てくるのは致し方ないが、涙を流したってなにも解決しない。
なぜこういう事に違和感を覚えるのかと考えると、それはこういうことのほとんどが「自己陶酔」だからだ。芸能界の舞台に戻ることが出来た自分の姿に酔い、復帰を応援してきた自分に酔い、ハイチの人たちを思い命の大事さ語る自分に酔い、その言葉に涙を流す自分に酔う。なぜそこまでぐでんぐでんに酔っ払えるのだろうと思う。
posted by oyajiman at 2010年03月17日 23:00:00
コメント
仰るとおり、そんなものなのかもしれませんね。
知人がふと漏らした言葉ですが、街頭募金をしてる人たちを見て…
「んなとこに突っ立ってる暇があるんだったら、バイトしてそれを全額募金すれば良いんだよ!」
…というのを聞いてハッとしました。
その方が金額的に大きくなることは確かですし。
結局のところ、金額とかが問題じゃなくて
心理的感情的に訴えるのが目的なんでしょうね…。
それが偽善かどうかという問題はさておき、
善意を募るという意図ではそうするしかないのかもしれません。
絶望したことがないんだろうね、君は。
やちまうさん
「んなとこに突っ立ってる暇があるんだったら、バイトしてそれを全額募金すれば良いんだよ!」だけに関して言えば、人が沢山いるとか露出度が高い場合は募金のほうが効率よくお金を集められる可能性が高いと思います、ええ。
tanigenさん
おっしゃるとおり、絶望したことはありません。絶望して何か良いことあるんですか?絶望したとか言う人は、絶望したフリをした自分に酔ったりしてるんじゃないかなーと・・・以下自粛
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知人がふと漏らした言葉ですが、街頭募金をしてる人たちを見て…
「んなとこに突っ立ってる暇があるんだったら、バイトしてそれを全額募金すれば良いんだよ!」
…というのを聞いてハッとしました。
その方が金額的に大きくなることは確かですし。
結局のところ、金額とかが問題じゃなくて
心理的感情的に訴えるのが目的なんでしょうね…。
それが偽善かどうかという問題はさておき、
善意を募るという意図ではそうするしかないのかもしれません。