Linuxからアホ話まで、何でもありでござる

2016年07月04日

次第に基準が甘くなる罠にハマる

[つれづれなるままに]
毎日同じことをしていると、どうしてもそのチェックの目や意識が低め安定してしまう。特に俺の場合、可能な限り省エネが好きなので、出来る限り簡単に済ませたいし無理もしたくない。そんな怠けた目で見ていると、ついつい「まあいいか」という事象が多くなる。

そのちいさな「まあいいか」が積み重なり、気が付くと当初目指した地点から大きく道を外れてしまっていることがよく起こる。まずいことに、現時点で到達地点から大きく逸れてしまっていることになかなか気が付かない。そりゃそうだ。自分で妥協してきた道だもの、気がつくはずなんてない。

そういうときに役立つのが他人の目である。他人の目で見てもらえば、何ら改善していないとか逆に悪くなっているということが白日の下にさらされる。しかし、その意見を聞く耳を持たなければ、他人も意見を述べてくれなくなってしまう。

聞く耳を塞いでしまう原因は、「自分は頑張ってきた」という過信と自慰の念ではないかと思う。俺のやりかたに間違いはないと思ってやってきたのであればなおさらだ。そうやって経営者はおかしくなっていくのだろう。

経営者は孤独だ。意見は聞くことができるし人にやらせることもできる。しかし、重要な決断を下すのは経営者だけであり、その決断が間違いであることも少なくない。その間違いを認め社員に誤り方向修正できる人はなかなかいない。やはりここでも「自分は頑張ってきた」という過信と自慰の念が邪魔をする。そして責任は部下に取らせたり、聞いていないとしらばっくれたりしてしまう。

自分がやってきた道を振り返るのは恐ろしく恥ずかしく、とても勇気のいることである。その勇気を持てるか否かがその人の人としての価値なのかもしれない。

ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログランキング・にほんブログ村へ
posted by oyajiman at 2016年07月04日 22:00:00



コメント

コメントはありません

トラックバック

トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。 もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.

コメントする