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2009年12月15日

毎日更新する意味

[サイト運営]
このサイトは基本毎日更新だ。毎日更新といっても、以前書いたように、1日1エントリを書き上げているのではなく気分によって書き溜めしたりストックを吐き出したりしているだけなので、厳密には「毎日1エントリ公開」ということになる。

毎日更新と決めたのはサイトを立ち上げてすぐだったような気がする。最初は「何日続くかな?」というような軽い気持ちで更新していたのだが、しばらく続けていると更新を途切れさすのがもったいなくなってきた。半ば義務化してしまうまで、そんなに時間はかからなかった。

毎日更新の対外的なメリットはいろいろなところで書かれているから、特に俺があれこれ書くまでもないだろう。だからここでは、毎日更新にすることで「内面的にもたらされること」について書いてみよう。

1、自分の調子を知ることができる
繰り返すが、このサイトのエントリは毎日書いている物ではない。しかし、毎日1つのエントリを公開するためには1日1つのエントリは書いていないといけない。この「書く」という作業は日によってかなりの波がある。体調が良いときや頭がクリアな時、それに腹が立ったときは筆の進みが早い。特に頭がクリアで腹が立ったときは、次から次へと文章が出てくる。逆に、体調がさほど良くなく、平凡な毎日の時は頭の中も真っ白である。ストックもなくなりつつあるのになーんにも思い浮かばないのだ。江口寿史風にいえば、まさに「白いワニがぁぁぁ・・・」というところか。

このように、毎日更新を自分に強いることで自分の調子がわかるのだ。

2、「人に伝える書き方」を意識するようになる
白いワニの襲撃は比較的多いので、白いワニに攻撃されても耐えきれるだけの防御力(エントリのストック)を持っていなくてはならない。まぁ、要はネタ集めだね。ネタになるような事は思ったより身の回りに転がっているのだけれど、それをネタにできるかスルーしてしまうかはセンサーの感度状態にかかっていたりする。言いたいネタはたった一文(Twitterはブロガーを殺す- なんでかフラメンコ 参照)ってことが多いのだけれど、書きつづけることでその一文をうまく伝えられるよう考えるクセがついた。

3、同じ事を繰り替えして話さないクセが付いた
俺が昔から嫌いなのが、同じ話を何度も何度も聞かされること。頑固ジジイとかつまんねー先生とかくされ上司とかは、いつでも同じ話しかしない。テープレコーダー(古っ)に録音しておいて再生すればいいのにと思うくらい同じ話を繰り返す。オマエはオウムか? なんであんなに同じ事ばかりを話すのだろうと考えると、それは多分話のネタがないからなのだ。身の回りに話のネタはたくさん落ちているのだけれど、それをネタとして捕らえられない貧弱貧弱ゥゥゥなセンサーしか持っていないのだろう。話し言葉は消えてしまうからまだいいが、ブログに書いた物は後からでも検索できてしまう。だから迂闊に同じことは書けない。お笑い芸人と違ってネタは使い捨て一回こっきりなのだ。ツラいぜ。多少は使いまわしするけどな。いろんな事に興味を持ってネタを探しエントリを書いていると、話すときもネタに困らない。今のところ、俺の大嫌いな「オウムおやじ」にはならずに済んでいるような気がする。

4、アウトプットするとインプットも増える
ネタあさりしてるから情報量はそこそこ増えた。それを書いたらすぐ忘れてまたあさる。ということで、なんだか下らない知識が増えたような気がするが気のせいだろう。ただ、さっさと覚えてさっさと忘れるサイクルは格段に早くなった。とは言うものの、歳とともにメモリ容量が減ってきているのは事実だがナイショだ。

まぁ、こんなところかな。


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posted by oyajiman at 2009年12月15日 23:00:00



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